平均勤続年数は23年~助け合うのは当たり前という社風~
2004年度作成
事業所名 | 太陽機械工業株式会社 | |||||||||||||||||||||
所在地 | 京都府亀岡市 | |||||||||||||||||||||
事業内容 | 自動車部品製造業 | |||||||||||||||||||||
従業員数 | 318名(平成16年4月現在) | |||||||||||||||||||||
うち障害者数 | 13名(子会社含む)
![]() |
|

1.事業所の概要と障害者雇用の経緯
昭和20年、戦争が終わり、その9月「太陽産業株式会社」と社名を変え、自動力織機や車両・船舶部品などの製造を始めた。 昭和33年、社名を現在の「太陽機械工業株式会社」に改称し、自動車用エンジン部品・繊維機械用スピンドルの製造と標準金型の設計・製作に重点を移した。 それ以後、着実に実績を伸ばし昭和58年亀岡市に本体を移し同市内に2工場、園部にも工場を増設して、ほぼ現在の規模になり、この分野での地位を揺ぎ無いものにしていった。 また、平成15年8月、電機事業部でISO9001を認証取得、16年1月には14001認証取得、園部工場でも14年5月にISO14001認証取得、電機事業部では15年12月に9001の認証取得と全社をあげての品質管理及び環境保全体制の確立をした。 障害者雇用については、昭和35年、身体障害者雇用促進法の施行にはじまり、51年には同法の大きな改正があり、雇用率の法的義務化や雇用納付金制度が創設され、障害者の雇用促進が国等及び事業主の責務として明確に定められ、各企業は障害者を一定割合以上雇用しなければならないことになった。 太陽機械工業株式会社の経営理念には「企業は社会がその存在を必要とする限りにおいて存在し、その貢献度に応じて繁栄するものである」と謳われており、それに基づき、障害者の雇用も社会に貢献してこそ繁栄するとの考えで、昭和53年から積極的に進められた。そして現在、重度の障害者7名を含め13名が在籍する中で、平成15年、会社創立60周年を迎えた。 現在、障害者雇用推進者及び障害者職業生活相談員は、常勤顧問である吉田清彦氏が担当している。 ![]() 総務部 吉田清彦氏(右)と浜田三郎氏(左) |

2.障害者雇用の取組み
(1)同一基準での雇用管理 |

採用の経路はさまざまで、新規学卒者もいれば中途で障害を負った人、またハローワーク主催の就職面接会で採用された人などがいる。障害も、聴覚障害、上下肢障害、知的障害といろいろである。 そこで、社内の人間関係のあり方として、互いに違いを認め合い、仲間としての思いやりを大切にする理念を徹底している。それを土台にして、障害者の雇用管理、つまり職場配置やスキルアップなどについての考え方は、健常者と同一の基準で行われており、何ら区別をしていない。従って、作業内容や教育・訓練についてもすべてマンツーマンでやっており、健常者と全く違わない。
実際に、上肢が無くてもF・Mさんは、CADで設計の仕事を健常者に交わってやられており、知的障害のD・Nさんは、手馴れた操作でフォークリフトをこなしておられた。 聴覚のH・Kさんは作業長として、部下の信頼も強く、生き生きと仕事をしている姿が輝いていた。 |

(2)聴覚障害者への対応 |

毎月初めに全体朝礼があり、各事業部毎に作成した新聞(「陽光」「陽春」等)を全員に配付し、「全国安全運動週間」とか「76期スタートに当たって」等各種の指示、連絡は十分に(徹底して)周知している。 また、社長訓話や会社の営業方針など大事な伝達は、手話通訳の専門家を依頼したりしているが、普段は、身振り・手振りで十分に通じ合っているようだ。例えば、昼休みや3時の一斉休憩のサイレンが鳴れば、障害者の傍にいる仲間が知らせて、一緒に休憩室にいくことになっている。 そこには、ごく当たり前のこととして、障害者の働きぶりや交わろうとする努力もあって、自然と気配り、助け合いの社風が生まれていた。このような中から、一人ひとりの勤続年数が長くなっている理由があるように感じた。 |

