長年、職場実習を継続して受け入れてきたことで「経験値」が高まり、無理のない雇用を実現している事例
- 事業所名
- 新旭電子工業株式会社
- 所在地
- 滋賀県高島市
- 事業内容
- 片面・両面ノンスルホールプリント配線板、防虫プリント配線板、銅スルホールプリント配線板、多層プリント配線板製造
- 従業員数
- 300 名
- うち障害者数
- 8 名
障害 人数 従事業務 視覚障害 0 聴覚障害 0 肢体不自由 1 製造(マシンキーパー) 内部障害 1 製造(検査) 知的障害 6 製造(マシンキーパー/運搬) 精神障害 0 - 目次


1. 事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)概要
新旭電子工業株式会社の本社は琵琶湖の西部、高島市にある。会社の設立は1980(昭和55)年12月。創業以来、プリント配線板の専門メーカーとしてエレクトロニクス製品のキーデバイスであるプリント基板を生産している。現在は、廉価なプリント配線板から高性能な両面プリント配線板、さらに次世代の多層プリント配線板や薄型プリント配線板まで幅広く生産を行なっている。
また、環境マネジメントにも力を入れており、イオン交換リサイクルシステム等のシステム改善、社会貢献活動としての淡海エコフォスター活動への参加等、各種の取り組みを行なっている。
(2)障害者雇用の経緯
当社の障害者雇用は設立当初に遡ることができる。話は今から30年ほど前のことになるが、当時は身体障害者が中心であった。設立とほぼ同時に採用した人は下肢が不自由であり、その後に採用した人も下肢障害で車いすを使用していた。車いすを使用している人の受け入れに際しては助成金を活用し身体障害者用のトイレを設置した。二人ともハローワーク(公共職業安定所)の紹介を通じての採用であったが、求人は一般求人としてのものだった。一般求人に対して障害者の紹介があり採用に至る。現在においても、時折見られるケースである。
それから年数が経過し、現在の雇用は身体障害者2名、知的障害者6名と知的障害者が多くなっているが、そもそものきっかけは養護学校や施設からの職場実習に関する直接的な依頼だった。ちなみに、これまで知的障害者で採用した人はほぼ全員、職場実習を通して(経験して)採用に至った人である(現在在籍6名中5名)。養護学校等からの依頼が増え始めた時期は15年ほど前からになるが、それは1998(平成10)年に知的障害者の雇用義務化が定められる以前の話である。これまでに受け入れてきた障害者の人は、のべ15名を超え、経験は豊富であると言える。トライアル雇用やジョブ・コーチ支援等、各種制度を活用しながら障害者雇用に取り組んでいる。
もちろん、過去には離職した人もいる。たとえば、ひとりの聴覚障害者。社内でのコミュニケーションは筆談が主。どうしても理解や気持ちの表現が不十分になりがちでコミュニケーションにもどかしさを感じていたのかもしれない。本人は手話でのコミュニケーションができる他県の企業に転職。もし、~ができていたら? と考えてみる。聴覚障害者を1人だけではなく2人、又それ以上雇用していれば、手話を理解しようとする姿勢が後手に回らずにできていたのでは等々。聴覚障害者にとって、より快適な職場環境とは? 経験を通じて学べることがある。
経験といえば、障害特性に応じた対応で苦慮したことがある。以前は自閉症の人を雇用していた。仕事は、する時はするけれどしない時にはしないなど状況により差があった。ある時、休憩時にトイレに行って、そのまま出てこないということがあった。ちょっと注意されたことが原因だったらしいのだが、話しかけても返事もない。それでやむを得ず、人事の責任者でもある担当部長が何度も何度もトイレの外からメモを書いた紙を入れて本人とやりとりをした。ほぼ半日。そんなことが何回かあった。安定して作業をするための環境を作り出すことに苦慮した。その彼は2年ほど在籍して離職となってしまった。
