知的障害者は生産を支えるパートナー
- 事業所名
- 株式会社大協製作所
- 所在地
- 神奈川県横浜市
- 事業内容
- 自動車部品の電気亜鉛メッキ、カチオン電着塗装、CRバレル研磨
- 従業員数
- 69名
- うち障害者数
- 39名
障害 人数 従事業務 視覚障害 0 聴覚障害 0 肢体不自由 0 内部障害 0 知的障害 39 メッキ、塗装作業 精神障害 0 - 目次

- ホームページアドレス
- http://www.daikyo-inc.co.jp
1. 福祉施設と連携して
(1)人手不足の救世主
横浜の地に亜鉛めっきの工場を設立し、半世紀。
二代目となる栗原敏郎社長は、「まだ障害者が働くことが一般的ではなかった40年ぐらい前、先代社長の友人が特別支援学級の先生をしていた縁で、15歳の女性を採用したのが始まりだと聞いています」と、大協製作所の障害者雇用のきっかけを語り始める。
自動車部品のめっきや塗装の工場では、部材を塗装液の槽に漬けるため、ラインに治具(ハンガー)を吊り下げ、そこにたくさんの部材を引っかける「掛け」という作業が欠かせない。また、塗装し終わった部材をハンガーから一つずつはずす「下ろし」の作業もある。この「掛け」「下ろし」の作業はすべて人の手に頼らねばならず、モータリゼーションを迎えた当時、どの工場も人手不足に悩んでいたという。
「うちで扱う部材は小型のものが多く、体力的にはそれほど必要としないのですが、知的障害者と聞いて、現場からは不安の声が上がっていたようです」
しかし、家から会社まで、毎日片道3.5キロの距離を通い続け、休むことなく一生懸命に働く彼女の姿を見て、現場の不安は解消された。これなら十分やれる! 戦力になる人材として、知的障害者を視野に入れた雇用方針が固まったという。

(2)通勤で広がる行動範囲
その後、大協製作所は同じ横浜市の保土ヶ谷区への移転を機にある知的障害者の福祉施設、恵和学園に「働きたい人はいませんか?」と声をかけ、社員の採用を申し出る。学園のほうでも知的障害者が働ける場所を探していた矢先であり、話はスムーズに進んだ。
最初は学園からバスを出し、会社と学園の寮との送迎を行っていた。しかし、モータリゼーションが隆盛を極めるようになると、彼らにも残業を頼まざるを得ない状況になる。
「学園側は『送迎バスの時間は決まっており、残業は無理』と言うのですが、こちらは日々の生産に追いまくられて、もう限界まできていました。そこで思い切って『会社で定期代をもつから』と説得したのです。1969年の頃ですが、もう15人ぐらい知的障害者の社員がいましたね」
「通勤途中で万が一のトラブルがあったら・・・」と学園側は心配したが、しばらくするうちに、それも杞憂と分かった。
しかも通勤定期という「どこにでも行ける自由の切符」を手に入れた彼らは、休日を利用して街に買い物に出かけるなど行動的になり、日常の生活にも張りが出てきたという。
「いきいきと目を輝かせ、働く意欲を見せるようになった彼らの成長ぶりに、学園の職員もびっくりしたようです。後に『大協さんには本当に感謝しています』とお言葉をいただきました」
会社と寮の単なる往復だけでなく、「通勤」が加わったたことで、より広い行動範囲を手にし、それまで知らなかった世界に触れることができた彼ら。「会社に勤める」ことには、そのような副産物もあるのだ。
2. 働きやすくする工夫
知的障害者を生産部門の戦力として雇用し続けるには、彼らが働きやすい仕事の仕組みや環境を、いかに作り上げるかが鍵となる。
「そのひとつは自動化ですね」と栗原社長。
300度の熱を加える樹脂コーティングのラインでは、部材を上下逆さまにひっくり返して流すアイデアを発案し、完全自動化を達成。これにより加熱炉を廃止することができ、暑く過酷なラインでの作業をなくすことができた。
また、自動車のオイルゲージの部材をめっき・塗装するラインでは、新しい治具を開発することにより、パート社員6人がかりで1時間に300個しかできなかった作業が飛躍的にスピードアップ。3分間で一気に113個を塗装する作業が、障害者社員2人だけで可能となった。
「もちろん塗装ラインでは、部材を掛け下ろす作業は人がやらなければなりませんから、完全自動化はできません。でも、快適な環境を整え、道具や治具を開発し、ラインに工夫を施せば、人の作業をぐっと楽に、誰でもできるように単純化することができます。障害者社員が多いのなら、なおさら彼らがやりやすい方法を積極的に取り入れることが大事だと思いますね」
生産性や作業性の向上は、職場環境の改善にもつながる。生産現場はとかく3K(きつい、汚い、危険)と思われがちだが、大協製作所の工場を歩いても、そういった印象を持つことはあまりない。



