本人の可能性を信じ、根気強い関わりを持ち、雇用が継続している事例
- 事業所名
- Jパックス株式会社
- 所在地
- 大阪府八尾市
- 事業内容
- ダンボールケース、その他化粧箱の製造販売
- 従業員数
- 35名
- うち障害者数
- 4名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 内部障害 知的障害 4 製造職 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
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1. 事業所の概要、障害者雇用の現状
(1)事業所の概要
Jパックス株式会社(以下「Jパックス」という。)は昭和26(1951)年製縄業を個人で営み、昭和44(1969)年株式会社福和紙器工業所を設立。昭和49(1974)年フクワ紙器工業株式会社(以下「フクワ紙器工業」という。)に社名変更し、平成20(2008)年に現在のJパックス株式会社に社名を変更した。
創業当時から大阪府八尾市においてパルプ・紙の加工品や梱包用ダンボール箱製造の老舗メーカーとして、ダンボールケース・ダンボール製品の製造販売、梱包用副資材の販売、美粧ケースの製造販売を行っている。
(2)障害者雇用の現状
Jパックスでは、前身のフクワ紙器工業の頃から、地元の特別支援学校(当時は養護学校)から実習生を定期的に受け入れていた。
平成2(1990)年には、その年実習にきていた高等部卒業予定のAさんを、その後もBさん(高等部卒業)を、障害者職業能力開発訓練施設の修了生であるCさん、Dさんの採用を行った。
障害のある従業員が実際に携わっている仕事は、ダンボール原紙を加工し、ダンボール箱を作るという工程で機械操作をしている。また、原材料の搬入や、製品搬入出入口の積み込みなどの作業も行っている。
障害のある人の採用担当者は、「長年実習生を受け入れているので、実習の様子を見れば仕事を続けていけるかどうかを判断できる」と話しており、いままで障害のある人の退職は1人もいないし、辞めたいと申し出てくる人もいなかったそうである。
現在は勤続23年になるAさんを筆頭に、4名の障害のある従業員が元気に働いている。
2. Cさんの事例
今回はCさんを中心に、3つの過程「就職するまでの経過」、「トライアル雇用から定着まで」そして「現在」に分けて見ていく。
(1)就職するまでの経過
Cさんは、高等専修学校を卒業後、障害者職業能力開発訓練施設の作業系のコースに入校する。注意欠陥・多動性障害と診断されていたこともあり、入校した当初から修了するまでの1年を通じて、集中力を持続することが大きな課題であった。また、イライラがたまると家で壁や床に頭を打ち付けたりする自傷行為をすることもあり、精神を安定させるため、定期的な通院(月1回)と服薬をしていた。
所属していたコースでは、作業訓練として折り箱班・貼り箱班・トナー班のそれぞれの班に分かれて、同じ作業を続けなければいけなかった(作業班の変更は2・3ヶ月に1回)。入校当初は、体力がついておらず、10時~16時30分までの立ち作業が辛く、勝手に座り込み、また、1時間に1回はトイレ休憩をしていた。体力がついてきて、1日中立つことに慣れてくると、今度は作業場をウロウロしたり、自分の好きな作業だけをしたいと指導員に訴えたりしてくるようになった。一番印象に残っていることは、休憩時間中にトムソンという機械の前で大の字になって寝ていて、注意を受けたことである。
そのような長時間集中するのが苦手でマイペースなCさんだが、一緒に入った訓練生がどんどん体験実習へ出かけ、同実習先に就職先が決まっていくのをみて、「実習に行きたい」と毎日言ってくるようになった。「就職したい」という気持ちは、どれだけ注意を受けても折れることなく、誰よりも強く持っていた。
そして、修了まであと4ケ月になった頃、ダンボールを製造する会社で2週間の体験実習を組んだが、「会社の雰囲気が自分にあわない」という本人の希望により、2日間で実習を中止することになった。その後、センター内での訓練を再開したが、修了2ヶ月前に近づくと「次の実習先を探してください」とソワソワしながら聞きにくる日が続いた。その後1ヶ月間訓練に集中させてから、2回目の実習としてネジの加工をする会社で2週間の実習を組んだが、「機械の音の大きさと加工する時の匂いが受け入れられない」ということで、本人の希望により3日間で中止することになった。
そして、結局修了式までに就職先を決めることができず、就職が決まるまで継続して訓練を受けることになった。再訓練生になって1ヶ月はセンター内での作業訓練を続けたが、同期が修了して新しい訓練生たちが入校してきたこともあり、「1日も早く自分も就職したい」という気持ちがさらに強まった。今まではそれが行動につながることはなかったが、集中できる時間も長くなり、「しんどい」と言ってくることも少なくなった。
そのため、場所が変わっても頑張る力が身についているかを、1ヶ月間の体験実習を印刷会社で設定し、商品を結束することや包装する作業の実習期間を無事に終えることができた。その後は、紙器の作業を中心にされている作業所に実習生として1ヶ月間通った。
(2)トライアル雇用から定着まで
