重度の障害者も、加齢が進んでも、貴重な戦力
~作業工程の工夫と問題解決のための話し合いによる成長~
- 事業所名
- 日本理化学工業株式会社 美唄工場
- 所在地
- 北海道美唄市
- 事業内容
- 文具製造、プラスチック成形、ハンガーリフォーム
- 従業員数
- 28名(平成17年7月1日現在)
- うち障害者数
- 22名
障害 人数 従事業務 視覚障害 0 聴覚障害 0 肢体不自由 0 内部障害 0 知的障害 22 チョーク製造、プラスチック成形、ハンガーリフォーム 精神障害 0 - 目次

1. 事業所の概要
(1)事業内容
日本理化学工業株式会社の事業内容は、ダストレス事業部(文具・事務用品製造販売)とジョイント事業部(プラスチック部品製造、ハンガーリサイクル事業)である。
(2)企業の沿革と障害者雇用の経緯
昭和12年、当時白墨を使用している先生方に肺結核が多いとの指摘があり、衛生無害の炭酸カルシウムを原料にした『ダストレスチョーク』の量産化に初めて成功。東京都蒲田に日本理化学工業株式会社を設立する。
昭和28年、衛生無害のチョークとして文部科学省(当時文部省)斡旋品に指定される。
昭和31年、日本工業規格(JIS)表示許可工場となる。
昭和35年、養護学校の先生から「あなたの所で働けないとなると、この子達は一生働くことを知らないで世を去ってしまう。雇わなくても良いから、働く経験だけでもさせてやってくれないか。お願いします。」と言われ、社長はついホロリとなり、「いつでも引き取ってくださるなら」という約束で障害者二人を雇用した。
昭和42年、北海道美唄市に美唄工場を開設。旧三井鉱山の診療所を改築して、炭酸カルシウムを主原料とするダストレスチョーク製造を開始した。知的障害の青少年を社会に復帰させようと雇用し始め、心身障害者雇用工場として、20名の知的障害者でスタート。
昭和50年、神奈川県川崎市に全国で初めての心身障害者多数雇用モデル工場第1号を開設。
昭和54年、美唄工場が労働大臣賞を受賞する。
昭和56年、美唄工場も心身障害者多数雇用モデル工場として開設。
平成4年、川崎工場の女性社員1名が知的障害者勤続41年で内閣総理大臣表彰を受ける。
平成14年、美唄工場の男性社員2名が知的障害者勤続33年で厚生労働大臣表彰を受ける。
平成17年7月現在、美唄工場は、従業員28名中22名が知的障害者である。
(3)経営方針
「障害者と社会をジョイントする」を経営方針に加え、障害者の職域拡大として、精密部品のゴム、プラスチックの成形、リサイクル事業部門を新設し、性能の高い機械、治具の工夫、生産工程の細分化と単純化などによって、品質・生産性・管理面で高い水準を維持することが可能であることを実証し、21世紀の企業の使命として、「心をつなぐ夢のある」商品づくりの実現を目指している。


2. 美唄のまちと福祉
美唄市は、北海道の札幌市と旭川市の中間に位置する年間降雪量約10mの豪雪地帯である。開拓以来、農業と炭鉱で栄えた。人口は、昭和31年の9.2万人をピークに、平成17年4月現在は2.9万人に減少し、現在は農業と商業が中心である。
美唄市は、産炭地であったことから労働災害が多く発生し、事故による身体障害者の増加や炭鉱長屋における近所付合い、農村への手間返しなど、地域住民がそれぞれの生活困難を乗り越えてきた精神風土があった。そのことあって、早くから医療・福祉・施設が充実しており、昭和18~30年には市立病院と労災病院の二つの総合病院が開設した。
福祉関係では、昭和39年、道立肢体不自由者更生施設、知的障害児福祉施設が開設した。その後、入所・通所施設福祉工場やグループホーム等が開設され、道内各地から知的障害のある人達が美唄市に居住するようになった。昭和41年、道立重度身体障害者更生援護施設、昭和52年に養護学校、平成10年6月に障害者雇用支援センターが開設された。
