我が社の障害者雇用は一つの作文から始まりました
2002年度作成
事業所名 | 株式会社ハートフレンド(総合食品スーパー フレスコ) | |||||||||||||||||||||
所在地 | 京都府京都市 | |||||||||||||||||||||
事業内容 | 総合食品スーパーマーケット | |||||||||||||||||||||
従業員数 | 1,000名 | |||||||||||||||||||||
うち障害者数 | 13名
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1.会社概要
当社は「勧修公設小売市場」の個人経営者約20名が共同出資し、1987年3月に設立した。このときは、主に市場内の空き店舗対策のためで、会社で空き店舗を運営することにより、市場内の活性化を図ることであった。つぎに、1967年に「勧修寺公設小売市場」を開店して以来、一度も改築されていないため、貸主の京都市が建物内部の全面改築を決定し、1992年1月から6月まで休業することになった。これを契機に、共同店舗型の経営に見切りをつけ、個人経営者のほとんどが自分の商売を廃業し、1992年7月、生鮮強化型食品ディスカウント・スーパー《フレスコ》をスタートさせ、今年が創業10周年である。 |

2.会社の経営方針
当社の創業以来の経営理念は、『来店されたお客様の満足を得る』事である。 商売というのは、お客様のためにあるはずなのに、これを無視して、自分の勝手都合で商売をする、といったことが、往々にしてある。当社では、お客様の満足を得るため、いろいろな見直しをした。一例を申し上げると、当社でも売上・客数を伸ばそうとし、いわゆる「激安チラシ」を配った時期もあったが、店内が大混雑し、店側のサービスが行き届かない、午前中に売り切れて、午後以降の来店者には全くメリットがないことなど、売り手側の都合だけで商売をしているのではないかという疑問に突き当たった。そこでこれを廃止し、定番商品の価格を下げる原資にし、いつ買い物に来られても、他店よりも安い価格でお買い求めいただけるようにした。 |

3.障害者雇用のキッカケは
当社の発足時には、障害者を雇用する考えは全くなかった。たまたま1998年の夏、三条店に女子高校生がアルバイト就労を希望しそれを受け入れたことがあった。その人が養護学校の高等部の生徒さんだったわけである。その後、ハローワークの職員と養護学校の先生が来られ、その人を卒業後に採用を考えてほしいと要望があった。当社では初めての障害者雇用ということで、正直なところ若干の戸惑いがあったが、仕事の上で何ら支障がないという現場からの報告が決め手になって、採用した。 彼女の入社後の夏、冒頭に紹介した作文が出身校の「PTA会報」に掲載されているのを読んだ。そこには社会人として、初めての経験にチャレンジしている様子が生き生きと描かれており、感動を覚えた。これを社長をはじめ幹部に回覧し、障害者雇用について認識を深めていった。これを契機に、全店一名ずつ採用していく方針を固めた。今日では身体障害者3名(内重度3名)知的障害者9名(内重度5名)精神障害者1名の計13名の障害者の皆さんが従事している。 |

4.障害者の職場定着・能力開発の経過
障害者を雇用するようになってからまだ3年半ほどであるが、店側、障害者側の双方に問題点が発生してきている。店舗段階で解決できない場合には、私(常務取締役)のところまで報告させ、本人及び両親、ハローワーク・障害者職業相談室、養護学校など関係機関と十分話し合いをし、解決するように心がけている。 |

(1)雇用側の事例では |

現場が障害者との対応に不慣れなため、必要以上に身構え、あれこれ手助けをしてしまう傾向があった。これは結局、甘やかすことになり、本人がそれを良いことに増長してしまい、遅刻、無断欠勤が頻発し、結果辞めてもらわざるを得ない状況になったことがある。 私は、現場に対して、それぞれの障害者のハンディには正しい理解をし、“甘やかし”と“やさしさ”は全く違うのだということ、仕事の指導は厳しく、ということを常々言ってきている。このような積み重ねが健常者と同等に扱われているという意識を高め、仕事に対する自信が深まるものであると確信している。 |

(2)障害者側の事例では |

一年ほど前、ある障害者がサラ金に手を出してしまい、店にまで取り立ての電話が朝から鳴り、とても仕事どころではなくなった。本人を休職にし学校とも連絡を取り、どうしてサラ金を使ったかという原因を糾し、最終的に法律家を入れて解決した。会社としては退職させることも視野に入れながら、検討してきたが、現場からは、なんとか辞めさせるのは考え直してほしい、何故ならその人は他の人にない仕事の安定性・確実性があり貴重な戦力だというのである。私はこの意を汲んで本人に厳しく指導した上で雇用を継続させた。 また、ある店に43歳の聴覚障害の男性を配置した。現場はそんなことは未経験だから、どうしたら良いのか分からず、はじめはうろたえたが、しだいに顔を見てゆっくり喋れば意思が通じることが分かり、少し安心したそうである。それとその前にはじめて彼が職場に来たとき、店長がにわか仕込みのモーレツ勉強で身につけた手話で自己紹介をしたそうで、それがその後気持ちを通じ合わせるもとになっていたそうである。顔を見てゆっくり喋り意思疎通を図る、忙しさのためついこれを怠るととんでもないハプニングが発生する。『長芋を用意しておくように』という指示がキチンと伝わらず、本人は一生懸命『ジャガイモ』を陳列してしまった。それからはちょっとしたジェスチャーを交えてゆっくり喋ることが大事だということが分かった。そしてこのことは、お客様の中にも耳の不自由な人が来店されるわけで、この点でも接客好感度アップにつながっている。 |

