障害の特性に応じて適所配置で対応し、障害者が笑顔で働ける普通の会社として
- 事業所名
- 株式会社 シャルマン
- 所在地
- 福井県鯖江市
- 事業内容
- メガネフレーム及びメディカル製品の企画・製造・販売
- 従業員数
- 659名
- うち障害者数
- 9名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 7 財務・マーケティング・製造 内部障害 2 製造 知的障害 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
1. 事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の概要
福井県におけるメガネの製造は国内生産の95%を超え、鯖江市はそのメガネ関連企業の一大集積地となっている。
当社の歴史は、1956(昭和31)年にメガネフレームに使われる小さな部品の製造から始まり、徐々に生産技術・規模の拡大により完成品メーカーとなり、1975(昭和50)年からは国内での直接販売にも乗り出した。その後、国内のみならず海外にも販路を広げ、現在は高品質のメガネフレームを世界100か国以上の国々へ販売しており、地方都市に拠点をおきながらグローバルな活動を続けている企業である。
近年は、金属研究の世界的権威である東北大学との共同研究により、未体験の心地よさを創造する次世代のチタン合金の技術開発、製品化に成功。また同時期に、県内産業の育成と振興・発展を支援しているふくい産業支援センターの協力のもと、レーザ接合技術の世界的権威である大阪大学との共同開発により最先端の光加工技術(微細レーザ接合)の実用化に成功した。
これらの技術を駆使して新しく開発されたチタン合金を使用することにより、これまでにないデザインとソフトな掛け心地を実現したメガネフレームを創ることが可能となった。
最近では、これまで培ってきたチタンの加工技術とレーザ接合の技術などを応用して、医療分野への進出を開始し、メディカル関連の製品の企画・製造・販売を行っている。
このように、私たちシャルマングループは、現在、世界的なマーケティング活動を行い、メガネフレーム及びメディカル製品における技術、デザイン、製造、販売のあらゆる分野において継続的な活動を続けている。すべては、"世界中の人々に安心と喜びを提供したい"という想いのために……。私たちは、地球規模の発想で新しい夢に挑戦し続けている企業である。
(2)障害者雇用の経緯
当社で障害者雇用の取り組みを始めたのは1989(平成元)年頃、きっかけは特別支援学校の生徒を学卒採用したことである。
元来、メガネの生産工程は、メタルフレームにおいては、組立前(接合前)のパーツの段階ではネジ類を含めて20にも満たない点数である。しかし、そのパーツを作る段階において、工程数が約80あり、最終的には200~250の工程から成り立っている。
鯖江市におけるメガネ工場においては、一般的には部分的な工程を受け持つ分業体制となっているが、当社の場合は、自社において金型製作から最終仕上げまでのすべての工程を行っている。障害の程度に応じて仕事に携わってもらうことを考慮した場合、メガネ製造におけるすべての工程を有していることが、障害者雇用に役立っていると思われる。例えば、製造ラインにおいては、立ち作業で複数工程を一人が受け持つ方式を基本としているが、座っての作業により対応できる工程もあり、このような工程に障害者を配置している。
国内最大規模のフレーム工場として、また、地域社会への貢献として、障害の程度に応じて仕事に携わってもらい、障害者雇用を維持するよう心掛けている。
2. 取り組みの内容と効果
(1)取り組みの内容
障害者雇用を始めた当初は、主に製造部門のみへの配置であった。製造工程の中でもそれほど動き回らなくてもよい立ち作業には、それに対応可能な肢体不自由者を配置し、肢体不自由で歩行困難あるいは車いすの場合には、固定した場所での作業を任せてきた。
また、これまで現場経験が長く、生産工程・技術的内容を熟知しており、後年に内部障害になった社員は、製造における部署全体の管理職として能力を発揮してもらっている。
その後、本社社屋を建てる際に、障害者雇用を進めやすい環境を整えるため、バリアフリー対応の設計、建物としたことをきっかけに、新卒採用、中途採用において積極的に障害者の受入れを始めた。