2. 障害者の職場配置
(1)雇用の状況と採用の現実
まず、現在の状況を下記に表で示そう。
No. | 障害種別 | 性別 | 入社年月 | 勤続年数 | 部署 | 作業内容 | 勤務形態 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
A | 知的 | 男 | 1992年11月 | 17年2か月 | 製造 | 運搬 | 日勤のみ |
B | 知的 | 男 | 1996年10月 | 13年4か月 | 製造 | マシンキーパー | 交替勤務 |
C | 知的 | 男 | 1998年4月 | 11年10か月 | 製造 | マシンキーパー | 日勤のみ |
D | 知的 | 男 | 2001年4月 | 8年10か月 | 製造 | マシンキーパー | 日勤のみ |
E | 知的 | 男 | 2009年4月 | 0年10か月 | 製造 | マシンキーパー | 日勤のみ |
F | 知的 | 女 | 2009年4月 | 0年10か月 | 製造 | マシンキーパー | 交替勤務 |
G | 肢体(上肢) | 男 | 1997年4月 | 12年9か月 | 製造 | マシンキーパー | 交替勤務 |
H | 内部(腎臓) | 女 | 1984年4月 | 25年9か月 | 製造 | 検査 | 日勤のみ |
(2010年1月31日現在)
(注) No.Hは、入社後、手帳の取得となった中途障害者であり、障害の程度は重度である。
表を見ると、いくつかの特徴を挙げられるが、ここではまず新規での採用について考えてみたい(2009年4月、知的障害者2名が入社)。採用の際に譲ることのできないこと。「それは最低限、社会のルール、職場のルールを守ることができるということ。そして周囲の人とコミュニケーションが取れるということ」と担当部長は言う。障害があるからといって、他の従業員と区別をすることはない。先にあげた二つのことは誰にでも共通することだと言える。
また、採用の現実ということがある。景気動向による採用枠の変化。景気が回復しない中での採用抑制。そうした環境下で、障害者の採用をどうするか。ひとつの現実として、障害者の労働量を1人分としてみることは難しい。けれど、最低賃金は払いたい(払わなければいけない)。あくまで賃金的にみれば、1人分に近く、たとえば0.5人分ではない。そうした意味ではどうしても慎重にならざるをえない。障害のある人の職業能力が高くても、会社全体としての人件費のバランスであるとかを考慮すると、不景気の時は難しいことが多いことも事実である。
(2)それぞれの従事業務
8名の障害者は全員製造部での仕事に就いている。生産工程に従って順に見ていこう。まず、BさんとGさんはレジスト形成(露光・現像)と呼ばれる工程で製造ラインの補助業務を行なっている。仕事としては配線板の整理であるが、二人でコンビを組み昼夜交替で勤務をこなしている。次にCさん、Dさん、Eさん、Fさんは検査工程の一つ前、高圧洗浄と呼ばれる工程でマシンキーパーとして業務を行なっている。ここでのマシンキーパーは製品を機械に順次投入し、今度は機械から出てきた製品を順次台車に積み込む仕事である。Fさんは2009年4月の入社だが、当初から交替勤務をこなしている。次にHさんである。Hさんは出荷前の完成検査の工程で検査業務を行なっている。最後にAさんであるが、Aさんは工程間での運搬業務を担当している。
職場配置としてみてみると、一つの工程に集中し過ぎるわけでもなく、多数の工程に分散し過ぎることもない。結果として、現場では障害者雇用の経験がある程度広く共有されていると言えるだろう。
また、雇用形態は準社員(賃金形態は時給)であるが(通勤に対する配慮から8名中1名はパート。社員・準社員に比較すると就労時間はやや短い)、契約は期間の定めがないものとしてのものであり、契約の更新も必要なく比較的安定した雇用であると言えるだろう。




3. いくつかの取り組み
(1)職場実習をどう考えるか?
