失敗をきちんと注意し、落ち込んでいる時には励まし、快適に働ける環境をつくる
- 事業所名
- 株式会社東亜エレクトロニクス
- 所在地
- 岩手県二戸郡
- 事業内容
- 精密部品の加工・組み立て
- 従業員数
- 70名
- うち障害者数
- 3名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 内部障害 知的障害 3 工場内の片付け・清掃、簡単な加工作業 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
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1. 事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の概要
当社は、めっき処理・特殊表面処理などの事業を行う株式会社東亜電化(盛岡市玉山区)から昭和59(1984)年に分社化され、二戸郡一戸町に設立された。めっき加工の前後の工程が増えたことと、雇用面で地域に貢献したいという先代社長の思いが背景にあったようだ。
設立当初は、同社で加工した部品を東亜電化がめっき処理するという流れの仕事が多かったが、次第に減少した。現在の事業の主流は、建物や自動車、携帯電話に使われる精密部品の加工や組み立てだという。下請け作業がほとんどで、年々扱う製品の種類が変化・増加している。大量生産から少量多品種となり、従業員にはより精度が高いものを作るスキルが求められているそうだ。
経営理念は「地域に根ざす」「環境にやさしく」「変化に対応」である。現在の社長は2代目で、「できるだけ解雇はしない」がモットー。あとで詳細を記載するが、障害者に担当してもらえる作業がどんどん減っているが、できるだけ長く雇用したいと企業努力しているところだ。
(2)障害者雇用の経緯
雇用している障害者3名はすべて女性で重度知的障害者である。3人のうち2人は平成元(1989)年から、もう1人は平成4(1992)年から勤めている。取材に対応してくださった総務課の千葉繁雄課長は10年ほど前から同社に勤めているため経緯を知らず、それに関する資料等も残されていないが、次のように推測する。
「この地域はもともと特別支援学校やグループホーム、障害者が働く施設が多いので、そこから依頼されたことが雇用のきっかけではないかと思います。3人とも18歳の時から当社で働いていますので、学校を卒業してすぐに入社したようです。」
3人ともはっきり話すことができないので、最初は言葉が聞き取りにくいが、慣れるとコミュニケーションはとれるので、雇用につながったと思われる。
同社では平成4(1992)年以降も2人の障害者を雇用しており(3~4年前に退職)、担当してもらえる作業があれば不定期で雇用していたそうだ。
2. 取組の内容と効果
(1)取組の内容
3人が勤め始めた頃は1つのラインを数人で担当する流れ作業が多く、平成元(1989)年に入社した2人はそれを担当していた。2人とも話していることがよく聞き取れないが、簡単な作業で、かつ、指導する側が根気よく教えれば、作業することができたという。それでも、担当してもらうのは全体の作業の5分の1程度の量で、残りを他の社員がチェックしなくてはならなかった。
しかし7~8年前から、前述のとおり受注する製品が変わったため、一人で完結させなくてはならない作業が増えた。また、製品の種類が増えたため何種類もの作業を覚えなくてはならなくなり、しかもその製品は高い精度が求められるものなので、高いスキルと判断力が求められるようになった。
そのため平成元(1989)年に入社した2人が単独で作業できる仕事がなくなってしまい、工場内の片付けや清掃が主な業務になったという。
時々、ラインとは別の部署で簡単な作業を頼まれることもあり、その指示は現場のリーダーの女性が行う。その女性は長く勤務しているので、2人とのコミュニケーションも慣れている。指示・指導する時には特別扱いはせず、はっきり話すという。
「仕事なので失敗した時にも本人に理解しやすい言葉で注意しているようです。たまに、落ち込んでいるところを見かけたことがありますが、切り替えが早いようで、翌日欠勤したり『やめたい』と言ったり、などの問題は一度もありません」と千葉課長。
平成4(1992)年に入社した女性も重度の知的障害者だが、平成元(1989)年入社の2人と比べると理解力があるので3人一組になって仕上げる仕事の一端を担っている。専用の機械を使った部品加工で、10年以上担当していることもあり、「障害のない社員と同じ、またはそれ以上の仕事ぶりだと思います」と千葉課長。作業の内容は同じだが、完成計画数は日によって異なるので、その指示が記載されている「作業日報」を見ながら作業しているという。
