疾病により中途障害(左上下肢機能障害)
をもった従業員の職場復帰への取組
2020年度掲載
- 事業所名
- 株式会社クラウディア
(法人番号: 6130001058374) - 業種
- サービス業
- 所在地
- 京都府京都市
- 事業内容
- 婚礼衣裳等の企画・製造・卸販売・リース事業
- 従業員数
- 228名
- うち障害者数
- 13名
-
障害 人数 従事業務 聴覚・言語障害 3名 物流、クリーニング、事務 肢体不自由 2名 事務、クリーニング 内部障害 1名 物流 知的障害 7名 物流、クリーニング - 本事例の対象となる障害
- 聴覚・言語障害、肢体不自由、知的障害
- 目次
-
事業所外観
1. 事業所の概要
昭和51(1976)年12月、京都市右京区でウエディングドレスの企画・製造・販売を行う婚礼衣裳メーカーとして「株式会社クラウディア」(以下「同社」という。)は設立された。以来、「信頼される確かな商品づくり」を基本理念に事業を展開し、メーカーとしての強みを活かして、衣裳レンタル、リゾート挙式、結婚式場の運営などグループの事業領域を拡げ、挙式サービスから写真、美容まで手がける全国規模の「総合ブライダル企業」へと成長を遂げた。2007年に東京証券取引所第一部指定、2017年に持株会社体制へ移行し、商号を「株式会社クラウディアホールディングス」に変更するとともに、新事業会社である「株式会社クラウディア」への事業継承が行われ、現在に至る。売上高は124億円(2019年8月期/連結)に達する。
現在、クラウディアホールディングスグループは、基幹事業である婚礼衣裳の企画・製造・卸売事業、ならびに貸衣裳店向けに婚礼衣裳レンタルを行うリース事業などの「ホールセール事業部門」と、コスチュームサロン運営、リゾート挙式、式場運営などのエンドユーザーに直結する事業を担う「コンシューマー事業部門」の2本柱で事業を展開している。
本稿では同社における障害者雇用の経緯・取組の概要などとともに、在職中に障害を有するに至った従業員の職場復帰の事例を紹介する。
2. 障害者雇用の経緯と現況
(1) 雇用の経緯と採用に向けた取組
同社では平成23(2011)年より本格的に障害者雇用への取組を始めた。それまで障害者雇用を積極的に進めてこなかったが、企業が急成長し従業員が増加する中で、法定雇用率の達成を目指し社会的義務を果たすことの重要性、また地域社会貢献の観点からも障害者雇用の必要性を強く感じ、本格的に採用活動に取り組むことになった。
障害者雇用に取り組むのは初めてのことで、障害者に対する知識も少なく、採用を行うためのノウハウもほとんどなかったため、人事担当者はハローワークの紹介で障害者雇用に関するセミナーなどに参加し、障害に関する知識や支援制度などについて理解を深めるとともに、障害者の就職面接会に積極的に参加し、多くの障害者との面接を進めた。その結果、その年は聴覚障害をもつ人材1名を物流部門に採用した。その後も年に1~2名の障害者を継続的に採用し、 令和元(2019)年12月現在、13名の障害のある従業員(疾病による中途障害者1名を含む)が就労しており、法定雇用率を達成している。
次に採用活動におけるエピソードを紹介する。
(2)初めての障害者採用
同社がはじめて採用したのは聴覚障害のあるAさんである。採用にあたって同社ではセミナーなどで得たことを参考に、筆談用のホワイトボードを大量に用意するとともに、口頭指示・伝達がなくても良いように作業内容・手順を細かく記載したマニュアルの作成、異常を知らせるパトライトの設置などを行った。しかし、Aさんが働き始めてわかったのは、補聴器をつけていればある程度聞こえており、正面から大きな声ではっきり話せば伝わることが多く、さらに身振り手振りを加えれば意思疎通することができることで、用意したホワイトボードの出番はなかった。一方、マニュアルについては細かい点まで分かりやすく書かれていることから、作業をスムーズに処理するうえで有効であった。
人事担当者としては、聴覚障害といっても一人ひとり異なることから、聞こえの状態やコミュニケーションで必要とされる配慮などをより詳細に把握しておくことの重要性を再認識した。
