中途障害による車いす使用者の雇用継続~さまざまな障害者を雇用してきた経験を踏まえて~
2004年度作成
事業所名 | 株式会社ムツミテクニカ | |||||||||||||||||||||
所在地 | 青森県南津軽郡田舎館村 | |||||||||||||||||||||
事業内容 | 電子機器用精密プラスチック製品製造業 | |||||||||||||||||||||
従業員数 | 146名 | |||||||||||||||||||||
うち障害者数 | 10名
![]() |
![]() 会社正面 |

1.障害者雇用の経緯
(1)最初の経緯 |

昭和62年4月1日に創業。 平成7年9月に行った夜間勤務要員の一般求人募集に、昼間人工透析治療通院のため夜間の仕事を希望する障害者がたまたま応募してきたのが、初めての障害者雇用のきっかけであったとのこと。 応募障害者の採否検討では、本人の労働意欲の高さと、芳賀弘社長自身が障害者雇用に大変理解を示し、社長の熱意の後押しもあり採用を判断した。 採用後の業務は、組立部が担当であるが、障害状況から立作業や移動作業を伴うラインへの組み入れを避け、自動機オペレーターを担当してもらっている。 初めての障害者雇用ということでの施設改造の対応は、障害部位が内部疾患系で大きな職場設備の変更があったわけではない。また、同僚たちの反応は夜間勤務の限られた人員で意思疎通が図りやすく、特に混乱や問題は無かった。 |

(2)その後の障害者雇用 |

この最初の障害者雇用をきっかけに、企業としての障害者雇用への理解が深まり、翌年の平成8年には、内部疾患系の障害者と聴覚障害者を雇用した。 最初の障害者雇用は企業にとっての新しい雇用経験のスタートであったが、聴覚障害という障害部位の違う障害者雇用の中から、更に障害者雇用の経験ノウハウを積み重ねることが出来た、と総務部門の責任者である大津久志取締役からは前向きな説明が続いていた。 次の年(平成9年)には、地元の養護学校から知的障害者の職場開拓訪問を受け、職場実習の強い要請があった。 ちょうど大津氏自身家庭の父親となり、仕事の立場を越えて子を持つ親としての知的障害者への思いが真剣な検討を促すきっかけになったようで、従来の障害者雇用の経験を更に、知的障害者への雇用へと拡大する判断をされたようである。 職場実習中の仕事ぶりを見るにつけ、知的障害者の日々の成長の姿、その純粋な心に大津氏自身が、企業として採否判断するという事ではなく、本人が就職を望むならその環境を用意するべき、との思いを強くし雇用が決定されたとのこと。その経緯を聞くにつれ、障害者の雇用とは雇用側にとっての社会的責務が大きいことに気づいた当企業の度量の大きさに感心するばかりであった。 この初めての知的障害者雇用をきっかけに、翌年の平成10年には、2名の知的障害者を雇用した。この2名は、介助を要する障害レベルであり、通勤の仕方を始めいろいろ指導にご苦労があったようだが、淡々とした大津氏の説明は、障害者雇用に対する堂々とした信念を感じさせるものであった。 |

2.中途障害者の雇用継続
(1)雇用継続の経緯 |

そんな障害者雇用の経験の中、平成10年、高卒で入社した健常者の社員が交通事故により中途障害になるケースが発生した。 その社員は、夜間交代勤務帰りに、通勤のための自動車で会社近くの道路脇立木に衝突して入院。翌日の見舞い時に、大津氏は家族の方から、本人の病状は脊椎を損傷し下肢に後遺症が残るであろうことを聞いたという。 一ヶ月半後には、外傷的に直りつつある段階で、本人の「身体は不自由でも、治ったら頑張るので職場に戻りたい」との熱意ある強い復帰の態度に、大津氏は継続雇用を決意した。 一般的な企業のケースでは、復帰を念頭に置きつつも傷病の治療経過を見守り、治癒状況に応じて「復帰の可否」を判断することと思われるが、早い内に本人へ復帰応諾の話をしたという。しかも、治療中に「みんなが待っているから安心してリハビリを」と本人を何度も元気づけていたようだ。 ここ数年にわたる障害者雇用の経験からくる「企業と障害者」の関係もあり、業務担当者としての判断だけでなく、障害者を目の前にした一人の人間としての思いが大津氏の決意を促したであろうと、話を伺いながら十分に察せられた。 |

