「高次脳機能障害者」社会復帰への道 - 自己実現をお手伝い
- 事業所名
- アルカスコーポレーション株式会社
- 所在地
- 富山県南砺市
- 事業内容
- 建設業、不動産業、建設資材の製造他
- 従業員数
- 92名
- うち障害者数
- 2名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 1 事務管理 内部障害 知的障害 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 1 施工管理 難病等その他の障害 - 目次
|
|
1. 事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の概要、障害者雇用の経緯
当社は、大正8(1919)年岩崎組として創業。昭和39(1964)年に岩崎建設株式会社に社名を変更、昭和44(1969)年に生コン部門を独立させ株式会社コーキコーポレーションを設立、平成21(2009)年4月の両社の合併に伴いアルカスコーポレーション株式会社に社名変更。社名の由来は、ラテン語で『虹』である。
本社は、富山県南砺市。現在は、介護施設、商業施設、住宅、マンションの新築やリフォーム。社会インフラを整備するための道路、河川、宅地造成などの土木・舗装工事に多くの施工実績を積んできた。また、生コン、アスファルト合材や骨材といった建設資材の製造や石油類の販売も手がけ、お客様の暮らしをより豊かに彩り、笑顔と笑顔を結ぶ架け橋となる企業を目指している。
(2)障害者雇用の経緯
- はじまり
「高次脳機能障害者」が当社で就労することとなったのは、元々当社で働いていた社員(以下、Aさんと標記)が持病の悪化により受障したことがきっかけであった。
平成21(2009)年8月1日、砺波市庄川町で毎年開催される「庄川水まつり 流木乗り選手権大会」に出場準備のため、地下足袋を買いに行ったときのこと。ホームセンターの駐車場で、Aさんの顔色が一瞬のうちに変化した。その異変に気づいた同僚が119番。幸い処置が早く、九死に一生を得たが、心停止のため2日間意識不明。後遺症として低酸素脳症による高次脳機能障害を発症。闘病を余儀なくされた。原因は、持病(発作性心房細動)の悪化であった。当時Aさんは、担当していたマンション新築工事現場の工程が予定より遅れており、休日出勤してでも遅れを取り戻そうとして無理をしていたことが要因となったようだ。
生命の危機を脱した頃に総務部が社長へ提出した報告書には、「日に日に回復していますが、完治するかどうかわかりません。本人、家族と相談の上、フォローしていきます」と書いてあり、社長からは、「会社として出来るだけのフォローをしていきたいと考えています。回復を心より祈っています」とメッセージが返って来た。 - リハビリ
平成21(2009)年8月24日、本格的にリハビリテーションを受けるため転院。作業リハビリ、言語リハビリ、運動リハビリの3種類のリハビリテーションを毎日続けることとなった。
転院当初の病状は記憶障害のため、自分の病室に戻れないので迷子ふだを活用しなければならないほど重篤な状態にあった。
平成22(2010)年冬には、本人の努力と先生方・家族の支えで、体力も回復。発病前後の記憶は欠損しているものの、古い記憶は保たれており、見舞い客も認知できる状態に症状が改善。また、リハビリテーションのない週末は自宅への外泊もできるようになった。「スキー場に行ってきた」と聞いたのもこの頃のことであった。
平成22(2010)年6月、主治医と相談し、両親の同意の下毎月1回会社に顔を出すことにした。また労災保険の休業申請を直接監督署に提出させることもした。これは、社員はじめ関係者にリハビリテーションの成果を見てもらうことが大切だと考えたからであった。
平成22(2010)年11月、富山県高次脳機能障害支援センターから富山障害者職業センターに職業評価を依頼。同年12月2週間にわたる職業評価が実施された。その後富山県高次脳機能障害支援センター支援員、富山障害者職業センターの障害者職業カウンセラー、両親を交えて今後について相談。本人の希望は、頑として「会社に戻りたい」「以前のように施工管理の仕事に戻りたい」であった。
2. 取り組み内容と効果
(1)取り組みの内容
- 復職に向けての取り組み
本人の強い意向を受けて、平成23(2011)年1月復職へ向けての取り組みが始まった。