当社は職場実習をとても重要視している。それは養護学校や施設からの依頼に応える(応えたい)ということもあるが、それ以上に採用のための一つのプロセスとしての効用が大きいと考える。これまでの受け入れ経験から、養護学校等からの依頼はけっして少なくはないが、その分、しっかりと見るべきものを見て、できる/できないを判断し、採用を検討する際には会社として、決して無理をしないようにしている。
実習を複数回受け入れる場合、これまで受け入れてきた実習生の様子、あるいは現在働いている人たちのレベルを踏まえて、彼(女)たちとの比較で、ある程度能力が高いと判断できることが重要で、そうした判断ができることで受け入れ側としては度重なる実習にともなう負担の軽減が可能となっている。それも、見る目があってのことではあるが。
とにもかくにも、まず、順番として、実習が先にある。実習の段階で、本人がどれだけできるのか?をみる。その際、原則がある。それは1回目の実習の時よりも2回目の実習の時にレベル・アップしていなければ採用には至らないということである。つまり、流れとしてはこのようになる。①実習1回目→②実習の評価(課題の把握、分析、目標化)→③学校・施設内での教育・指導→④実習2回目→⑤実習の評価(採用に向けて)である。1回目の実習で出てきた課題に対して、次回はここまでできるようにしましょうと目標を設定し、2回目の実習ではその目標の達成状況をみる。実習を2回行なうことで、進歩の具合(向上のレベル)を把握することができる。気持ちや心構え、加えて、本人の能力(努力することができるということも一つの能力であろう)。1回目と2回目がほとんど同じ評価であるなら、やはり採用は難しいと言わざるをえない。
実習期間は1回目、2回目で日数の違いはあるが、実習といえども、それは他の従業員と同じように一日が始まる。朝、自力で会社に来て、着替えをして、自分の職場に向かい、仕事を始める。自分のことは自分で。だから、学校等から会社に付き添いや見学に来ることはご遠慮いただいている。近くで付いて見ていられると、本人は緊張しっぱなし、逆に見ている側も心配でつい手を貸してしまったりする。それでは会社(職場)としては困ることもあり、会社として実習を受け入れた以上は、会社に任せてもらうことにしている。しかし、そうは言っても教え子のことは気になるわけであり、本人には来ているのか来ていないのか分からない程度で様子を見にきてもらってもいる。いずれにしても、本人たちはサボルことなく一生懸命実習に取り組んでいる。
(2)職場実習の実際から見えてくるもの
たとえば、台車の積み方がよくないとする。「次はこうしよう」「次はこうしてね」と職場の人たちが声をかけて指導をする。そうすると次はきっちりとできるようになる。きっちりとしようとすれば、確かに時間は遅くなるが、まずはどっちか(きちんと積み上げることか or 速く積み上げることか)と考えれば、きっちりと積み上げることが大事なのだから、そこから始めて、だんだんとスピード・アップを目指す。
長年にわたって実習を受け入れてきたことで、障害者にどう指導すればいいのか、そのことの経験値は高い。もちろん、障害は十人十色であることは当然だが、慣れというものがある。若者同士だと、どうしてもポンポンと言ってしまったり、ガツンと言い切ってしまったりしがちなところも、障害者を受け入れている部署は、おとうさん・おかあさん年齢の人たちが多いこともあって、穏やかに伝えることができているようである。
実習は受け入れから始まり、評価で終わる。実習を受け入れる部署はある程度限定し(軽作業がある部署)、そのなかで本人の能力等を鑑み、一つの部署に負担が掛かり過ぎないようにできるだけ分散化させている。次に実習での目標についてだが、それは1回目の実習と2回目の実習でそれぞれに異なる。ほとんどの場合、それぞれの実習期間は1週間と2週間であるが、仕事は通して同じ仕事をしてもらっている。1回目では学校や施設で設けた目標をクリアすること、会社での挨拶や職場のルールといった基本的なことが理解できて実践できることを主眼とし、2回目では仕事のスピードや出来高(量)も数字として目標化する。ここでは、たとえば1回目では1台の機械しか見ることができなかったのが、2回目では2台の機械を見ることができるようになる等の進歩が現われてくる。実習での指導はマンツーマンを基本にしている。そのほうが信頼関係もおのずとできあがってくる。そして評価だが、スピードや出来高といったものは標準の7~8割といったラインを一応の基準として考えている。
(3)話を聞くということ
人事の責任者でもある担当部長は言う。現在では勤続が17年を超えるAさん。廊下で顔を合すと、「今日は○○さんに怒られた~。どうしたらいい?」そんな風によく愚痴をこぼした。仕事を始めたばかりの頃は話を聞いてくれる人(上記、担当部長)がいたから、毎回ずっと総務部の部屋にやって来た。朝、午前10時、午後3時、休憩の時はほとんどいつでもやって来て、「どうしたらいい?」「どうしたらいい?」けれど、休憩時間以外の時間はけじめを付けなければいけない。今は仕事時間中だから帰りなさい。そう言って帰らせることも度々あった。
また、障害の程度がやや重い別の人の場合は、家の人とも連絡を取り合うこともしてきた。家に帰って、もし困ったことや、相談事の話があれば直接会社に知らせてもらえるようにしている。