Cさんは、作業所でも手を抜くことなく実習を続けていくことができ、そろそろ就職を考えても大丈夫ではないかと思っていた時に、フクワ紙器工業の求人に出会うことになった。入校した時から、「紙関係の仕事につきたい」という希望を持っていたので、迷うことなく「行きたい」という返事であった。会社の人との面接を受けて、平成17(2005)年7月5日からトライアル雇用を開始することになった。
就業時間は8時30分~17時30分までで、作業内容は仕上がったダンボールをパレットに積む作業であった。トライアル雇用中は、ダンボールの積み方を訓練したが、どんどん製品が流れてくるため、短時間で製品を積み、積み終わったパレットに伝票をはさみこむなどの作業が難しかった。また、機械の調整などで、製品が流れてこないなどダンボールを積む作業に空き時間ができた時は、どう対処してよいかがわからずに困ってしまうことがあった。
Cさんはトライアル雇用を修了する時に、空き時間のことや周りの人たちのスピードについていけなくて、注意されることもしばしばあり不安になるという話をした。会社の人からは「このまま少しずつできることが増えていったら大丈夫」という評価だった。この話し合いの時に、今までと違って嫌なことがあるから「辞めたい」と自分で言って逃げ出すことはしなかった。
常用雇用に変わってからは、ダンボールの置き方を覚えていこうと努力し、次の工程の人に作業スピードが遅くて迷惑をかけないようにと、速さと正確さを意識するようになった。また、空き時間には周りがどんな作業をしているのかを確認しながら、自分の作業をしているスペースをきれいに整えていくこともできるようになった。
作業のほうは、少しずつ仕事量が増えていった。しかしCさんは1人での行動を好むため、お昼などの休憩時間はいつも1人でいることが多かった。ただ、遊びに行ったりすることが大好きなので、社員旅行に参加したり、忘年会などの行事には欠かさず参加していた。
(3)現在
常用雇用になってからも2年ほどは定着支援ということで、年に2・3回程度は様子伺いで訪問していたが課題もあった。
常用雇用になって3ヶ月目頃からは、自分が納得のいかないことは、絶対に怒られることがわかっていても自分の意見を主張するようになった。しかし、当社の一緒に働く仲間たちは、Cさんが無茶をいっても社会人として「できるようになってほしいこと」については、理解できるまで根気よく話をし続けてくれた。
例えば、納期の関係でどうしても残業をしなければならないことがあり、Cさんは「嫌だ」と言ってしばらくは定時で帰っていた。けれども、協力してみんなで仕事を仕上げる大切さを3年間その都度話をしてくれたおかげで、いまでは残業に協力することができるようになった。
また、どのような製品が次の機械から流れてくるのかということや、仕事に関わる色々な情報を細かく収集する力もつけ、一人で段取りを組むことができるようになった。
さらに、最近は後輩にあたるDさんが入ってきたことによって、製品の包装と結束する作業をしながらの箱詰めや、自分が雇用された当初に悩んでいたパレットに積む方法を教えている。
8年が経過し、会社の仲間とのコミュニケーションも、始業前やお昼の休憩時間には2・3人と会話を楽しみながら過ごしている。また、バーベキューなどのイベントも積極的に参加を続けており、入社当初は1人で飲み食いすることを楽しんでいたが、みんなと一緒に話をしながら楽しむこともできるようになった。
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3. まとめ
Cさんが継続して働き続けることができた大きな理由は2つあると考える。
1つは、会社の仲間たちが徹底して「お客様扱いをしない」対応を取っていることである。具体的には、本人に1回でわかってもらえないことも理解して行動できるようになるまで、「年単位」で根気強く話をし続けてくれていることや、また、仕事に対して選り好みをし、できることを他の人にやってもらおうとする時などは、厳しく注意をしている。
今の課題は、「お客様の気持ちを考えて仕事をすること」である。製品が完成したから良いというのではなく、お客様にとって「傷や汚れがあったらどうなるのか」と言うことを製品の扱いが疎かになってしまう時に話をしている。
2つ目は、本人に働くための心の準備ができたことである。「働きたい」という気持ちがあっても、実際に就職するまでに色々なことを体験した中で、自分のやりたいことだけでは働けないということを本人が自覚するようになった。いまでも自分の意見を言って、上司の人と言い争いになり、厳しく注意されると翌日休んでしまうことがあるが、次の日には「昨日はすみませんでした」と言って仕事に戻れるようになった。
また、就職するまでは、朝の出勤時やお昼休憩のときに、5分ほど遅れて来ることがよくあったが、入社してから遅刻は一切なく、だれに指示されたわけでもないが、朝の仕事が始まる前に作業場のモップがけをするようになった。
Cさんの負けん気と体力で、段取りができるようになったことを評価してもらいながらも、反面お客様の気持ちを考えて仕事をすることが苦手な現在の課題を、今後どのように克服して成長していくかが楽しみである。
執筆者: | 社会福祉法人大阪市障害者福祉・スポーツ協会 大阪市職業リハビリテーションセンター 指導員 藤井 麗子 |
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