現在、財務部に勤務する女性社員は、下肢障害者で歩行には両杖を使用している。当初はパート契約として採用され、物流部において製品の検品作業を担当してもらう予定であった。しかし、同じ時期に財務部においても社員の補充が必要となったため、まったく経理・財務の知識がない状態であったが、チャレンジしてもらうことになった。最初は補助的作業からスタートしたが、次第に業務量も増え、併せて責任度合も大きくなっていった。本人も自己啓発に努め、資格取得として簿記3級から簿記2級へとステップアップしていった。こうした態度やその能力が認められパートから正社員に転換した。
もともと本人はものづくりやデザイン的な仕事が好きで、本来ならこのような仕事をやりたいという夢もあるそうだが、まずは与えられた今の自分の仕事をきっちりこなすというスタンスも素晴らしいことである。部署内の支援としてはメンター的に先輩女性社員がつき本人の体調具合や仕事に関するアドバイスやフォローを含め、親身になって対応したことも見逃せない点である。
また、製造部門に勤務する男性社員は、熟練した手先の仕事として製品の最終仕上げ・調整などに従事している。この社員は、下肢障害者で車いすを使用しており、当初障害3級であったが、その後障害が進み、障害2級となった。徐々に腕の筋力も落ちてきているが、現在も勤務を継続している。この社員は、障害者になってから二十数年間の勤務が認められ、優秀障害勤労者として厚生労働大臣表彰にも選ばれたこともある。
会社としては、障害者を特別扱いせず、できることをできる範囲でやってもらい、できないことまでは要求しないという姿勢で、例えば肢体不自由者の駐車場は社屋に一番近い場所を確保する、作業内容を軽減するなど、個々人に合わせて柔軟な対応を行ってきた。また、そのような対応ができるように、現場の部門責任者は、障害者本人の健康状態や体調面を注意して観察するように心がけている。
(2)取り組みの効果
障害のない者がいて、そして、障害者がいて一つの社会を構成していくというノーマライゼーションの考えを、従業員の大多数の者が違和感なく持てるようになったと思われる。障害者に対して特別な感情を持つのではなく、ごく自然体で一緒に仕事をやっていく。眼鏡を掛けられる皆様が安心して快適な視生活を送ることができるようにするという会社としての一つの目標に、一人ひとりが自分のポジションで取り組んでいく自然な感じである。
雨が降っていれば、駐車場で障害者が車から降りる姿を見れば傘をさしてあげる。冬になれば、夕方帰る頃には障害者の車に雪が積もっていれば誰かが雪を落としておいてくれる…。こんなことが自然にできている会社であり、そういうことの積み重ねが障害のない者と障害者の相互理解につながり、それが企業の風土となってきたのだろう。
障害者のことを真剣に思う一例として、防災訓練時において、以前は車いすの社員を先にエレベータで降りてもらっていた部署があった。しかし、それでは本当の訓練にならないという意見があり、エレベータを使用せずにどのように避難させるか、その方法を一緒に考え、実際にやってみようという試みにも繋がったことは、障害のない者と障害者の相互理解の一例である。
3. 今後の展望と課題
当社の場合は、幸いにも障害の程度に応じて仕事へ携わってもらうことができる様々な部署・仕事があり、法定雇用率も達成しているが、女性障害者の雇用が少ないのが課題である。また、障害者対応のトイレになっていない建物があるため、順次改修していく予定としている。
今回、この原稿を書くにあたり社内の障害者と話をした。
彼女は、成人に近くなってから障害を持った社員で、障害のない者の立場も障害者の立場もわかっての発言であるが、「"社会全体として、とにかく障害者にチャレンジさせてみよう"という考えが必要なのでないか。あまりに守られ過ぎていて、敷かれたレールの上しか進ませない、進まないようでは雇用の拡大にはつながらないのではないか」と。
また、「メンタル面では、障害者のほうが障害のない者よりある意味では強い面もあり、本人が"トライしたいという気持ち"を大切にし、責任を持たせれば、なにがなんでもやり抜くという気持ちは持っている。少し乱暴な言い方かもしれないが、"社会に放り出す位の気持ち"や本人もそういう気持ちになることが必要かも」と話していた。
トライして上手くいかなかったら、また考える…。お互いにそういうスタンスが必要かとも思われる。
ある社員は「仕事につらい思い出はない。やりがいを感じている」とも言ってくれた。すべての障害者が同じような思いになってくれる会社になるよう、今後も努力していくつもりである。
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