ところで、Aさんはたいへん勤勉で体力があり、検針や仕分け作業を中心とする物流業務を手際良くこなした。職場内でのコミュニケーションも大きな問題はなく、配属先での評価も良好であった。Aさんのこうした働きぶりによって、同社は障害者雇用に対する確かな手応えを感じ、翌年、聴覚障害者を新たに1名採用した。
(3)特別支援学校との連携
Aさんの採用時期と同じ時期に、地域の特別支援学校(主として知的障害のある生徒が在籍している。以下「同校」という。)から職場体験の受け入れ要請があり、高等部の1、2年生を実習生として受け入れるようになった。以後、毎年3名ほどの生徒を受け入れている。職場体験を通して仕事に対する意欲や自信を深める生徒も多い。また、事業所にとっても実習生の受け入れを通して、障害のある生徒の真面目な仕事ぶりや能力を知り、理解を深める機会となっている。
この実習生の受け入れは、雇用を前提としたものではなく、体験学習への協力として受け入れているため、これまで同校から実習を経て採用した例はない。しかし、同校とつながりが深まったことで3年生の雇用を打診されるようになり、毎年のように同校の卒業生を新卒採用しているため、知的障害のある従業員が増えている。同校では資格取得などに力を入れており、在学中にクリーニング師の国家資格を取得し、同社に就職した者も複数名採用おり、クリーニング部門で活躍している。
3. 取組の内容と効果~職場復帰の事例から~
(1) 取組の内容
ア.事例概要
Bさんは50歳台後半の方で、現在婚礼衣裳レンタルのリース事業部に所属している。昭和60(1985)年に同社に入社し、営業担当として23年のキャリアがあるが、平成20(2008)年5月、47歳の時に脳梗塞で倒れ、その後遺症により左上下肢に麻痺が残り、身体障害2級に認定された。
3年に及ぶリハビリを経て、杖なしでも歩けるようになり、平成23(2011)年5月に職場復帰を果たした。営業職を継続するのは難しい状況であったため、新たな担当業務(オペレーション業務)での職場復帰となった。
イ.職場復帰までの経緯
「運ばれた病院で入院している時、窓から飛び降りてしまいたいと思った」とBさんは振り返る。当初、車いすの生活になると医師から言われ、絶望的な気持ちになっていた。しかし、執刀医の「歩けるようになる可能性がないわけではない」という言葉を信じてリハビリに取り組み、やがて車いすが4点支柱の杖になり、歩行杖へと変化していった。しかし、職場復帰したい気持ちはあるものの、難しいだろうと感じていた。
休職期間がもうすぐ2年になる頃、Bさんは会社の就業規則に則って、休職期間満了の2年になった時点で退職届を出そうと考え、人事担当者に伝えていた。しかし、Bさんの思い(職場復帰したいが障害状況などから難しいと考えるので退職する)を聞いた会長(兼社長)からは、「本人が復帰したいのであれば協力するのがうちの会社。会社から辞めさせることはない。(Bさんの)復帰を会社は待っている」という考えが示された。
Bさんは、「会社は自分の復帰を待ってくれている」という思いが「頑張らなければ」という励みになり、それ以後のリハビリは意欲と目標をもって取り組むことができた。そして、努力の成果が表れ、倒れてから丸3年を要したが、ゆっくりだが杖なしでも歩けるまでになった。
平成23(2011)年の春、Bさんは同社主催の展示会に顔を出した。電車とバスを乗り継いで自分の足で歩いてきたことを会長に伝えると、「ここまで公共交通機関で来られたのなら会社にも通えるな」と一言。この一言で復職が決まり、その後、人事担当者との面接を経て、3か月後に職場復帰することになった。
そして、復帰にあたっては配置転換(担当業務の変更)と設備の改善などの配慮がなされた。
ウ.職場復帰後の配置と配慮
(ア) 内勤業務へ配置転換
復帰するにあたって、外勤業務が多い営業職に戻るのは障害状況(歩行面や車の運転が制限されていることなど)から難しい状況であった。Bさんは会長から「何ができるか」と問われ、「右手一本なのでスピードは遅いが、パソコンなら打てる」と答えたところ、営業職からリース事業部の事務職へ配置換えとなった。