(2)職場復帰にあたっての会社の対応 |

しかし、一人の人間としての思いだけでは、組織として中途障害者の継続雇用を実現するにあたって問題が数多くあったことと推察され、一つ質問をさせていただいた。それは、中途障害者の職場復帰という職場の仲間たちにとって初めてのケースがどのように受け止められたのか、ということ。 この質問に対し、さすが大津氏の説明による企業としての対応は、ここ何年かの障害者雇用による職場運営管理のノウハウに裏打ちされたものであった。対応を単なる手続きの範囲で考えず、これは「いつ自分の問題として直面するかも分からないこと」であり、全社員に現実的問題として考えて欲しいということを念頭において対応したとのこと。 その対応とは、社内報を使っての「復帰」を前提とした本人情報の掲載。そこには、本人の病状と治療経過を継続掲載し、身近な話題とすることで、本人と職場仲間の絆を断ち切らないようにしてきたこと。 これは、職場復帰のための受け入れ意識づくりが直接的な目的かもしれないが、大津氏の説明の言葉からだけではなく、このような対応からも、障害者雇用を単なる数合わせではなく、障害者も健常者も共に会社の一員であり、職場仲間が突然に障害を持つことを社員共通の職場問題として考えさせることで、全員で力を合わせて会社をもり立てていこうという企業姿勢をうかがわせる対応ではないだろうか。 車いすでの復帰後の担当業務は、従来の「成形部門」業務では交代制シフトがあるため、交代制のない「検査部門」へ異動とした。 訪問の帰り際、本人の働く「検査部門」を拝見させていただいたが、検査機器を前に車いすを器用に扱い明るい表情で淡々と仕事をこなしていた姿に、当企業への信頼感が安心した仕事ぶりになっているように感じさせるものがあった。 ![]() 本人の仕事ぶり |

3.作業施設の改善
この車いす使用の障害者の復職ケースは、初めてのことであり、復帰後は職場の作業施設改造を要したはず、との問いに、大津氏は直接改造箇所を案内しながら説明して下さった。 通勤車両の駐車スペースは、車両を操作しやすい箇所を専用場所として確保した。 その駐車スペースから直接建物へ入るために、他の社員の出勤時に使う出入り口とは別に、駐車場直近の荷物搬入口の段差のないところに出退勤のための出入り口が確保されていた。 建物の中は、各部門毎に部屋が分かれており、本人の「検査室」は建物の奥となっていた。当然いくつかの部屋を横切り、通路を通らざるを得ない。そのため、各部屋のドアーは従来のドアーを車いすの通行がスムーズなように、一般的な「押し戸形式」を「引き戸形式」にし、更に車いす通行が可能なドアー幅に拡幅改造した。 そして、車いす用トイレは、水回り設備なだけに配管設備等を考えると、簡単には新規設置は難しいであろう。また、従来のトイレ箇所の改造にもいろいろと制限があることが想像される。そんな条件の中、本人の仕事場である「検査室」近くのトイレの改造では、かえって窮屈な改造になってしまうというので、少し離れてはいるがゆったりとスペースがとれる他の箇所のトイレを改造して本人に利用してもらっている。
|

4.終わりにあたって
当企業の障害者雇用は、8年前の「一般募集」時の障害者自身の応募から始まったが、それはまるで当企業が水面に広がる波紋の如く、障害者雇用一つ一つの採用ケースをしっかりと組織の運営管理に取り込みながらその障害者雇用の根を張らせてきている。 最初のケースの「内部疾患者」、続いての「聴覚障害者」、そして「知的障害者」の雇用と続いた障害者雇用については、担当の大津氏は思い出話を交えつつ話されていたが、都度都度障害部位の違いのその対応にさまざまなご努力をされてきたに違いない。そのご努力の積み重ねこそが、6年前の中途障害者の継続雇用への道とつながってきたはずである。 この中途障害者の雇用継続の判断は、当企業の障害者雇用の考え方を大きく花開かせた事例であり、今後の障害者雇用モデル企業として地域で誇りにすべき企業であることを確信する。 (執筆者:(株)ナカ企画(人材開発センター)代表 中崎 良次) |

アンケートのお願い
皆さまのお役に立てるホームページにしたいと考えていますので、アンケートへのご協力をお願いします。
なお、事例掲載企業、執筆者等へのお問い合わせや、事例掲載企業の採用情報に関するご質問をいただいても回答できませんので、あらかじめご了承ください。
※アンケートページは、外部サービスとしてMicrosoft社提供のMicrosoft Formsを使用しております。