「できることをして、戦力になる」就労支援機関との連携で「特別扱いをせず、働きやすい職場を作る」ことに成功
- 事業所名
- 社会福祉法人恩賜財団済生会特別養護老人ホームふじの里
- 所在地
- 兵庫県神戸市
- 事業内容
- 老人福祉事業全般
- 従業員数
- 153名
- うち障害者数
- 6名
(内訳)
障害 人数 従事業務 視覚障害 0 聴覚障害 1 美化ヘルパー(施設内清掃、洗濯) 肢体不自由 1 美化ヘルパー(施設内清掃、洗濯) 内部障害 0 知的障害 4 美化ヘルパー(施設内清掃、洗濯)、デイサービススタッフ(主に清掃) 精神障害 0 - 目次
1. 事業所の概要(事業所の内容、経営方針、組織構成、障害者雇用の理念など)
(1)神戸の北の玄関口
有馬温泉を有する神戸市北区は、いちごや酒米の山田錦の産地であり、古くからある農村地域と住宅団地地域が同居する街である。芦屋市、西宮市、宝塚市、三田市、三木市の5市と境界を接しているため、人の行き来も活発だ。
このうち北神地区と呼ばれる地域は神戸のベッドタウンとして30年ほど前から開発が進んでおり、最近の人口増加も著しい。神戸電鉄岡場駅周辺にある郊外型ショッピングセンターには多くの人が集まってくる。人とモノが集まれば、行政サービスセンターや図書館などの社会資本が増え、幹線道路の整備計画も進められており、北神地区はこれからますます発展を遂げていくであろう地域である。
(2)「済生」の理念で地域の医療と福祉の核に
ふじの里は、この北神地区の中心地である藤原台にちなんで名付けられた高齢者介護の総合施設である。平成3年に済生会兵庫県病院が葺合区(現・中央区)から当地に移転したのに伴い、地域の高齢者ケアへのニーズを満たすために同敷地内に立てられた。開設15周年を迎えた現在は、特別養護老人ホームでの入所ケアのほか、デイサービスセンター・地域包括支援センター・居宅支援事業所の在宅サービス部門があり、高齢者サービス以外にも平成20年1月からは「重症心身障害児(者)通園事業」を実施している。
敷地は1万平方メートルを超え、建物は開設当初に建てられた東館と平成17年4月に増築された西館とに別れている。東館西館のどちらも1階は主に在宅サービス部門に割り当てられており、2・3階には入所系サービスの居室がある。それぞれのサービスの利用定員は東西あわせて特別養護老人ホーム(入所)が75名、ショートステイ35名、デイサービス50名となっている。
母体である社会福祉法人恩賜財団済生会は、明治天皇の「恵まれない人々のために施薬救療し、済生の道を弘めるように」との済生勅語に添えて下賜されたお手元金と、全国の官民から募った寄附金を元に明治44年に創設された。現在でも保健・医療・福祉を中心とした幅広い社会福祉活動の担い手として、全国で352の施設、307の事業を展開している。
「明るく」「優しく」「和やかに」を基本方針とし、「もっと謙虚に」をスローガンに掲げるふじの里に、吉岡崇氏が施設長として赴任してきたのは平成13年のこと。長年、神戸市において障害者福祉、特に昭和40年代当時では先駆的取り組みであった雇用・訓練などに携わってこられていた吉岡施設長は、「障害者施設の苦労はよくわかる。頼まれたら協力する」との言葉どおり、ふじの里では意識的に障害者を受け入れてきたという。しかし、それはごく自然に、地域の施設からの「よくできる人がいるので、実習をさせてもらえないか?」という「頼まれごと」から始まった。
2. 障害者雇用の経緯・背景(障害者雇用に取り組むことになった経緯や背景など)
(1)「頼まれごと」から連携へ
軽度の知的障害がありながらも作業理解なども良好だったAさん(女性 当時27歳)は、美化ヘルパーとして平成14年4月から実習を経て雇用された。美化ヘルパーとは、施設内清掃と洗濯を専門的に担う職種のことで、広い施設内の清掃と、洗濯のすべての工程を約5名のスタッフが行なっている。
当時Aさんが入所していた知的障害者入所更生施設では、彼女の就労をバックアップするため、通勤支援を初めとする様々な支援を行なっていたという。ふじの里でも、彼女を特別扱いはせず、「ひとりのスタッフ」として大切に雇用し続けた。