業務内容は、電話でのやりとりを主体としたオペレーション業務で、お客様や営業社員の要望に応えて、商品の出入りを管理し、パソコンを使って伝票処理を行うもので、Bさんはパソコンの入力作業、伝票の作成、台帳の管理など、全て右手だけで行っている。(イ)配慮事項
人事担当者はBさんと相談しながら具体的な配慮事項を決めた。主な配慮事項は以下のとおりである。a 職場環境の整備
トイレを和式から洋式に改装、階段に手すり設置(最初に勤務した本社オフィス)など、社内のバリアフリー化を図った。また、オフィスが2階フロアなので、通常、従業員は階段を使用しているが、Bさんにはお客様用エレベーターの使用を許可した。
b 勤務時間の短縮
Bさんは毎日、滋賀県から京都市内のオフィスへ通勤している。復職した当初は自宅から会社まで片道1時間30分かけて通っているので、体力面・安全面を考慮し、通勤ラッシュを避けた10:00~17:00の短時間勤務とした(のちに変更しているが詳細は後述)。
c 休暇の取得など
現在も週1回のリハビリ通院を続けているため、通院日を考慮して休日を決定。体調不良をはじめ、障害に起因する休暇の取得、勤務時間の調整などは、柔軟に対応。なお、Bさんはリハビリで休む日以外は、体調不良などで休むという事はほとんどない状態である。
d ワイヤレスヘッドセットの導入
通常の電話では片手が受話器でふさがり、筆記は困難である。復職から1年後に勤務地が本社からワイヤレスヘッドセットが導入されている現オフィスに異動になり(業務内容はそのまま)、ハンズフリー通話が可能で、通話中もメモがとれるようになった。
e 社内の障害者雇用担当者とのコミュニケーション
障害のことや配慮事項について、障害者雇用の担当者が理解しておくことは勤務を継続していく上で重要である。人事部門に障害者雇用の担当者が決められており、担当者はBさんに限らず、障害のある従業員に対し、「何か困っていることはありませんか」などのようにふだんから声がけをして、コミュニケーションをとるよう心がけている。
(2) 取組の効果
杖なしで歩行できるようになったとはいえ、左上下肢が不自由であることに変わりはなく、しかも、新たな業務での職場復帰だったので、不安を抱えながらのスタートだった。しかし、社歴が長いBさんは、全国の営業スタッフをよく知っており、作業内容を熟知している事もあって、的確に指示を出したり、正確に対応することができた。全支店に対しての中継地点の役割を担うこの新たな担当は、Bさんには最適な業務だったと考えている。
リハビリ担当の医師から「歩くことも、働くことも全てリハビリになる」と言われていることから、Bさんは許可されたお客様用エレベーターには乗らず、階段を使って2階フロアまで上がっている。また、商品の在庫チェックをする際も、4階倉庫まで移動距離があるにも関わらず、急な要請を受けた場合は、自身で歩いて行っている。
周りの従業員たちにとっても、自分の業務が軽減されたことに加え、これまでBさんが培ってきた現場経験や同僚との信頼関係を活かす形で、より効果的に業務を進めることができた。さらに円滑に業務を進められるよう従業員間で連携・協力する場面が増加し、障害者雇用の成果として理解され、今後の受け入れの基礎ができた。
「職場復帰後の配置と配慮」の項目で述べた、就労時間の短縮(10:00~17:00)については、通勤が通学で混み合う時間帯にあたり、押されて転倒するなど危険な目に遭ったため、復職から3か月経過した時点で通常の就労時間(9:00~18:00)に変更し、朝は早めに、帰りは遅めに帰ることでラッシュを回避している。朝は5時半に家を出て、空いた電車に乗って7時ごろに会社近くまで行き、喫茶店で朝食をとったり、語学などの勉強をしながら出社までの時間を有効に活用している。
