病気で通勤困難になり在宅勤務に移行した事例
2004年度作成
事業所名 | 古川電気工業株式会社 | |||||||||||||||||||||
所在地 | 宮城県仙台市 | |||||||||||||||||||||
事業内容 | 電気機械器具(配電制御機器)の製造販売 | |||||||||||||||||||||
従業員数 | 213名 | |||||||||||||||||||||
うち障害者数 | 7名
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1.事業所の概要と障害者雇用状況
昭和5年創業の古川電気工業(株)は、配電制御機器などの一般電気機械器具製造販売・修理ならびに新規分野として、知的分散制御ネットワーク技術「ロンワークス」を活用した設備通信ネットワークを事業目的とし、主として受注にもとづいて業務を行っている。同社は、テクノロジーを通じて「人間の暮らしを豊かにする」というテーマのもとに、経営理念として、受配電・監視制御システムなどの事業を通じ、潤いのあるテクノロジーをもって、人々の豊かな暮らしに役立ち、社会に貢献し、社会の信頼を得て発展する企業をめざしている。仙台市宮城野区の工業団地内に本社を置き、東北、北海道、関東地区に8つの支店や営業所、仙台市などに5つの工場を有している。 障害者雇用については、全従業員213名中、重度身体障害者5名を含む7名の障害者を雇用し、雇用率5.63%を実現している。 今回は、在宅勤務を行っている両上肢両下肢に障害(身体障害者手帳:2種2級)のあるPさんについて紹介する。同社には、その他に聴覚障害者などが塗装の専門技術者として就労している。 |

2.在宅勤務に移行した経緯
(1)Pさんの紹介 |

通勤による負担によって就労が困難になったり、体調の管理のために自宅で働く方が都合が良い障害者にとって在宅勤務は選択肢の1つであり、その可能性について大きな期待が寄せられている。 今回紹介するPさんは、板金構造の技術者としてCADを用いて設計を担当している。長年にわたって勤務している間に、突然四肢の弛緩性麻痺障害となり、通勤や職場内の移動に困難を生じたため、平成14年に在宅勤務に変更した。現在まで25年以上にわたって継続して勤務している。 ![]() |

(2)発病 |

大学時代のPさんは、テニスに打ち込み、自転車で遠出したりする元気で行動的な学生だった。A大学工学部を卒業後、古川電気工業(株)に就職して元気に勤務していたが、10年ぐらい前に体調の不調を感じるようになった。 ある日、ポストに郵便物を投函に行ったとき、急にふくらはぎや膝に変調を感じて3cmぐらいの段差さえ移動できなくなったのである。すぐに整形外科を訪れ、次いで神経内科で診てもらった。 残念ながらそのときには、障害者福祉に関する適切な情報がなかったために、身体障害者手帳の申請をすることができなかった。病院で治療を受けているときに手帳取得などに関する情報をしっかり把握できていればもっとよかったと強く感じている。 やがて、平成10年に身体障害者手帳を申請して交付(2種2級)を受けた。 |

(3)職場の改善と限界 |

その後、治療を受けつづけたが、身体の状況は改善することはなく、障害の程度は重くなる一方であった。 会社では、Pさんの体調の悪化と障害の増大に応じて、負担の軽減を図るために、工場のそばに設計業務を行うためのプレハブの事務所を建設した。 しかし、年を重ねるにしたがってPさんの身体の状況はさらに悪化し、通勤のための自動車運転中に急な体調の変化があった場合等にどのように対応したらよいのか大きな不安をかかえる一方であった。 また、社内での移動も負担となり、とくに問題だったのはトイレなどにいくときの辛さだった。片方の手で杖をつきながら他の手は同僚の肩を借りて移動するなど、職場の同僚の助けを借りることが多くなった。そのときの同僚達の手助けにとても助けられたという。 |

(4)在宅勤務へ |

そのような状況の中、会社の薦めもあって、平成14年9月から勤務形態を在宅勤務に移行した。 仕事の内容はそれまで会社で行っていた仕事と基本的に同様であったが、初めての試みに不安は大きかった。必要な設備などは会社から無償で貸与を受け、それまで会社内にあったPさんの仕事の場をPさんの自宅に移すという考え方のもとに在宅勤務が始まった。 |