残念ながら、その後、Aさんは家庭の事情もあり離職することとなる。だが、このときの入所更生施設との連携の経験が、その後のふじの里での「支援機関と一緒に考えながら障害者を雇用していく」姿勢の素地となった。
(2)神戸市北部地域障害者就労推進センター
神戸市は、市の単独事業として平成8年に「神戸市障害者就労推進センター」(兵庫区神戸聖隷福祉事業団受託)を設置し、障害者の就労による自立した社会参加の推進及び障害者の職業生活の安定を図ってきた。当初は、兵庫区に1ヶ所だけであったが、障害者就労へのニーズの高まりと地域特性等を考慮し平成18年5月に「神戸市北部地域障害者就労推進センター(以下、文中では「北部地域センター」とする。)」を北区に開設。事業は、前述の入所更生施設を含む北区の4カ所の施設が共同で立ち上げていた「Fの会」を法人化した社会福祉法人フレンドが受託した。
北部地域センターは、その後、第1号職場適応援助者(ジョブコーチ)も配置し、公共職業安定所や兵庫障害者職業センターとの連携のもと、本格的な障害者就労支援に乗り出した。これにより、それまで「知り合いからの頼まれごと」であったふじの里での障害者の受け入れが、就労支援機関による専門的かつ継続的な支援を受けて行なわれる障害者雇用へと変化していく。
なお、障害者就労推進センターは、平成17年6月に策定された「神戸2010ビジョン」によれば、平成22年度までにさらに東部・西部の2ヶ所が増やされる予定である。
3. 障害者の従事業務・職場配置(障害者の従事している具体的な作業内容や配置など)
(1)「できることは何か」を考える
現在、ふじの里では6名の障害者が働いている。そのうち、5名が美化ヘルパー、1名がデイサービスの所属となっているが、基本的には、6名とも清掃と洗濯の業務が中心となっている。しかし、同じ美化ヘルパーでも、実際の業務内容はその人によって様々である。それは、最初から「この人ができることは何か?」という視点で業務が組み立てられているからである。「できることをしてもらい、戦力になってもらう」が、ふじの里の考え方の基本なのだ。
たとえば、知的障害を持つBさん(女性 29歳)は、当初、美化ヘルパーとして午前中に清掃、午後に洗濯室の業務をしていた。洗濯室では、洗濯から乾燥、仕分けと居室への配布までを行なっている。しかし、彼女は脳性マヒにより右下肢に軽い障害があり、それをかばうためか最近になって腰痛を患ってしまった。もともと体力を使う仕事や長時間の立ち作業には向いていなかったこともあり、これを機にBさんは午前午後とも洗濯室での業務に就くことになる。
筆者が初めて訪問した折、Bさんはまだ洗濯室には半日しか勤務していなかった。たたまれた洗濯物は、書いてある名前を確認し、各利用者の名前が貼ってある棚へ分けて入れていくのだが、彼女はなかなか正しい棚へ分けることができないでいた。「できることを中心にして仕事をしてもらっています」とスタッフの方は言われたが、事実上、彼女は乾いた洗濯物をたたむことしかできていなかったのである。
二度目に訪問したのは腰痛の発症後で、Bさんが午前午後とも洗濯室で仕事をするようになってから数日後のことだった。すると彼女は、ゆっくりと、他のスタッフに確認しながらではあるが、たたんだものを棚に分け入れることまでできていた。いや、させてもらっていたのである。
おそらくBさんは、洗濯室で終日勤務をするようになって、少しずつ棚の位置を覚えていったのだと思う。居室への洗濯物のお届けも業務内容に加わったので、「洗濯物を間違えて入れてはいけない」ことも実感としてより強く理解できるようになったのだろう。
「知的障害があるからできないだろう」と思われてしまうと、ほとんどの場合、その仕事は初めからさせてもらえない。仮に一度はさせてもらえても、失敗すれば、二度とはさせてもらえないことが多い。ふじの里の場合は、「できることをしてもらい、戦力になってもらう」という積極的な視点を持っているだけではなくて、「できないだろうからやらなくてもよい」という消極的な考え方をしない点に、特徴がある。
(2)仕事を任せる
