障害のある社員の離職ゼロ。アットホームな町工場
- 事業所名
- 株式会社羽後鍍金
- 所在地
- 神奈川県横浜市
- 事業内容
- 各種金属部品のめっき、研磨
- 従業員数
- 21名
- うち障害者数
- 6名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 肢体不自由 内部障害 知的障害 6 めっき処理 精神障害 - 目次
1. 助成金を利用し、初めて障害者を雇用
株式会社羽後鍍金(うごめっき)は、東京湾に面した広大な埋め立て地「金沢工業団地」のなか、金属部品のめっき加工を手がける小さな工場が建ち並ぶ一角にある。
従業員は21人。「ご覧の通りの町工場ですし、障害者雇用といっても大企業のような立派な取り組みをしているわけではないのですが…」と黒岩順一社長は謙遜するが、小規模ながら6人の障害のある社員を抱え、しかも1990年の初雇用から今まで離職者ゼロ。その熱意と実績が評価され、横浜市の「平成20年度ハマライゼーション企業グランプリ」を受賞している。

「といっても、最初は障害者を雇用すると助成金がもらえるという話を聞いて、興味を持ったんです」少々苦笑いをしながら、黒岩社長がホンネを語ってくれた。
同じくめっき加工業を営む株式会社大協製作所(横浜市)の栗原敏郎社長とは古くからのつきあい。すでに障害者雇用に取り組んでいた栗原社長に、高齢・障害・求職者雇用支援機構の助成金を勧められたのがきっかけだった。
「初めて障害者を雇用すると、必要な施設の助成金(障害者作業施設設置等助成金)が受けられるというじゃないですか。時はバブル経済まっさかり。ちょうど我々が手がけていたオフィスチェアのめっき加工が、人手が足りないくらいの忙しさでした。誰でも安全に使えるめっきのラインを増設しようとしていた矢先でしたし、人手不足の解消も兼ねて、障害者雇用に踏み切ってみようと思いました」
そして1990年、よこすか障害者就業・生活支援センターより、一人の知的障害者が紹介されてきた。「障害者雇用は初めてだけど、なんとかなるだろう」と楽観的に構えていた黒岩社長は、ここで一種のカルチャーショックを受けることになるのである。
2. 簡単に辞めさせたくない
最初に採用した障害のある社員は、当時30代の男性。それまでにいくつか仕事の経験はあったが、どれも長続きしなかったという。
「雇用して半年ぐらい様子を見て、どうして彼が今まで長く勤められなかったのかが分かってきました。2ヵ月に1回程度なんですが、突然、会社に来られなくなってしまうことがあるんです。私もこれにはびっくりしましたね」
それは前ぶれもなく唐突に訪れる。朝、出勤時間頃に本人から電話が入り、「今日は会社に行けない」と一言。理由を聞くと、早口にあれこれ並べ立てる。
「お腹が痛い」(前日はピンピンしていたが?)
「雪ですべって足を痛めた」(積もるほど降っていないのに?)
「会社に行くつもりだったけど、玄関の前にハチがいて出られない」(?????)
今日は会社に行きたくない。でも無断欠勤はいけないこと。だから電話をかける。けれども会社を休むには理由がいる。なにか言い訳をしないと…。彼なりに考えた一連の行動なのだ。
最初の頃は電話のたびに怒っていた黒岩社長も、次第に彼の行動パターンが読めるようになり、対策を練るように。
「『お腹が痛い』『熱がある』と言うのなら、『まず会社に来なさい。それから医者に連れて行ってあげよう』と答えたり、とにかく出社だけはさせるようにしました。彼は一人暮らしで、近くに住むお兄さんが保護者となっているのですが、きちんと家を出られるか見に行ってもらうこともしばしば。三者面談も何度したか分かりません」
しかし辛抱強くじっくり付き合ううちに、黒岩社長、これも彼の個性のひとつなのだと思い至った。
以前ほど多くはないが、最近でも「欠勤の発作」がたまに出る。昨年末には「今度やったら、辞めてもらう」とまで厳しくカツを入れたが、退職させるつもりは毛頭ない。
「私には彼を雇用した責任があるし、会社のルールに完璧に従わないからといって簡単に辞めさせたくはありません。それに、なんだかんだ言いながら長年勤め続けてきたのだから、なんとか定年までがんばって欲しいですね」
黒岩社長の言葉のひとつひとつには、彼をはじめ障害のある社員に対する理解と忍耐、そして家族的な愛情が感じられた。
最初に彼を紹介したよこすか障害者就業・生活支援センターは、課題を抱えていた彼が20年も勤め続けてこられたことに対して、「信じられない」と驚きを隠さないそうだ。
3. 職人レベルのスキルを持つまでに
1990年の初雇用を発端に、羽後鍍金は91年に3人、93年に1人、99年に1人と、採用を続けてきた。近年の2人は、日野中央高等特別支援学校(横浜市)から受け入れた新卒者である。
「特にこの2人は、複雑な作業手順や設備操作もこなし、会社の大きな戦力と言っていいほど。担当作業のスピードは社長や私より早いし、教わることもあるくらいですよ」そう語るのは、黒岩勉専務だ。
「知的障害者の場合、確かに仕事を覚えるまでに時間はかかります。優秀な彼らだって、半年ぐらいは私がつきっきりで教えました。しかし、一度覚えた仕事に関しては集中力を発揮し、実に正確にこなすのも彼らの特徴です。仕事を続けるにつれ、どんどん上達していき、その成長ぶりは目を見張るほどでしたよ」