3. 見えてきた加齢の影響
長く知的障害者を雇用し続けてきた栗原社長に、彼らの加齢の影響について尋ねた。
「個人差はあるが、体力・知力とも、健常者よりは明らかに早く衰えが見え始めるようだ」と、実感を語る栗原社長。早い人は30代後半、遅くても40代に入ると、その変化は顕著に現れるという。
「たとえば知力の面ですが、金曜日にできていた作業を、土曜日日曜日の2日間の休みを挟んで月曜日にさせようとすると、まるっきり忘れてしまっている・・・、そんなこともまれにあります」
体力面では、「立っていてもふらつき気味で、つかまり立ちが多くなる」「それまで持てていた重さの荷が持てなくなる」などの現象が見られ、結果的に作業スピードが落ちる。すると、同じチームで仕事をしている社員にしわ寄せがきて、苦情が出てくる・・・。
「本人はまだまだできると思っていても、他の障害者社員が迷惑と思うレベルにまでなってきたら問題です。本人と話し合い、もう少し楽な仕事に異動させるなど対処しますが、いよいよとなったら退社を打診するしかありません」
本人と両親を呼び出し、時間をかけて、双方納得のゆくまで話し合うという。たいていは本人が働き続けるのは無理という状況を自覚しており、円満退社となる。退社後の行き先としては、授産施設や作業所などに移行することが多い。
加齢の影響を最小限に抑えるために、毎朝、任意参加ではあるがラジオ体操をして体力維持を努め、また気づいたときには食生活の指導などもしているというが・・・。
「やはり会社で指導できることには限界があります。ですから一緒に住んでいるご家族の方も、彼らが長く働き続けられるよう、生活面での注意を心がけていただきたいですね」
加齢による影響は、障害者雇用を進めるどの企業にとっても、いずれ課題となるテーマである。大協製作所のような長期的な雇用経験を持つ企業から学べる点は多い。
4. 地方への展開で新たな雇用創出
1995年、大協製作所は第2の生産拠点として、福島県西白河郡に福島工場を設立した。その際、生産を担う知的障害者を新たに求人し、11人の新規採用を決めた。
「福島工場は、初めから障害者が働くモデル工場にするつもりでした。でも、現地では思ったように人が集まらない。そこで福島で働いてもらうことを条件に、神奈川で社員を募集したのです」
一人一部屋の寮完備ということもあり、かなりの応募が集まったとか。現在、寮はグループホームとして地元の福祉施設に運営をゆだね、生活面での管理も専門家がきっちりフォローしている。
神奈川から出向いた5人のほか、地元でも採用が続けられており、仕事が少ない地方の障害者の新たな雇用創出にも貢献している。
さて、2008年秋以降、未曾有の経済危機を迎え、自動車産業に携わる大協製作所も予断を許さない状況が続いている。
しかし、栗原社長は「厳しいのはどこも同じ。今は慌てることなく、しっかりと目の前の仕事をやっていくだけです」とキッパリ。社員の雇用を守りつつ、曜日別出勤にするなどワークシェアリングの手法も取り入れながら、今後の打開策を探っていく構えだ。

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