(3)暖かい社風 |

当初は、情報障害に起因する孤立化があり、また職場配置についても安全の問題や教育訓練の問題など現場の意見はいろいろあったが、今ではスムーズになっている。 現時点で、重度障害者7名を含む障害者13人の平均勤務年数は、約23年とずいぶん長い。これは、会社として障害者一人ひとりの特性や能力に応じ、適切な対策を講じられてきたからだと思われる。それ以上に、日常の作業現場において、健常者がごく自然に障害者に接して互いに助け合うのは当たり前だという暖かい社風によるところがさらに大きく、この社風こそが、個々の障害者の帰属意識を高めていく要因となっているように思う。 |

3.障害者13人、一人ひとりの声
総務部の吉田さんのご協力で、一人ひとりの声を聞かせて頂いた。ここからも永年勤続の理由が覗える。 |

(1)K・Kさん 聴覚障害 勤続19年 機械工 |

車が好きで、どんな部品を加工しているか興味があり入社しましたが、理想とはギャップがあり、仕事も3Kとしんどい。本当にめげそうになりましたが、同じ聴覚障害者ががんばって仕事をしている姿を見て、負けずにガムシャラに仕事をしてきて19年になりました(笑い)。健聴者の足を引っ張らないように、同じレベルで仕事ができるようにもっともっとレベルアップしたいと思っています(リーダーになりたい)(笑い)。 コミュニケーションについては、レポートとか筆談で答えてくれますが、やはり手話通訳がいてほしいと思います。 |

(2)T・Tさん 肢体不自由 勤続22年 プレス機械オペレーター |

プレス作業は危険な仕事であり、私に出来るかなと思っていたのですが、周りの人、上司の方々の協力、目配りのお陰で22年間続いています。 障害者を雇用することは大変だとは思いますが、よその会社も理解していただきたいと思います。やはり、身近な周りの人、現場の人の理解が一番必要なことと思います。 |

(3)I・Tさん 聴覚障害 勤続24年 欠品検知テスト工 |

クレームが出ないように一つ一つ製品を念入りに確認していかなければならない仕事です。はじめは、職場でのコミュニケーションに関してどうなるのか不安でしたが、まわりの職場の方々に理解をしていただく中で、身振り筆談などで伝え合うことにより、なんとか順調に仕事ができています。会社ではいつも朝礼があり、口頭で話される内容は30分ほどあります。後で筆談で内容を纏めて頂いていますが、会社の方向性や状況などの正確な情報がほしいと思うことがあります。 働く中でいろいろ感じることがありますが、職場の方々のご協力を頂きながら、今後も力を合わせて働いていきたいと思います。 |

(4)K・Kさん 聴覚障害 勤続19年 MC機オペレーター |

入社したころは健聴者とのコミュニケーションや仕事などができるかどうか不安でしたが、職場には自分と同じ聴覚障害を持つ仲間がいて、健聴者には理解があり、少しすれ違いはあるけれど手話筆談でコミュニケーションをしています。仕事も充実しています。ここまで長くやってこられたのも職場の人たちの理解と同じ障害を持つ仲間がいたからだと思います。これからもー生懸命会社のために定年まで頑張っていきます。 |

(5)A・Sさん 下肢障害 勤続8年 保安員 |

9年ほど前に人工関節の手術により一旦退社しましたが、直ってからも快く再入社をさせていただき本当に良かったと思っています。私は関節が悪い為、動きに色々と制約が有り他の仕事は難しいと思います。又、トイレも和式はだめでー部洋式に変えてもらって本当に助かりました。仕事の方も保安員の仕事に配転してもらい色々と指導をしていただき何とかできるようになりました。これからもいろんな事を勉強しながら勤めたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。 |

(6)K・Tさん 上肢障害 勤続19年 研磨工 |

私は10年前に個人的な事故で手に障害を受けました。治療中は「転職しなければならないかな」と思っていましたが、会社の方々のご配慮で職場の部署を変えていただき、今では仕事にほとんど差し支え無く働いています。会社の皆様や家族の思いやりに感謝しています。 |