「もともと私は内気な性格で、営業時代も消極的だったし、リハビリ生活を送っている時も外に出るのが恥ずかしかった。こんな体で復職なんてできるわけがないと思っていました。しかし、本人が(復職を)諦めかけていたのに、会長や周りの人が諦めないで待ってくれていたことが本当に嬉しくて、その気持ちに応えたい、復職したいと強く思ってリハビリに専念しました。今もその感謝の気持ちで働いています」とBさんは胸のうちを語ってくれた。
復職から2年後には、運転免許証センターでの運転適性診断を経て、自動車の運転を再開した。改造なし、補助機器なしの普通車を右手右足だけで運転し、行動範囲が広がっている。また「具体的な目標があるわけではありませんが、何かやろうと思っているほうが自分のモチベーションが上がりますから」と現在、英語・中国語・ベトナム語・民法・経理の勉強に励んでいる。彼のこうした前向きな姿勢は、「Bさんがここまでやっているのだから、自分も頑張らなければ」と一緒に働く従業員たちにもよい影響を与えているとのことである。
Bさんの勤務の様子4. 今後の課題とまとめ
(1) 今後の課題
同社の障害者雇用の担当者は次のように話す。
「Bさんが復職した8年半前は、同社の障害者雇用の実績が乏しく、特に在職中に受障した中途障害者は初めてだったので、復職に際し、業務内容・環境整備・心理面のサポートなど、障害特性に配慮した適切な対応ができるか手探りの状態でした。
Bさんは『多少の不自由があっても自分の努力で何とかなることはこちらが頑張ればいい』という考えの持ち主なので、これまでも会社サイドの対応が不十分な点を本人にカバーしてもらってきた。
Bさんは何でも『大丈夫、大丈夫。これもリハビリのうち』と言ってくれるので有難いのですが、それに甘えていてはいけない。今後もさまざまな傷病によって休職し、継続就労を望むも前と同じ業務では継続できないというケースは十分考えられる。将来を見据えて、社内の体制づくりや就業規則の見直しなども図り、Bさんにとっても、今後、中途障害で復職する人があった場合にも、働きやすい環境を整えて、長く働いてほしいと思っています」
(2)まとめ(執筆者として感じたこと)
20数年間、営業の第一線にいた人が、突然の疾病によって障害を有することになり、内勤業務に配置転換を余儀なくされ、気持ちが落ち込んだであろうことは想像に難くない。しかし、職場復帰を果たして新たに就いた業務に手応えを感じ、「障害があっても自分にできる仕事がある。会社の戦力になっている」と自信を持つことができるようになった。受障する前より前向きで活動的な毎日を送っている。
Bさんが職場復帰した2011年は、同社が本格的に障害者雇用に取り組むことになったタイミングと重なっている。聴覚障害者の初めての採用とともに、Bさんの職場復帰によって、同社に障害のある人が勤務できる土壌が形成されたと考える。
障害のある従業員一人ひとりのできること、できないことを確認し、周りの従業員がそれを「個人の特性」という視点で受け入れ、必要な支援や協力をしていこうという職場環境の整備。そして、「障害者と仕事をすることは難しい」という、それまで同社が漠然と持っていたイメージを払拭することができ、その後の支援学校の実習生受け入れにも結びついている。
障害者の雇用にあたり、現場でのマネジメントや必要な配慮の提供など、一定のサポートが必要であることはいうまでもないが、特に中途障害者の場合は、その人が「できること」を的確に見極め、適性に応じた業務をマッチングするとともに、「信頼して任せる」「経験を活かしてこれからも頼むよ」といった企業サイドや周りの従業員たちの期待と敬意が大切であると今回の取材を通して強く感じた。同社にはこれからも障害のある従業員の働く意欲に応える職場づくりをいっそう進めていってほしい。
執筆者:藤原 幸子
アンケートのお願い
皆さまのお役に立てるホームページにしたいと考えていますので、アンケートへのご協力をお願いします。
なお、事例掲載企業、執筆者等へのお問い合わせや、事例掲載企業の採用情報に関するご質問をいただいても回答できませんので、あらかじめご了承ください。
※アンケートページは、外部サービスとしてMicrosoft社提供のMicrosoft Formsを使用しております。