中途障害者の積極的な生き方を支援する企業姿勢
2004年度作成
事業所名 | 富田薬品株式会社 八代支店 | |||||||||||||||||||||
所在地 | 熊本県八代市 | |||||||||||||||||||||
事業内容 | 医薬品・医療用機器等の薬品総合卸売業 | |||||||||||||||||||||
従業員数 | 880名 | |||||||||||||||||||||
うち障害者数 | 11名
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1.事業所の概要と障害者の雇用状況
(1)沿革 |

明治25年、八代市に富田薬店を創業。その後、昭和15年に合資会社富田大薬房、昭和23年に富田薬品株式会社を設立。平成14年には創業110年を迎えた。現在、九州内に12支店、31カ所の営業拠点を有している。 |

(2)経営状況 |

医薬品業界は、全国的な再編・統合が行なわれ、大型の企業グループによる市場の寡占化が進む傾向が顕著になっており、医薬品市場は益々厳しい状況である。このような環境の中、富田薬品(株)では中期3ヶ年計画「変革とスピード:パートII-自己改革」というスローガンのもとに、医療制度改革等の環境変化にも迅速に対応すると共に、お得意様の様々なニーズに対応するためのユーザー支援機能と安定かつ安全な医薬品の供給体制を構築する物流機能の両面からの充実をはかり、医療全般を取り巻く社会に幅広く貢献できる企業の構築を目指している。 |

(3)障害者の雇用状況 |

企業全体の従業員数は、現在約880名、八代支店は約39名。 障害者数は全体で計11名。内訳は内部障害が4名(重度3名、軽度1名)、肢体障害が7名(重度3名、軽度4名)となっている。 障害者11名の配置は、営業2名、事務4名、商品管理3名、システム運用・開発1名、専門職1名となっている。 勤務時間は、8時半から5時半まで。 |