他にも、「仕事をやめたい」と言ってくる人がいれば話を聞き、原因となっていることをできる限り改善し、時には「仕事を辞めてどうするの」と説得もする。障害者職業生活相談員でもある担当部長は、実習の時から本人たちと関わることで信頼関係を築いている。話がしやすい環境であること、職場で言いにくいことは総務の部屋に来ればいい。会社は組織である以上、職制というものがあるが、職制から見ればイレギュラなーことでも、話を聞いてもらえる場があること、そして話を聞いてくれる人がいること、そのこと自体がナチュラル・サポートであると言えるかもしれない。
(4)簡単ではないということ
以前の話になるが、あるエピソードを紹介しよう。軽度の知的障害がある女性。彼女は負けん気の強い性格で、男性の中に女性は一人だけの現場に入って仕事をしていた。そのラインは一般の社員でも入れにくい所ではあったけれど、この工程ならば、ということで、彼女にやる気があるからできないことはないだろうと、配置を決めた。もちろん、現場も時間はかかっても育てようという姿勢で彼女のことを見ていた。けれど、彼女は負けん気が強い反面、性格が短気で、ミス等が起きると一方的に「できない」と思い込んでしまう。確かに、できる時は周囲の人と比較してもよくできる。それで周囲も「これならいけるんじゃないか」と思う。けれど、本人がつまずいた時。その時がとても大変だ。その結果、職場放棄をする等トラブルが続き、もうこれは無理かな? と会社としても止めるに止められなくなり、最終的には離職ということになった。
正直、難しいところがあると思う。いつまでも本人が楽にできる仕事だけをそのままずっとしてもらうことは会社としてどうなのか? あるいは逆に本人が希望したからと言って、難しい仕事に就いてもらうと本人の能力との差が大きく、結果として退職ということになるとこれも会社としてはどうなのか? 本人の能力、あるいはやる気をどう判断し、どう評価するか。適材適所ということ。モチベーションを高くもって仕事をしてもらうということ。それは言うほど簡単なことではない。
(5)安定して働くことができるということ
「差別化しないこと」。障害者だから、という見方は一切しない。同じ職場で働く仲間。同じように評価すること。できる限り平等に見ること。そうしたことが、働く障害者にとっても平等に見てもらえるという思いにつながるのではないか。その結果、同じ職場で働くことができていると言える。
一方、差別化しないことが、むしろ求めるものを厳しくするということがある。だが、当社では長い目で見ることで、その危険性からは免れている。また、当社では、社員一人ひとりの能力を把握・評価するために各工程においてスキル・マップ表と呼ばれるものを張り出し、評価が目で見て分かるようにしている。そのことが障害者にとっても自分はきちんと評価されている、との思いになっている。
また、一人ひとり目標を立てさせ——あることを仕上げるのに1か月かかる人もいれば、2か月かかる人もいる。そのことはきちんと理解しなければいけないが——、たとえ少しずつでも進歩が見えることで、次はもっと頑張ろうと思う。評価が見えること、そして進歩が具体的に分かること。欠かすことのできない二つのことである。
4. まとめのようなもの
(1)求めることは素直であるということ
職場実習を経て採用となり、職業人として一歩を踏み出す。本人たちに求めるものは何か? 担当部長に訊いた。
当然、能力の向上といったことはあるけれど、ただ、本人たちに求めることとしては、素直であること、素直でなければならないと思います。素直であればコミュニケーションの場面でもいい関係をつくることができるだろうし、仕事の場面でも上司や先輩に言われたことを聞いて行動に移すことができる。素直であれば次の行動に移すことができる。でも、そうじゃなければ、次の行動はそもそもありえないわけだから。
では、どういった人が素直なのだろうか?
たとえば、「○○さん」と呼ばれて、「はい」とすぐに返事ができる人。素直じゃない人は「えっ」とか「はぁ~」とか振り向いたりしますからね。「はい」という返事で分かることはいろいろありますね。正直に言うと、ひねくれている人は能力の向上も見込めません。だって、人の話を聞くことができないってことですから。
(2)障害者を受け入れたことでの変化とこれからのこと
新しく障害者を受け入れた部署では、やはり、より周囲とのコミュニケーションを取ろうとする雰囲気が生まれる。しかし、これまでに受け入れた経験がある部署は慣れてきている分だけ、これまでの人ができていることは当たり前になってしまい、新しく来た人の立場からすればハードルが高くなってしまうことがしばしばある。見る目ができてきたことによって、ここまでは大丈夫だろうということになる。そうした凸凹は必要が生じれば、ならさなければならないことであろう。
これからも、けじめはけじめとしながらも、職場がギスギスとした雰囲気にならないようにアットホームな雰囲気をみんなで作りながら、自然体での雇用を考えている。その中で、これまでとは違って、障害者を受け入れている部署が特定の部署に集中しないようにしていくことが求められてくるだろう。受け入れに慣れている部署に限定することなく、いくつかの部署で受け入れていくことができるように。偏りを少なくし、遍く広く。それが大切なことであり、同時に課題でもある。
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