継続から生まれた知的障害者が活きる就労環境
2004年度作成
事業所名 | 美少年酒造株式会社 | |||||||||||||||||||||
所在地 | 熊本県下益城郡城南町 | |||||||||||||||||||||
事業内容 | 清酒・焼酎の製造販売 | |||||||||||||||||||||
従業員数 | 69名 | |||||||||||||||||||||
うち障害者数 | 4名
![]() |
|

1.事業所の概要と障害者の雇用状況
(1)沿革 |

江戸時代、宝暦2年(1752年)より代々酒造りに携わった歴史を持ち、明治12年、現在地にて酒造業を創業する。大正9年に南薫酒造株式会社を設立。太平洋戦争の戦災に工場を焼かれながらも事業を継続し、昭和25年、美少年酒造株式会社と会社名を変更し、現在に至る。 |

(2)経営状況 |

清酒の消費量は全国的に減少する傾向が続いている。美少年酒造においてもその出荷量は年々減少しており、近年は前年対比85%~90%程度で推移している。昭和63年から平成元年にかけてのピーク時には約2万石あった出荷量も、現在1万4千石となっている。 この厳しい中、美少年酒造では清酒に加えて麦焼酎や米焼酎を、また昨年からは芋焼酎や甘酒を商品化し、売上の維持確保に努めている。その甲斐もあって前年と同程度の売上を保っているが、課題は大きく、現在、新たな売上向上とそれに向けた体制づくりに取り組んでいるところである。 |

(3)障害者の雇用状況 |

従業員数は現在69名。平成元年頃のピーク時には90名ほどであったが、厳しい業況の中、従業員数も減少している。 障害者数は計4名。内訳は知的障害(重度)が1名、身体障害が3名(内部障害2名、肢体障害1名)となっている。 障害者4名の配置は、販売課長1名、営業部次長1名、施設管理1名、製品の出荷準備が1名(重度知的障害)となっている。 営業時間は、8時半から5時まで。 |

2.知的障害者雇用のむずかしさ
(1)知的障害のAさんを雇用した経緯 |

美少年酒造が重度知的障害者Aさんを雇用したのは13年前、Aさんが15歳の時である。公共職業安定所の勧めにより、養護学校の生徒を職場実習として受け入れたのがきっかけだった。「小学校3年生くらいの能力」だと養護学校の先生から聞いたが、それまで障害者雇用の経験もなかった同社では「特に抵抗感のようなものはなかった」。 しかし、実際に雇用して初めて、知的障害者を雇用することの大変さを痛感することになる。 |

(2)Aさんの配置 |

Aさんが配置されたのは、製造課で製造・ボトリングされた清酒や焼酎の出荷準備をする製品課という部署である。出荷準備といっても検ビンから箱詰めに至る多様な作業が任されている。各ボトルごとの包装もあれば、出荷用の段ボール箱への詰め込みもある。また、多様な商品ごとに、包装用具や段ボール箱があり、それらの加工や組立も製品課の業務である。ひとつひとつの作業は誰でもできるもののようであっても、多様な製品に対応するためにはそれぞれの作業手順と必要な部材の知識、そして効率的に作業を進めていく現場の知恵が求められるのである。 製品課では、男性従業員が主に機械を取り扱う業務を、女性従業員が主に包装・梱包などの作業を担当する。Aさんは女性従業員グループの業務を少しずつ学び始める。手法としては、年輩の製品課長に付き、ひとつひとつ手順を指導していくことにした。 |

(3)Aさんの問題 |

問題はすぐに起こり始めた。Aさんは元来明るく人と接することも好きだが、子供のように飽きっぽかった。しばらく仕事をしていると飽きて、作業の手が止まってしまうので、仕方なく、サポート役を一人つけなければならなくなった。 仕事を覚えるごとに仕事が好きになる。仕事も好きだが、人と接することが好きになる。人と接したいから、仕事が終わると人の集まるパチンコ屋に出入りするようになる。遅くまでパチンコ屋にいて、若者グループにからかわれたり、いじめられるなどのトラブルにも遭遇し、警察から会社に連絡が入ることもあった。 仕事中に年上の同僚と口論になると、理屈を言って聞かせても理解できない。いわゆる反抗期とも重なり合うような感情の起伏がまわりを振り回した。手にしていたカッターを人に向けたことも一度だけだがあったという。 総務課長の徳本さんは、Aさんを紹介した安定所に「これ以上、雇用を続けるのは難しい」と訴えた。「もし事件でも起ころうものなら責任は取れない」と、思った。
|

3.転機は継続の中で訪れる
それでも美少年酒造はAさんを雇用し続けた。ひとつには小さな町であること。まわりの人々も美少年酒造に勤めるAさんを知っている。地域に根づいて生きる企業としてできることなら長く勤めて欲しいという気持ちがあった。もうひとつには、Aさん自身が仕事を覚えていくと同時に、まわりの従業員も接し方を学んでいったということ。 働き始めて5年後、Aさんが20歳を越えた時、大きな転機が訪れる。高校卒の新人が2人、入社したのである。Aさんにとっては初めてできた職場の後輩であった。「それまで仕事のできる先輩から可愛がられてきた。後輩に対して、自分もまたちゃんとしなきゃいけない。格好良く見えなきゃいけない。そういう気持ちがA君の中で起きて来たように思います」と徳本さんは語った。 現在、28歳になったAさんは製品課のほとんどの業務をこなせるようになっている。必要以上に細かい指示は必要なく、もちろんサポート役を付ける必要もない。実際に働いているAさんの姿を見た。年輩の従業員といっしょに出荷用の段ボール箱を組み立てているその手際は手慣れており、無駄がない。機敏で真面目な青年といった印象で、眺めているだけでは障害者だということに気づかない人も多いだろう。 昨年末、Aさんは網膜剥離の手術を受けるために1ヶ月半ほど休職した。製品課の従業員からは「A君がいないと困る」という声が上がったという。
|