3人のうち、平成元(1989)年入社の女性1人は町内のグループホームから通い、他の2人はやはり町内の自宅から通っている。どちらも車で5、6分の距離だが、毎日家族が送迎するのは難しいので、タクシー会社に通勤用タクシーの運転を委託しており、それを使って通勤している。同社は街なかから離れた一戸町南端に立地しているが、他の社員の中にも自家用車での通勤が難しい人がいるため、このタクシーに同乗しているという。ちなみに以前は同社で自前で通勤専用バスを運行していたが、利用する人が減ったためタクシー会社に委託するようになったそうだ。
他の企業でもよく言われるように、3人とも素直で、用事を頼まれると障害のない社員よりも素直に返事をして働くという。また、遅刻や早退、欠勤はほとんどなく、まじめだ。そのため、これまで大きなトラブルはない。すでに20年以上勤務していることもあり、3人の家族や施設関係者と連絡をとりあうことはほとんどないが、問題はまったくないそうだ。
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(2)取組の効果
平成元(1989)年入社の2人に関しては、「仕事で失敗するなどして落ち込んでいることがあれば、声をかけたりします」と千葉課長。そのように励ます一方で、使った掃除機を片付け忘れたり、マットを下ろし忘れるなどのミスがある時には、きちんと注意するという。その際2人は言い訳することもあるそうだが、千葉課長は聞き流すようにしているとか。こちらが割り切って対応することで、お互い気持ち良く仕事ができるような環境をつくっているといえる。
3. 今後の展望と課題等
(1)今後の展望と課題
千葉課長が今一番懸念しているのが、「3人とも採用後20年以上が経過し、物忘れが多くなったり、筋力・注意力が衰えてきていること」である。前述のような「掃除機の片付け忘れ」「マットの下ろし忘れ」もそのひとつだ。
また後者の場合は、ケガにつながるケースもあるという。現在、平成元(1989)年に入社した女性が自宅でちょっとしたことで足を骨折して休職中。また1年ほど前には、平成元(1989)年入社のもう一人の女性が、応接間の清掃中にテーブルの上のガラス板を自分の足に落として骨折したそうだ。
「もう何年もやってもらっている仕事なので安心して任せていたのですが、やはり加齢の影響で注意力が衰えてきているのかもしれないと感じました。その女性にはそれ以降、安全靴を履いてもらっています」と千葉課長。
一方で、前述のとおり同社の仕事内容が変化し、障害者に担当してもらえるような仕事が減っているので、今後の採用予定はない。
「当社の仕事はまだ7~8割が手作業、もし仕事の半分が機械化・自動化されれば、あるいは、ジョブコーチに来てもらって仕事内容をあらためて検討してもらえれば、障害者を雇用する機会が増えるかもしれませんが、現時点では現実的に難しいですね」と千葉課長。
逆に千葉課長は、直接雇用だけが支援ではないと考える。例えば同町には障害者が働くカフェがある。同社では社内のイベントや研修などの際には、そのカフェからまとまった数の弁当を購入する。「これも間接的な雇用確保になっており、この方が多くの企業にとってはハードルが低いのでは」と話す。
(2)障害者の雇用を検討している企業へのアドバイス
千葉課長は、障害者を雇用している企業の担当者として、地域の障害者支援ネットワークに加盟し、他の企業や自治体、福祉施設、ハローワーク、職業訓練校などと情報交換している。そうした経験も含めて思うのは、「障害者は個人によって大きく差がある」ということだ。例えば同社で雇用している3人をみても明らかで、「重度知的障害者」ではあるが、一人でできる作業内容に差がある。またコミュニケーションがとれる、とれない、という違いもある。そこで「雇用の際には固定観念を持たず、実際に会って話してみて判断した方が良い」と訴える。
また、実際に自分の会社の仕事ができるか判断するために正式雇用の前に職場実習をした方が良いが、「実習=雇用」と考えない方が良いと次のようにアドバイスする。
「一般的には、実習をさせて問題がなければ雇用するパターンが多いので、実習後は絶対雇用しなければいけないのではないかと考えて実習そのものに消極的になる、という話を聞きます。でも、そのような取り組みが行われないと、お互いを知る機会がなく、最終的に障害者の雇用の場は広がりません。実習と雇用は別、と割り切って、気軽に実施した方が、障害者にとっても企業にとってもプラスです。『その人が仕事ができる』ことと『その人を雇用する』ことは別だと思います。」
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