(4)助成金の活用状況 |

重度中途障害者職場適応助成金2件。 |

2.重度中途障害の発生
現在、富田薬品(株)八代支店で事務課係長を務める西坂次生さん(56歳)が、病気によって両足切断手術を受けたのは平成9年12月のことだった。当時、営業係長として非常に忙しい日々を送り、遠距離通勤による疲れも貯まっていた。さらに忘年会シーズンが重なって、体力が落ちたその時に病魔が襲った。 12月22日、とある忘年会の最中に左足が痛み始めて中座、帰宅したものの痛みは止まらず、高熱を発した。翌朝、自宅近くの医院で診察を受けたが医師の判断で八代労災病院に緊急入院し、さらに熊本大学病院へ転院。その日のうちに両下肢の切断手術が行われた。診断は劇症型A群溶血連鎖球菌感染症、通称「人食いバクテリア症」と呼ばれるものである。発病から手術まで、わずか1昼夜の出来事だった。 西坂さんは医薬品営業30年のキャリアを持つベテラン営業マンだった。富田薬品(株)八代支店の管轄内にある八代、宇土、人吉、天草の主な病院は足で回り、頭に入っている。いわば富田薬品(株)営業のキーマンの1人である。営業事務の引き継ぎは手術直後、ICUの枕元で行われなければならなかった。 熊本大学病院に半年入院し、リハビリに3ヶ月。職場復帰がかなったのは発病後1年半後だった。「車いすの生活になっても、ここには私ができる仕事があった。障害者が働けるかどうかは、できる仕事があるかどうかということです。そういう意味では私は恵まれていたと言えます」。
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3.復帰へ向けた当事者と会社の取り組み
西坂さんの復帰へ向けた取り組みは早かった。リハビリはもちろんだが、入院中にパソコンを学んで職場復帰に備え、車いす対応車両の購入や自宅の改装も入院中に行った。助成金のことなど考える余裕もなかった。すべて自費でやった。「家族がある。妻と大学生の子供が2人、下にもう1人。どんな仕事でもやりたい。あきらめるわけにはいかなかったのです」と西坂さんは語る。 西坂さんの積極的な取り組みに呼応するように、富田薬品(株)八代支店では社屋のバリアフリー化を進めた。本人の意向を確認した上で支店長が上申し、トップ判断が下された。具体的には次のような改装である。 ア フロアの段差解消とデスク配置変更による通路の拡幅 イ 車いす移動エリア内のドア(出入り口・トイレなど)の引き戸化 ウ 倉庫の一部改造による車いす対応トイレの設置 エ 1F事務所スペースの一部改造による車いす対応食事スペースの設置 オ 通用口近くの車いす対応車両の屋根付き駐車スペース確保と通用口のスロープ化 この社屋改装は、西坂さんの入院中に行われた。改装工事には本人も立ち会い、意見を述べた。会社もまた、本人の積極的な職場復帰への取り組みをサポートした。平成11年6月、西坂さんは事務課係長として職場に戻った。 主な業務内容は、請求書の発行や総務事務に関するプログラムの作成、在庫事務などである。事務課には営業から各種の営業データが集まる。それらを集計し、営業会議などに提出する資料作成も大事な仕事である。営業畑30年、管轄内の病院ならたいていのことは分かる。資料に記載された数字を見るだけで、その内容がイメージできる。「30年のキャリアは無駄ではないなあと、思ったりしますね」。
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4.新たな人生を生きること
今でも営業時代とは違った多忙な毎日を送っている西坂さんであるが、趣味の音楽では吹奏楽サークルのクラリネット奏者として練習やコンサートに参加しており、コンサート前には週3日も練習を行う。また、最近は小学校や中学校に講演を依頼されることもあるという。 子供たちの前で車いすを降り、腕だけで腕立て伏せをしたり、得意のクラリネットを演奏したり。「君たちにできるかい?障害を負った人でもいろんなことができる、いや、君たちにできないことだってできるかもしれない。そんなことを見せてあげたい」。 子供たちから感想文や年賀状が届く。ある感想文に「これからショッピングセンターの車いす専用駐車場に健常者のクルマが止まっていたら、ぼくが言います」と書いてあった。 「私自身、障害を負ったからこそ見えて来たことがある」と西坂さんは話す。「障害者用駐車スペースなんて、以前は気にしませんでしたから」。それが、車いすの生活になるといかに切実な問題になることか。ある公共施設の障害者用スペースに健常者のクルマが止まっていた。西坂さんは施設に繰り返し申し入れを行った。今では、ちゃんと管理され、違反駐車はなくなった。 また、こんなこともある。スーパーなどに行くと、小さな子供を連れた母親が買い物をしている。「ほら、悪いことするとあの人みたいになるわよ」という子供に話しかける声が聞こえる。「一番バリアーが大きいのは人間の心なんですよ」と西坂さんは語る。 だから、西坂さんはいろんな場所に出ていきたいと思い、障害を負った者としていろんな発信をしていきたいと思う。なんにでも挑戦していきたいと思う。小中学校からの講演依頼にもできる限り対応したい。「幸い、会社でも応援してもらえるので。ありがたいと思っています」。 |

5.まとめ~富田薬品(株)の中途障害者対応に学ぶこと
富田薬品(株)の対応は速く、現場チェックを行うなど障害者本人の意向を汲み取る努力も為されている。バリアフリー化についても単に現状を改善するにとどまらず、倉庫スペースを車いす対応トイレに改造したり、2Fの社員食堂とは別に1Fに食事のスペースを整備するなど、なかった設備をつくるに及んでいる。 このような取り組みは会社だけでの判断ではできないだろう。障害を負った個人と企業、それをつなぐ同僚や上司たちの相互理解がなければうまくいかないのではないだろうか。「西坂さんはバリバリの営業マンだったし、毎朝ジョギングも欠かさないスポーツマンでもあった。だからまわりの私たちもすごいショックでした」と同僚の1人が語る一方で、西坂さん本人も「手術の後、最初に見舞いに来てくれるのは誰だろう。最初に見舞いに来る人は辛いだろうなあと思いました」と語る。それぞれの言葉に素直な気持ちと互いへの想いが感じられる。 重い障害を負うことは新たな人生に立ち向かうことである。そこには障害者本人の積極的な意志が必要であり、それを支える家族や友人、同僚たちのハートが必要である。そして、企業やコミュニティはそれらを包み込む器のようなものではないか。富田薬品(株)の事例は、このようなことを考えるきっかけとなるように考える。 (執筆者:有限会社エアーズ取締役 森 克彰) |

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