「仕事はいくらでもある」と吉岡施設長は言う。たしかに、ここでは110名の方が暮らしている。そしてさらに、毎日50名のデイサービス利用者が、ここで日中の大半の時間を過ごす。スタッフもいる。これだけの人の衣食住を満たすためには、あらゆる「仕事」が発生するのである。施設は、これらの「仕事」を様々な役割の人々が一つひとつ片づけていくことで成り立っている。
Cさん(男性 29歳)は、神戸市障害者就労推進センターに併設の知的障害者通所授産施設(当時 現在は就労移行支援事業)の卒業生である。1ヶ月間の職場実習と3ヶ月のトライアル雇用を経て、平成18年6月より正式に雇用された。2級ヘルパー養成研修を修了しているため、美化ヘルパーではなくデイサービスセンターのスタッフとして、いくつかあるデイルームの清掃を担当している。
彼にはプラダー・ウィリー症候群という基礎疾患があり、そのために生じる様々な問題(過食や癇癪をおこすなど)もある。しかし、「仕方ないですね、病気ですから。利用者さんもそれなりに気付いていて、そのままで受け入れてくれています」とデイサービスのスタッフは言われる。
Dさん(男性 47歳)は、18歳で知的障害児通園施設を卒業した後、長らく自営業手伝いをしていた。家庭内での粗暴な行動や家出などを繰り返していたため、母からの依頼を受けて、吉岡施設長がふじの里で預かることになった。連絡を受けた北部地域センターが実習・トライアル雇用の手続きをとって、現在は、美化ヘルパーとして雇用されている。彼の仕事は、各階から出るゴミを収集し所定の場所まで運ぶことと、2F・3Fの居室前廊下の清掃である。特に、ゴミに関しては、分別がきちんとなされているかをチェックする役目を担っており、いつしか施設内では「Dさんにお任せね」と言われるようになった。本人はその言葉を誇らしげに受け止めている。
筆者が訪問した折、Dさんは、自分の名札に書かれている「美化ヘルパー」という職名を、「清掃員」に変えて欲しいと吉岡施設長に訴えていた。職名の変更については、彼曰く、「最初に雇用契約したとき、清掃員だと聞いていたから」だそうだが、ただの言葉の問題だけでなく、彼自身の「清掃」への強い思いの表れだろうと感じられた。
吉岡施設長のもとで施設全体、特に、雇用している障害者の様子に目を行き届かせておられる次原副所長は、「彼らに休まれると、とても困ります」と言われる。「お手伝い」や「補助業務」ではなく、それぞれの持ち場を完全に任されて仕事をしているからだ。休まれてしまうと、その代わりをする人がいない。彼らは施設が滞りなく運営されていく上で欠かせない、大切な歯車の一つとして、「あてにされている存在」なのである。
4. 取り組みの内容(取り組みの具体的な内容、活用した制度や助成金など)
(1)ジョブコーチの活用
現在は、洗濯室で勤務するBさんだが、当初は1Fフロアの清掃を任されていた。彼女は、右下肢の障害のため踏ん張りがきかず、両手で掃除機をかけながら本体を引っ張りつつ、移動していくことが難しい。この状況を察知した北部地域センターでは、ゴミ捨て場に捨ててあった車いすを改造し、掃除機とバケツなどの掃除用具が載せられ、軽い力で引いていける彼女専用の「お掃除カート」を考案した。
このカートには、フロア清掃の手順を図示したカードがぶら下げられている。全体の作業工程の流れと、ひとつひとつの工程の細かな指示が、写真と図と簡単な言葉で示されており、順番どおりに追っていけばやるべき仕事が抜けなく終えられるようになっている。またこれはBさんが勝手に仕事の手順を変えることができないようにするためのものでもある。彼女が仕事の流れを変えるときは、何らかの問題が起きているときが多い。そのたびに、工程表を見直しながら、何が起こっているのかを把握するのである。
実は、彼女はこれまでに2度の離職経験がある。離職の原因はどちらも人間関係で、一般就労はなかなか難しいのではないかと思われていた。ふじの里のスタッフに言わせれば「甘え上手」、支援者から言わせれば「精神的もろさ」が彼女の特徴であり、「単なる障害理解だけではなく、彼女自身を理解して対応することが必要」なのだと言う。そのため、彼女の受け入れにあたっては、充分な実習期間を設けるとともに、職場適応援助者(ジョブコーチ)制度を活用することとした。彼女の就労上の問題点を洗い出し、彼女にあわせた就労スタイルを確立すること、そして、それを事業所に理解してもらうことが目的であった。