(7)Y・Tさん 上肢障害 勤続44年 プレス工等 |

自分自身、今まで障害者として何の抵抗もなく不自由も感じず今日まできました。怪我をして1年位は周りの人達に助けてもらった事もありましたが、すぐ慣れました。職場の環境も良く周りの人も明るく、楽しく今日まで来れたと感謝しています。又、仕事においては、技能検定金属プレス2級、平面研削盤2級を取得させていただきました。残り少ないですが頑張りたいと思います。 |

(8)N・Dさん 知的障害 勤続13年 フォークリフト操作員 |

丹波養護学校を卒業し、この会社に入社して早や13年になりました。最初は健常者の中で働く事が不安で仕方ありませんでした。学校時代の友人は他の会社に勤務し、普通校の仲間と話しが出来るか不安でした。が、何のためらいも無く接してくれた同期の友人に感謝しています。今もその同期生とは良い付き合いをさせてもらっています。同期だけじゃなく、職場の先輩・上司の方にも可愛がって貰っています。 仕事の方も入社当時に比べると色々覚えたし、これからも先輩のしている仕事をどんどん取り込み自分にプラスになる仕事をしたいです。「誰かがしてくれる」じゃなくて自分で頑張って仕事を覚えてやっていきます。健常者の方よりも時間がかかるかもしれませんが、解らなければ聞く、解らないまま仕事をしない。もっと伝えたい事が有るのですが自分自身「文章」が苦手な為、文もまとめていませんが頑張って働いていきたいです。 |

(9)M・Fさん 聴覚・上肢 勤続40年 設計 |

入社した時、慣れないことばかりで残業ばかりの忙しい毎日でした。8か月程してケガをしてしまい、生産課から製図を作成する課に異動になりました。上司や他の社員とは筆談や身振り簡単な手話で会話をしています。字が苦手なのでゆっくり少しずつしてもらっています。最近は会社でパソコンを使うことが増え、早くパソコンが使えるように周りの人に教えてもらいながら毎日がんばって勉強・練習しています。勤務地が変わって会話など大変なこともありますが、上司にいろいろ教わりながら頑張っています。 |

(10)Y・Yさん 内部障害 勤続25年 フォークリフト操作員 |

私は、平成7年の夏に「狭心症」で倒れ1ヶ月間の入院をしましたが、今では同僚と変わりなく仕事に頑張っています。それから障害者という身になりましたが、我が会社には何人かの障害を持つ人がいますので安心して働くことが出来ます。 今年の夏で入社以来勤続25年になりますが、定年まで後1年と少しです。これからも体に十分気をつけて頑張ります。 |

(11)K・Yさん 聴覚障害 勤続14年 MC機械工 |

僕は聾者ですが、同じ聞こえない先輩が5人います。1番年下は僕です。 入社する前、聴者に対してコミュニケーションで不安に思ってました。けれど、皆さん聾者の理解があり手話が出来る人もいて、また、大きな口で会話しているのでびっくりしました。でも朝礼・集会では話が聞きにくい時がありますが、終わってから個人的に「聴者」に話が聞けるので安心です。安心して長く楽しく仕事が続いています。もう14年目になり早いなあ。今、国家試験「機械検査2級」にチャレンジしています。 |

(12)S・Kさん 聴覚障害 勤続34年 推進室ビジネスグループ |

本当は機械関係の仕事がしたいのですが、今は我慢して頑張ります。 |

(13)K・Hさん 上肢障害 勤続20年 機械工(作業長) |

私は右母指の欠損という障害がありますが、職場の同僚仲間に支えられ不自由なく仕事をさせてもらっています。私に野球やゴルフを薦めてくれたのも職場の仲間達で、今では皆といっしょにスポーツができる様になりました。これからも仲間達と共に仕事を頑張っていきたいと思います。 (執筆者:京都府障害者雇用促進協会技術顧問(雇用管理) 佐野 太一) |

アンケートのお願い
皆さまのお役に立てるホームページにしたいと考えていますので、アンケートへのご協力をお願いします。
なお、事例掲載企業、執筆者等へのお問い合わせや、事例掲載企業の採用情報に関するご質問をいただいても回答できませんので、あらかじめご了承ください。
※アンケートページは、外部サービスとしてMicrosoft社提供のMicrosoft Formsを使用しております。