3.在宅勤務の状況とそれを支える会社の体制
(1)フォローアップ |

在宅勤務を開始した当時、Pさんも会社関係者も、これまで同じような業務をこなし続けてきたPさんが組織から外れると様々な不安が生じるのではないかという心配を抱いており、会社では、Pさんが1人で働く場合の不安や心配をどうフォローしていくかということが大きな課題となった。 そこで、当初はとくに業務連絡のときなどを活用して、フォローアップにつとめることを重要視した。また、技術進歩の激しい業界でもあるので、Pさんに対してハード面、ソフト面の両面における技術の支援を十分に行うことがとても大切となっている。とくに在宅での仕事の評価は、設計工数での評価も大きいので、円滑なフォローアップが会社にとってもPさんにとっても重要である。 |

(2)業務上の打合せ |

在宅勤務を開始した当初は、打ち合わせのために会社にいく必要も結構あり、Pさんにとっては体力的にもかなり負担が大きかった。とくに最初の6ヶ月は、精神的にも不安の大きい状態が続いた。やがて、仕事が軌道にのってくるにしたがって打ち合わせを行う必要も少なくなり、体力的にも楽になってきている。 そして現在は、会社からの仕事に関する書類は宅配で届けられることが多くなっており、Pさんが作成した図面は電子メールなどを介して会社に送られる。 |

(3)設備 |

![]() 古川電気工業(株)の畑中取締役によると、会社でのPさんの居場所をそのままPさんの自宅に移動するのであるから、事務机をはじめ必要な設備は当然会社で負担して当たり前なのである。会社の貴重な財産であるPさんが、Pさん自身にとって都合の良い職場を自宅に移して仕事を継続するので、必要な環境を整えて設備を設置するのは会社としても当然のことなのであろう。 会社で培った人材を大切に考えている古川電気工業(株)では、Pさんのほかにも、家庭の事情などで退職した女性に関してもCADの仕事を在宅で行うことのできるような体制をとりつづけている。現在は、3~4人の女性がCAD技術者として在宅勤務している。 |

(4)仕事の評価 |

Pさんの仕事は、CADの技術者として受注後の設計図面を作成することであり、設計工数と一日の実労働時間などの実績報告によって業務評価が行われ、俸給が算定される。仕事は毎月20日締めで、給料算定は固定給プラス設計工数による実績に基づいている。 板金構造関係の熟練の技術者としてのPさんの優れた技術力は、会社にとっても貴重な財産であった。 |

(5)在宅勤務の効果 |

Pさんは、自分で自動車を運転して通勤していたとき、体力的な負担と何かあったら一人でどうしたらよいのかといった不安感、そして会社内ではトイレなどのための移動などにかなりの負担があった。 しかし、在宅勤務をしている現在は、トイレにいくときの困難さはなくなるなど移動に負担を感じる必要が少なくなり、自分のペースで生活のリズムを整えることができるようになっている。そのことがPさんにとって何よりも充実した毎日の生活を実現することにつながっているとのことである。 |

4.在宅雇用への期待
突然の疾病の発症や身体障害の二次障害などによって、通勤時の不安や会社内での移動に関する身体的負担が大きくなり、会社での就労の継続が困難になったため、早期退職を余儀なくされるケースが数多くある。今回のPさんの場合には、会社で行っていた仕事を自宅に移して行う在宅勤務を選択することによって、早期退職することなく、就労の継続がはかられている例である。長年勤務して得られた技術力や事務処理能力は被雇用者の財産であるだけではなく、雇用者の大きな財産でもあり、障害があってもその不便性とそれに基づく負担を軽減することによって、就労が継続できれば両者にとってとても大きな利益となる。Pさんのようなケースはまだ数少ないと考えられるが、この事例は見逃されてきた資源の開発という意味からも貴重な事例であると考えられる。 今後は、このPさんの例を数少ない貴重な例とするのではなく、通勤などに困難のある多くの障害者にとって就労形態の一つの選択肢として当たり前に活用されるようになることが期待される。また、このような多様な就労に関するニーズをかかえている障害者の数は極めて多いと考えられる。繰り返しになるが、在宅勤務は時代にマッチした就労形態であるとともに、障害のある場合や疾病時の多様な就労形態の1つとして、今後もその進展に大きな期待がかけられている。 (執筆者:東北福祉大学総合福祉学部教授 阿部一彦) |

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