Bさんへのジョブコーチ支援は、雇用前実習の段階から、兵庫障害者職業センターの配置型ジョブコーチと北部地域センターのジョブコーチによるペア支援を導入することが決まった。このペア支援について、北部地域センターでは「職業センターのジョブコーチには、様々なノウハウを教えてもらった。Bさんの人物像をよく知っている我々と、経験豊富な職業センターのジョブコーチとで理想的な役割分担ができた」と話す。お掃除カートも清掃の工程表も、職業センターと北部地域センターとが協力して作り上げたBさんのための「就労支援ツール」である。
(2)「作業日誌」「報告票」の活用
ふじの里では、Bさんのお掃除カートのように個人の障害にあわせた作業負担の軽減を図るツールだけでなく、彼らの日々の状態を把握するためのツールも活用されている。それが、「作業日誌」と「報告票」である。
「作業日誌」は、本人の気持ちをキャッチし、事業所側が本人の理解を深めるためのもの、「報告票」は、毎日の仕事を記すことで本人が自分の役割を理解し、やりがい意識を持つこと、また、本人が何をしているかを事業所側が理解するためのもの、である。どちらも事務所内に置いてあり、業務終了時にそれぞれが書くことになっている。事務所で辞書を借りて几帳面に書きつづる人もいる、という。
「障害のある人は、自分の気持ちを上手に伝えられないときに違う方法で表現することがある、ということを事業所に伝えるのが支援機関の仕事だ」と北部地域センターの冨田センター長は言う。そして、「ここはそんな彼らへの対応を一緒に考えてくれる、貴重な事業所である」とも。
「甘え上手」のBさんに対しては「一線を引くことが必要」であり、抑うつ症状のため出勤しづらい状況にあるEさん(男性 28歳)に対しては、「全てを受け止める構え」で接する。それらの対応が自然に行なわれるのは、全て、「障害の理解」と「人の理解」を事業所と支援機関が手を携えて実践してきたからこそ、なのである。
(3)SOSに応えてもらえる安心感
吉岡施設長も次原副所長も、声をそろえて言う。「SOSを出せば北部地域センターの支援者が必ず駆けつけてくれる。だから安心して彼らを受け入れていける」と。おそらく、管理職よりも、日常を共にする現場のスタッフのほうが、この実感はあるだろう。「仕事の手順や方法については、ジョブコーチ支援等を通じてしっかりと教えられているので、口出しはしない」との話も聴いた。現場での指示命令系統ははっきりとさせているが、問題を感じれば、そのたびに話し合い、調整を行なうとのこと。そうすることにより、本人たちに「自分の仕事への責任感」を持たせることに成功しているようである。
SOSを受け取ったら駆けつけるのは当然だが、そうでなくても、電話などでのちょっとしたやりとりは欠かさないと北部地域センターも事業所側も言う。「事務所のスタッフも心得ているので、電話があれば、どんな些細なことでも報告していますよ」と。この細やかなやりとりが、支援機関と事業所との信頼関係の基礎となり、それが結果として働く障害者と現場スタッフとの信頼関係の構築につながっているのである。
5. 取り組みの効果・障害者雇用のメリット (取り組みを実施したことによる効果、障害者雇用の波及効果やメリット、障害者自身のコメントなど)
(1)「嬉しかったこと、困ったことはなんですか?」
筆者が訪れたときにお会いできたBさん、Cさん、Dさんの3人に、「働いているうえで、嬉しかったことはなんですか?」との質問をしてみた。
Bさんは、洗濯物をたたむ手を休めずに「ズボンや服を(施設のやり方で)たためるようになったこと」と答えてくれた。自宅でのたたみ方とは違うので、きれいにたためるようになるまで、夜、自宅で練習したそうである。
Cさんも、デイルームの椅子を拭く手を止めずに、「掃除をしていたら、お年寄りの方が『ありがとう』と言ってくれるとき」がとても嬉しいと、語ってくれた。「せっかくヘルパー2級を持っているのに、お掃除ばかりで物足りなくない?」と意地悪な質問をしてみたところ、「最初は介護がしたいと思っていた。だけど、自分よりも他の職員さんのほうが上手だと分かった。今は、ここで仕事ができて嬉しい」との返事が返ってきた。