人口3万以下の市に、知的障害者施設5ヵ所、グループホーム16ヵ所、障害者雇用支援センター1ヵ所、障害者雇用事業所30ヵ所以上があるという地域になった。
このような地域状況の中、昭和42年、日本理化学工業北海道工場が開設されたのである。
3. 作業工程の工夫
知的障害者が全従業員の8割であり、指導者は営業、総務、経理をしながら指導管理しなければならない状況であるため、作業工程の工夫と労働意欲の向上について配慮している。
チョーク製造作業は、全員知的障害者で製造管理まで含めて行っている。色々な原料を混ぜ合わせ計量し機械をまわすという作業で、正確な時間の管理や最後の品質検査が必要であるが、文字が読めない、時計が読めない、計算が出来ない人達が立派に行っている。
作業工程については、一般の人達がやることを教えるのではなく、彼らの各々の理解力に合わせて工夫をして配置し、生産目標を与えている。この仕事をこなせるかどうかを考えるのでなく、その障害者の能力に応じて作業を変えている。治具の改善と作業方法で工夫を行い、材料の色別と計量容器、砂時計、検査棒、ノルマ達成リングなどを用い、彼らでも簡単に理解できるようにしている。
(1)計量
秤の目盛りが読めない人が数種類の材料を計量する工程に就く時は、Aという材料を大きな青い容器から取り出し、秤の目盛りに容器と同じ青色の印がついているところまで計る。そして、同じ青色の小さな容器に移す。それを数種類の色の容器を使って、繰り返し計量することで数種類の計量をできるようにしている。
(2)時間管理
時計が読めない人が正確に機械で混ぜ合わせる工程に就く時は、砂時計が時計の役割を果たす。原料を入れ機械のスイッチを入れたら砂時計を返して、砂が全部下に落ちたらスイッチを止める。
(3)品質管理
品質管理では、チョークを押し出す口金が使い込むと太くなるため、通常はノギスという計測器具を用いて検査している。ノギスの目盛りが読めない人が品質管理の工程に就く時には、テーパーのついた検査棒を口金に入れて止まった所を見て、口金の交換時期を判断する。
(4)箱詰め
箱詰め作業では、72本という半端なチョークを箱に入れるのだが、チョークが納まる溝が一杯になって隙間がなくなれば結果において正確に入れたことになり、数が苦手な人でも作業ができる。
(5)生産目標
生産目標については、数字で言っても分からず、達成できたかどうか理解できない人もいる。そのため、製品を載せる板を10枚単位のブロックごとにして、1つのブロックが終るとベニヤ板に打った釘にリングをかけさせる。達成させる釘に線を引いておき、そこまでリングが掛かったらノルマ達成、この線まで行かないと今日は仕事が終らないと示すと、クリアするために頑張る。
色々な治具の組み合わせと工夫で、彼らは企業の貴重な戦力になっている。


4. 労働意欲を高めるための対応
(1)不在に対する意識付け
「君が休んだら、君の仕事をやる人がいないから隣の人が仕事が出来なくなる。そうするとチョークが出来なくなって会社が困ってしまう」と、新入社員に教えることにしている。
(2)班長の選出
日本理化学工業では8割が障害者で、1人の健常者が障害者にきめ細かい配慮や対応をすることが出来ないので、障害者の中から班長を選出した。
特に約束事として、問題があったら、報告・連絡・相談(ホウ・レン・ソウ)を作業管理者に行い、勝手な判断をしないことを重点的に指導育成している。また、加齢により問題を抱えた人の観察と指導を任せた。
同じ障害者同士、健常者より気楽に話せて班長を慕う人も出てきた。自分たちも頑張れば班長になれるという希望も持てるようになり、お互い助け合えるチームワークも良くなった。
現在は3名の班長が活躍中である。
(3)5S推進活動
5S推進委員になることも彼らの作業意欲を高めることに役立っている。班長にはなかなかなれないが、5S委員だったら多くの人がなれるので。