5.雇用継続のための職場での介助者の役割が重要
当社は知的障害者の人数の割合が多く、年齢層は20歳代で、まだ考え方が未熟な面も多く、仕事を覚えさせることと同じ分量で『人の教育』を行わなければならない。 それが職場介助者の役割である。また、やはり障害者は、そのハンディが遠慮心を生み、言いたい事が言いきれないところがある。たとえば、いつもの介助者が休日時に、交代の人がいつもと違う指導をしたら、トタンに戸惑ってしまい、仕事の手が止まってしまう事態が生じた。後で聞いたら、本人は「いつもの手順はこのように教わっています」と、率直に言えない、言えば辞めさせられると思ったというのである。私は強い衝撃を受け、介助者には指導は一貫性を持つように、障害者には「ハッキリ言っても辞めさせられることは絶対にない」ということを説明した。 採用面接をしていると、中には障害があるために、いろいろの差別を受けてきたと話す人がいる。聞いているのもつらくなるような体験も聞いた。本当に社会全体がもっと障害者に正しい理解をしなければならないと思った。私は各店長へ障害者を未雇用の店舗は、雇用する計画を立てなさいという指示をしているが、面接をするときは、ハッキリと「あなたは何が出来ますか?、あなたは〇〇の仕事が出来ますか?」と聞きなさい、そしてやる気があるかどうかを把握して採用するようにしなさい、といつも言っている。 障害者の定着を考えるとき、会社としても、私も、障害者の理解はまだ未熟なのだから、これからも障害のある従業員本人とハローワーク・学校と会社が三つ巴になって連携を強めて対応していかないと長続きはしないと考えている。 当社は創業してやっと10年である。一つの作文に端を発して、すべての店舗で障害者を雇用しようとして、企業として利潤を追求することと、二律共存で取り組んできた。今後も予期せぬ失敗がないとは言えない。そういったことにひるまず今後も一歩一歩進めていきたいと考えている。 |

6.作文
— この手紙は従業員の和田さんが卒業した 京都市立白河養護学校のPTA会報に寄せたものです — |
『仕事をして、五ヶ月』 |
平成十年度卒業生 和田 千明 |
私は、今年の三月に、白河養護学校を卒業しました。今は、ハートフレンド株式会社(スーパーフレスコ三条店)に勤務しています。ここのスーパーには、白河養護学校の三年生の夏休みから、アルバイトをしていました。だから,入社したときは知っている人がたくさんおられました。フレスコ三条店の店員の人やパートの人に、「今日から一緒に頑張ろうね。」といわれました。私はそう言ってもらえて、とってもうれしかったです。一生懸命がんばろうと思いました。 私の勤務時間は、午前八時三十分から午後三時までです。午前八時三十分から午前九時四十五分までは、開店準備をします。私の主な仕事は、野菜のいれかえや、野菜がいたんでいないか見たり、商品の補充をしたりすることです。この時間が、一番いそがしくて、とっても、たいへんです。それから、朝礼があります。朝礼で昨日の売り上げを発表します。三百四十万をこえると大入りです。そして、店長さんの話があります。今日の売上げの目標を、デリカ、精肉、鮮魚、青果、食品の順番に言います。「おはようございます。いらっしゃいませ。今日も一日笑顔で、よろしくおねがいします。」とあいさつします。朝礼がおわると、店内を、みんなで協力して、そうじをします。店のすみからすみまで、そうじをします。そうじがおわったら、もう一度、ゴミがおちてないか見ます。そうじがおわると、ポップをつけます。ポップと言うのは、商品の名前とねだんがかいてあるふだです。お客さんが分かりやすいところにつけます。ポップをつけおわったら、もう一度チェックします。そして、開店時間。まず最初の仕事は、開店準備で補充したときに商品が入っていた、ダンボール箱をかたづけます。次は、店の中に入って、商品がないものと少ないものをチェックします。チェックがおわったら、ないものや少ないものを袋づめしたり、ラップしたりします。ここの仕事は、袋づめやラップだけではありません。商品の補充をしたり、お客さんの対応をしたりすることも、ここの仕事です。 五ヶ月たって、私が思ったことは、たいへんなことも多いけれど、仕事をたのしくやると、しんどいとは、思わなくなるということを知りました。ここのスーパーでアルバイトをやっていた時よりも、色々な、仕事をさせてもらえるようになったし、時間も長くなったし、やっぱり、アルバイトとちがうんだなあと思いました。だけど、私は、まだ、まだ、出来ないことも、たくさんあってスーパーの人に迷わくをかけています。私なりに、迷わくをかけながらも一生懸命に仕事を頑張っています。これからは、色々な仕事をやっていき、早く、色々な仕事が出来るようになり、スーパーの人に迷わくをかけないように、がんばりたいです。 ~ 中略 ~ 仕事をやってきて、色々なことを覚えることができました。たとえば、今まで知らなかった、食品や食べ方なども知ることができ、いい経験ができてよかったです。たくさんのお客さんと対応しなければなりませんが、お客さんと対応することは、とっても、だいじなことだと、思うようになりました。 ~ 中略 ~ スーパーフレスコ三条店の従業員の人は、みんな良い人ばっかりで、本当に、うれしいです。これからは、スーパーフレスコの従業員の一員として、スーパーの、みなさんのあしでまといにならないように、みなさんと協力していきたいです。本当にハートフレンド株式会社に就職できて、本当にうれしいし、私の夢がかないました。これからは健康に気をつけて、仕事を、がんばっていきたいと思っています。 |

執筆者:株式会社ハートフレンド 常務取締役 向井 良次 |

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