昼休みにインタビューに答えてくれたDさんは、口では「いつもほめられているからな」と言いつつも、なんだか気恥ずかしそうだった。「やりたいことはありますか?」との質問には「休暇をとるつもり。たまっているはずだから」と答えてくれた。休暇をとって、ぶらぶらしたいのだそうだ。
3人とも、少々優等生的な返事になったようだが、自分の仕事に対して責任感ややりがいを持っているのが充分に伝わる内容だった。
逆に「困ったことは?」とたずねると、Bさんは「言われたことがなかなか覚えられない。ノートに書くようにしているが今日は忘れてきてしまった」と答え、Cさんは「掃除をしていて、そこにあるはずのないものがあったりしたとき、『どけていいですか?』と聞きたくても上手く聞けなかったりする。周囲に他の職員さんがいないと、自分で勝手に判断してしまって、後で注意されたりする。ちょっといらいらしてしまう」と答えた。
どちらも、それぞれ周囲のスタッフが考えている「問題点」とほぼ一致しており、彼らが、自分の問題点を自分なりの理解で捉えていることがよくわかる。これはつまり、一緒に働く現場スタッフが、彼らに上手くフィードバックしていることの証なのだろう。
(2)厨房にももう一人
あるとき、ふじの里のなかで日常的に障害者が働く姿を見て、施設給食を委託している業者の担当者から吉岡施設長に相談があった。「実はうちの会社も障害者を雇用しなくてはいけない。誰かいい人はいないだろうか?」と。
ちょうど同じ頃、北部地域センターでも、地域のある相談者について、働く場所を見つけるため職場開拓をすすめていた。
人を求める話と、職を求める話は、タイミング良くふじの里で出会い、実習・トライアル雇用を経て、給食業者での正式な雇用へとつながった。
障害者雇用が広がっていくには、ひとつの事業所の中で働く障害者が増えることだけでなく、障害者を雇う事業所が増えることも必要である。「働く障害者」の姿を見て、周囲の事業所が「雇おう」と行動に移すこと。まさに、これほどの波及効果は、他にないだろう。
(3)特別扱いはしないが、働きやすい職場であるように
取材中、「特別扱いはしていない」という言葉を何度も聞いた。「彼らを受け入れるにあたって『障害者』についての研修をしたこともない。トラブルが起きればそのときに対応するが、病気や障害のせいであって、本人の責任ではないと思っている。時々、彼らが『障害者』だということを忘れる。『障害は個性。この人はこういう人。』という見方が良いのか悪いのかわからない。ただ、彼らが働きやすい環境を作ることで、戦力として扱えるように、各部署で目をかけながらみんなで見ている」と。
吉岡施設長に、「どうしてこんなに自然に彼らが受け入れられているのか、それが不思議です」と素直な疑問をぶつけてみたところ、うーんとしばらく考えた後で、こういう答えが返ってきた。「いちばん最初のAさんで、彼女の同僚が自発的に動いてくれたのがよかったのかもしれない。彼女が出勤しなくなったときに迎えに行くなど、同僚としての対等な関係を前提にして、意思を持って動いてくれた。それが今まで受け継がれているのかも」と。
また、ふじの里の開設15周年記念誌を読んでいたら「ふじの里を退職してから戻ってきた職員が何人かいる」という文章に出会った。きっとここは、誰にとっても「働きやすい職場」なのだろう。
人は誰でも、「自分は必要とされている」と実感できたときに自己の尊厳が高まる。これは障害があろうがなかろうが、変わらない。そして、「働きやすい職場」とは、「自己の尊厳を高めあえる仲間がいるところ」なのではないだろうか。
ふじの里の皆さんが「特別扱いはしていない」と言われる意味が、ようやく分かったような気がした。
執筆者 : 神戸市障害者就労推進センター 就労支援員 香木 明美
皆さまのお役に立てるホームページにしたいと考えていますので、アンケートへのご協力をお願いします。
なお、事例掲載企業、執筆者等へのお問い合わせや、事例掲載企業の採用情報に関するご質問をいただいても回答できませんので、あらかじめご了承ください。
※アンケートページは、外部サービスとしてユミルリンク株式会社提供のCuenote(R)を使用しております。