4.雇用継続が生んだコミュニティとしての企業力
総務課長の徳本さんは語る。「13年間、雇用を続けてきたこと。それがすべてを物語っている思う」と。長く継続できたことが成果であり、また、長く継続してはじめて一緒にやるための方法論も見つけていくことができたのだと。 職場での経験の積み重ねがAさんの能力を高め、なくてはならない存在にした。同時に、苦労しながらAさんとつきあってきたからこそ、企業にもまわりの従業員にも見えてきたことがある。障害者への偏見や抵抗感は少なくなり、仕事ぶりへの信頼感も生まれた。様々な配慮をすることの大切さと普通に接することの大切さを学んだ。 「こんなこともありました」と徳本さん。昨年、多忙な時期に、人手が足りなくなった。ボトルにつける紙製の包装資材を折る作業やバーコードシールを箱に貼る作業だったが、そのために人を入れるわけにもいかず、かといって社員が就業時間中にやるのはコストに合わない。仕方なく、従業員たちは仕事が終わった後で、あるいは自宅に持ち帰って作業を行った。悩んでいたところで、あることを思いついた。地域の知的障害者施設にこれらの軽作業を委託したのである。「A君との出会いがなければそういう発想も出てこなかったと思います」と徳本さんは言う。 美少年酒造では新年会、ミニバレー大会、ボウリング大会、社員旅行などの年間行事が行われているが、Aさんはそのすべてに参加し、企業の一員として楽しんでいる。 「初めはとても苦労したけど、今は仕事のことでは本当に問題がありません。本人もがんばったが、従業員の皆さんの協力も大きかったですね。ある従業員が『うちだからできたのかもしれないね』と言っていました。地方にあって、地域に根づいて仕事をしている会社だから継続できたのかもしれません。でも、これからも続くんです。彼が30代になり、40代、50代となっていった時どうなるのだろうと考える。一旦受け入れた以上は、これから先、A君が一人でも生きていけるようになれるにはどうしたらいいのだろう。できるだけ長く働いてもらう。そのためには私たちは何ができるのだろう。そんなことを考えながら、これからも一緒にやっていきたい」。 知的障害者であるAさんにとっては、美少年酒造は単なる職場ではなく、生活そのものを支えるコミュニティとなっている。13年間という年月は、障害者、企業、従業員が新たなコミュニティを形成していくために必要だったのかもしれない。 |

5.提言~共に生きて働く社会を創るために
障害者雇用は継続することによってよりよいものになっていく。逆に言うと、継続できていれば有効な障害者雇用ができた企業でも、様々な問題に遭遇して継続雇用を断念してしまえば成果は生まれない。継続できてはじめて、障害者雇用の問題がどのようなものなのか、また良い点はどこにあるのかが見えてくるのである。 「だから、企業が継続雇用できるための仕組みが必要なのではないか」と、徳本さんは言う。例えば、障害者雇用に関する総合窓口の設置。企業が障害者雇用をめぐって遭遇するトラブルや不安は多様である。障害者雇用促進協会を始めとする行政団体や公共職業安定所、養護学校、福祉施設と窓口は多いが、どこに相談すれば有効な回答が得られるのか迷う。相談窓口が一本化され、そのような不安が解消されれば、企業側も安心して障害者雇用を継続できるのではないか、と。 また、障害者を雇用する企業同士が情報交換できる場づくりも必要である。たとえ答えが見つからなくても、互いが抱える問題を話し合うだけでも効果は大きい。 「平成14年、ジョブコーチ制度がスタートしましたが、もっと早くできていればと思います。必要な制度はできるだけ早く整備しないと、その遅れが取り返しのつかない事態を生んでしまうのです」。 |

6.まとめ~美少年酒造における知的障害者雇用に学ぶこと
大都市圏だけでなく、地方においても、核家族化や過疎、少子化などによって旧来のコミュニティは機能しなくなっており、さまざまな弊害を生んでいる。特に子供たちの育成や弱者の保護と自立という面での問題は大きい。その時、浮かび上がってくるのは学校や企業のコミュニティとしての側面をいかに機能させ得るかという課題である。自立度の低い知的障害者の雇用というケースは、まさにその課題の有り様を端的に我々に突きつけてくる。 美少年酒造の取り組みに学ぶことは多い。知的障害者雇用は何よりも継続が大切であること。さまざまな面に配慮しつつも、普通に接することの大切さ。過保護にするのではなく、職場の人間関係の中で本人自らが新たな意識を育んでいくべきこと。企業や同僚たちが人と人として関係し合う意識を持つべきこと。そして、知的障害者本人の今後を考える時に、不足している社会システムや制度があるということに目を向けていくこと。 美少年酒造のように地域に根ざした企業とそこに働く従業員の努力が、我が国の障害者を取り巻く環境づくりによりよい指針をもたらし、かつ、障害者の継続雇用が増加していくための具体的な施策づくりの一助となることを期待してやまない。 (執筆者:有限会社エアーズ取締役 森 克彰) |

アンケートのお願い
皆さまのお役に立てるホームページにしたいと考えていますので、アンケートへのご協力をお願いします。
なお、事例掲載企業、執筆者等へのお問い合わせや、事例掲載企業の採用情報に関するご質問をいただいても回答できませんので、あらかじめご了承ください。
※アンケートページは、外部サービスとしてMicrosoft社提供のMicrosoft Formsを使用しております。