めっき処理に使用する
液剤の温度管理や補充まで手がけるほどの熟練

年期の入った設備を使いこなす。
めっきラインひとつを任されているのだ
任された仕事に対しての意識も強く、たいていのことでは会社を休まず、「これは俺の仕事だから」という強い責任感が見られるという。
最初の頃は品質不良も多く、大量のロスを出すこともあった。しかしそこをぐっとこらえ、辛抱強く指導し、仕事を任せ続けたからこそ、今では戦力とまで誇れる社員となったのだ。
知的障害者の彼らに「仕事の責任感」と「やりがい」を与えてきたことも、離職者ゼロの理由のひとつではないだろうか。

黒岩勉専務
4. 大量生産から少量多品種生産へ課題も
羽後鍍金では、操業以来、金属部品のなかでも比較的加工が楽で大量生産しやすいものを手がけてきた。だからこそ治具(ハンガー)に部品を掛けたり下ろしたりといった知的障害者に向いた単純作業が多かったのだが、バブル崩壊以降、激しく状況が変化している。
「顧客のニーズに合わせ、さまざまな種類のものを少しずつ生産しなければならなくなってきたのです。いわゆる大量生産から少量多品種生産へのシフトです」と黒岩専務。
20年前に新ラインを導入しても生産が間に合わなかったほどのオフィスチェアの需要は、最盛期の10分の1に。かわって最近では、つり橋用ワイヤーの留め具など特殊な部品の生産も請け負うようになっている。

以前の主力製品だったオフィスチェア用のパイプ部品。
比較的めっき加工が簡単だ

つり橋用ワイヤーの留め具。
橋により仕様が異なる上、1個40kg以上の重さのものも

つり橋用ワイヤー留め具は生産工程も複雑で、
リフトで持ち上げるなど安全にも注意が必要だ
少量多品種生産の場合、同じめっき加工でも、その都度使用する治具を交換するなど、作業内容がめまぐるしく変わる。同一作業に長時間取り組むのは得意だが、変化に弱いという知的障害のある社員には、厳しい環境だ。
「それまでのオフィスチェアのラインでは高く評価されてきたのに、多品種生産ではミスを連発してしまったり…。特に、切り替えが苦手な社員は、最近、自信喪失ぎみなんですよ。なんとか彼らにも自信とやる気を持たせてあげられるようにしたいのですが…」
時代の流れ、状況によって、柔軟に仕事のやり方を対応させていかなければならない。そんななかで、どう社員を育成していくか。つねに課題となるところである。

羽後鍍金でめっき加工している金属部品の種類は、ここ数年で5倍に増え、5~6万アイテムにも及ぶ。
写真は主力製品であるクルマ用のバネ
5. 全員参加の会社づくり
現在、羽後鍍金では、5S(整理・整とん・清掃・清潔・しつけ)活動を展開している。もちろん障害のある社員も全員参加だ。
「5Sは、高い品質の商品を低いコストで生産するための基盤となる活動です。もちろん社員にとっては働きやすい環境が整いますし、全員が参加することにより団結力も生まれます」と黒岩社長。
5Sの一環として、月に一度、工場の表通りを全員で清掃する活動も始まった。
さらに「会社を良くするために」意見を交換しあうミーティングも定期的に行っている。
「障害のある社員も積極的に意見を述べてくれますよ。『あまり怒らないでほしい』といった素朴なものもありますが(笑)、ときには私たちの気がつかなかった現場の注意点などを指摘されることもあります。彼らなりに会社や仕事のことを一生懸命考えてくれているのだと思うと、嬉しくなりますね」
みんなの会社だから、みんなで良くしていきたい…。
黒岩社長は「障害者雇用といってもボランティアじゃありません。仕事に関しては厳しく指導しています」と語るが、羽後鍍金には、何かアットホームで居心地の良い空気が流れているように感じる。初雇用以来、障害のある社員の離職が一人もないというのは、この社風あってこそかもしれない。
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