5S活動とは、整理・整頓・清掃・清潔・躾の5つのSの頭文字を言うが、当社ではこの活動を障害者が中心となって進めている。5S推進委員の組織のトップは工場長で、現場管理者、班長(障害者3名)、5S委員(8名全員障害者)、その他活動する社員という組織である。
5S推進委員は、比較的若い障害者が半数と、加齢で常に問題を抱えている者が半数という構成になっている。毎月、社内で改善テーマを提示してそれを全員に1ヶ月間考えてもらう。翌月の5S会議で2時間程度全員が皆の前で発表する。
5S委員の責任は、自分たちが会議で発表したこと、または指導を受けたことを守り、さらに5S委員以外の人にそれを教えて一緒に清掃・整理・整頓をしなければならない事である。そして何か問題が起きたら班長に報告する義務を負っている。とにかく話さなければ伝えられない。今では自然に小さなゴミは拾う、掃除はしっかりと力を入れて汚れが取れるまで拭くようになった。
(4)5S推進活動の効果
5S会議を6年間毎月行ってきた結果、最初は小さな声で隣にも聞えない人、突っかかってなかなか話せない人も多く、誰それさんが意地悪しているなどテーマから話が逸れてしまうことの連続だったのが、今では嘘のように自信たっぷりに大きな声で発表するようになり、その姿は6年前には想像が出来なかった程である。
会議で特に時間を割くことは、一生懸命発表したことで、問題を提案させたら全員で解決策を練ることである。それも問題を抱えた人をどうしたら皆で救えるかを話し合う。これを続けていくと問題のある人も指導しながら自分の悪いところに気が付き、直さなければならない事、そしてまだ自分が必要とされていることも学ぶ。
こんな出来事もあったそうである。「雪が降り積もる寒い季節の休日、近くのスーパーから出る時見た光景。遠くから高齢者3名が連れ添って道端に落ちているゴミを沢山拾いながら近づいてきた。その3名が当社の障害者とわかって、驚きと感動を貰った。」と工場長。
5S活動を通して成長できたことは、皆が身軽になって行動が早くなった、仕事に集中して製品をよく見ることが出来てきて不良品が少なくなった、皆でかばい合い助け合うようになった、職場のマナーや社会のルールまでも守るようになった等である。
5. 現在の問題点~高齢化
美唄工場が障害者を雇用し始めたのが昭和42年、それから40年近くになる。そのため、現在、従業員の高齢化・加齢化の問題を抱えている。一般に知的障害者は40歳を過ぎると加齢化が進むといわれており、体力が落ちることは、知的作業に就けないだけに即生産性のダウンにつながることになる。
しかし、彼らにとっては慣れ親しんだ仲間と一緒に、認められている仕事を続けたいと思っている。会社としては、何とか定年までは続けさせたいと思っているが、最低賃金を確保しながら雇用を続けることは大変なことである。まして定年が55歳から60歳、そして65歳までになると言われている現在、これからこのような問題をどう会社として解決していくかが課題である。
6. 結び
日本理化学工業では、障害者を雇用するのに普通の人がやっている通りに教えるのではなく、彼らの理解力に合わせて雇用することを会社として意識しており、それが肝要と思った。
毎日、日本理化学工業に通う障害者の方々が美唄地域障害者雇用支援センターの前を通る。美唄地域障害者雇用支援センターを修了した訓練生も1名いる。20代の男性で、毎日作業に取組んで事業に一役かっている。「俺達は会社に行っているんだ」という意識や顔つきがセンターの窓から伺うことが出来る。それが当センターの訓練生や我々職員の励みにもなっている。
この度の訪問に対して、日本理化学工業美唄工場の西川工場長様には多大なご協力を頂いた。心よりお礼申し上げる。
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