まず、富山障害者職業センターが職業リハビリテーション計画を策定。平行して、継続就労に耐える体力があるのか主治医の判断を仰いだ。
また、職場復帰には自動車での通勤が不可欠であったため、富山県高次脳機能障害支援センターに運転能力評価を依頼し、運転適性があることを確認した。
続いて、平成23(2011)年2月から3ヶ月にわたり、富山障害者職業センターにて職業準備支援 (主に当社所定の見積書書式へのデータ入力訓練)が実施された。
復帰する職場は、2年近くの闘病生活による体力の衰えと通勤時の交通災害を危惧して、自宅に比較的近い富山支店(おうちの情報館)勤務に決定。富山障害者職業センターが復職予定の富山支店を訪問し、雰囲気や復帰後の仕事内容についてヒアリングを実施した。また、本人が通勤できるか、富山支店への通勤訓練を補助者同乗の上、複数回実施した。
これらを反映したジョブコーチ支援計画書も完成。復職後も一定期間富山障害者職業センターのジョブコーチに支援を仰ぐこととした。
- 復職時の取り組み
平成23(2011)年5月17日、いよいよ復職を果たす日がやってきた。この日のために会社がおこなった取り組みは、以下のとおりである。
a. | 援助者に支店長を任命。席を援助者の横に配置し、容易に見守り、声かけができる体制を整えた。 |
b. | 勤務時間は、体力面と安全面を考慮し、当面通勤ラッシュを避けた短時間勤務とし、休日も日曜日と水曜日に設定。1時間毎に休憩を取らせることとした。 |
c. | 勤務が始まると、安否を確認するため出勤、帰宅の確認を実施した。 |
d. | また、時間管理を援助するための休憩、終業時の声かけを実施した。 |
e. | 記憶を補うものとして、メモをとり、確認するよう習慣をつけることが、社会生活を継続する上で有用と認知されている。そこで、業務内容が容易に記入できる日報を本人用に作成、運用させた。 |
f. | 業務においては、記憶に頼らず、体で覚えていくことも重要だと確認したので、新たにパソコンを購入。手順書のある定型作業(パソコンでの入力作業など)に取り組んでもらうこととした。また、会社の採用しているグループウェアに自分のスケジュールを入力。公開・活用するよう指導した。援助者は早速、全社員に向け「今週から富山支店に復職しました。近くに寄られたら、プラスの声掛けをお願いいたします」とメッセージを流した。 |
(2)取り組みの効果
就労継続に一抹の不安をかかえながらのスタートだったが、ジョブコーチの支援が終了する頃には、仕事にも慣れ、無事故で、順調に体力も回復。「早く現場に出たい。」という要望も出すようになってきた。
復職から3ヶ月経過した平成23(2011)年9月1日、フルタイム就労を達成。就業時間や休日も当社カレンダーによる体制に復帰した。
現在はパソコンを使った入力作業に加え、先輩技術者と一緒に建築現場で汗をかきながら測量作業などの施工管理の仕事もできるようになってきた。また、休日には趣味のゴルフ、買い物や映画に友人と出かけるなど充実した時間を過ごしている。
現場での作業の様子
現在運用中の日報
3. 今後の課題と展望
Aさんの復職から2年が経過した。本人の「会社に戻りたい」「以前のように施工管理の仕事に戻りたい」という気持ちでここまで来たが、依然として記憶障害は残る。障害を個性ととらえることは、机上では理解できても内部障害者と同様、高次脳機能障害者に対する周りの理解は難しいものがある。就労を継続していくためには、本人の仕事に対する変わらない想いと、共に働く仲間の高次脳機能障害に対する一層の理解が必要だと感じる。今年(平成25(2013)年)6月1日は当社の創立記念日にあたり、永年勤続者の表彰があった。社長からは、受賞者に「『継続は力なり』、長くひとつの会社でキャリアを積み、実績を残すことは大きな功績であり、なかなか真似できないことであり、表彰に値する快挙であると確信します。長きに渡り弊社の社業を支えていただき、心より感謝致します。ありがとうございます」とのメッセージが送られた。10年表彰を受賞したAさんは「ありがとうございます。20年、30年も表彰されるように頑張ります」と応えてくれた。
皆さまのお役に立てるホームページにしたいと考えていますので、アンケートへのご協力をお願いします。
なお、事例掲載企業、執筆者等へのお問い合わせや、事例掲載企業の採用情報に関するご質問をいただいても回答できませんので、あらかじめご了承ください。
※アンケートページは、外部サービスとしてユミルリンク株式会社提供のCuenote(R)を使用しております。