聴覚障害者雇用の老舗から学ぶ
~日々触れ合うことにより理解が深まる、区別はしないが配慮は大事~
- 事業所名
- レッキス工業株式会社
- 所在地
- 大阪府東大阪市
- 事業内容
- 水道、ガス等の配管用機械工具製造販売
- 従業員数
- 163名
- うち障害者数
- 8名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 6 加工・組み立て 肢体不自由 内部障害 知的障害 2 加工・組み立て 精神障害 - 目次

1. 事業所の概要
近鉄線河内花園駅から徒歩10分ほどの所に、レッキス工業株式会社(以下「レッキス工業」という。)本社工場はある。レッキス工業は1925年(大正14年)に創立されたパイプマシンや切断機、ダイヤモンド工具などの開発、製造、販売を行う従業員200数名の会社である。手回しグラインダーの国産化を初め、ねじ切り機の国産化に日本で最初に手掛けた会社としても有名である。
初代社長の宮川作次郎氏は社是に「三利の向上」を掲げている。これは、私欲に走らず、お客様・取引先様・社員の三者が繁栄していくことを目指すというものであった。その言葉通り、1949年(昭和24年)作次郎氏は、有志数名と大阪府布施障害者雇用対策協議会という団体を発足させ、障害者雇用に積極的に取り組んでいった。作次郎氏の経営方針は、現在も受け継がれ充実した障害者雇用が行われている。
昨今、先代もしくは、それ以前の社長の時代に障害者の雇用を行い、現在も障害者が働いているという事業所も増えてきているように感じられるが、そのような中で社長が代替わりし続けても障害者の雇用管理を戸惑わずに行えるのは、首尾一貫した社内の理念があるからであろう。
2. 障害者雇用の状況
レッキス工業の障害者雇用は1938年(昭和13年)にさかのぼる。初代社長宮川作次郎氏が、大阪市立聾唖学校(現:大阪市立聴覚特別支援学校)を訪問した時のこと。作次郎氏は職業訓練を受けている聴覚障害の学生たちの姿を目にした。そのひた向きな姿勢に感銘を受けた作次郎氏は、戦争による労働者不足も相まって、「ともに働く喜びを分かち合うべきだ」と障害者雇用を始めた。
まずは、1人の聴覚障害者の採用だったが、その数は次第に広がり、昭和20年代には30人、そして昭和39年には実に90人もの障害者が雇用されていたという記録が残っている。そして、現在でも、163名の従業員のうち8名の障害者が働いている。
長年にわたり聴覚障害者を中心に雇用していたが、昭和44年頃からは知的障害者の採用もすすめたり、平成18年には聴覚障害者を製造職以外に事務職で採用した。当社における障害者を採用するポイントは、「もちろん、会社の状況にもよりますが、学校の先生などとも相談しながら、頑張ってやっていきたいという気持ちがある人なら採用を検討するように考えています。配属についても、その人の得意分野や、やりたいという気持ちを踏まえて検討しています。」とのことであった。
レッキス工業では、給与体系など障害者だからと区別したりはしない。現に、管理職の一つであるチームリーダーに聴覚障害の方が就いている。

3. 障害者の雇用管理のための取り組み
レッキス工業では、障害者を給与体系などで区別はしないとしながら、障害からくる制約については配慮を怠らない。
聴覚障害者が快適に職場で働けるように、さまざまな工夫がなされている。ハード面では各現場にシグナルライトが設置されており、業務の開始や終業、休憩時間の折など視覚的に分かるようにしている。「聞こえる者にとってもライトによる合図は分かりやすく、チャイムが壊れている時でも便利なんです。」とのことで、障害者が働きやすいという事は、障害者以外の人にとっても働きやすいということなのであろう。
また、コミュニケーションについても、朝礼やミーティングの際、必ず手話通訳をつけるようにしている。現場での短時間の打合せなどであれば現場の社員が、全体の朝礼などは総務部の社員が手話通訳をし、長時間にわたる研修などでは、助成金制度を活用し、公的な手話通訳者派遣制度を利用している。知的障害者も含め、現場のほとんどの社員が手話を使え、音のうるさい時や遠く離れている時など、聞こえる者同士でも手話を使ってコミュニケーションを図っていることもあるそうだ。
聴覚障害者のいる部署の上司は手話を覚えることが条件とされ、総務部には手話通訳者を配置している。また、手話を知らない新入社員には、聴覚障害者である社員が講師となり手話教室を開いている。社内で使う専門的な機械や部品の名称などについては、その形や使用するしぐさなどを基に社内で独自の手話単語(社内では通称、レッキス手話と呼ばれている)も用いられている。
聴覚障害者である社員が手話教室の講師をしている事は、実に意義深い事だと感じられる。なぜなら、その手話教室を通じて、聴覚障害者の社員は、聞こえる人たちの中での役割を持つ事ができ、場を共有する事によってお互いの人間関係を深める以上に、
障害のある者<< 障害のない者
助けられる者<< 支援する者 という社会一般に存在する立場関係とは異なる
⇓
講師 >> 生徒、学習者
手話が話せる者>>手話が話せない者 という立場関係にお互いが触れる事ができ、その事により、聞こえる人と聞こえない人がお互いを尊重する対等な関係を築く礎となるからである。
他にも、障害者に対し、パソコン教室や文章の書き方、茶道教室、フラワーアレンジメントなどの研修を目的とした障害者の研修施設「宮作木(みさき)会館」を平成2年に助成金を利用して設立したり、社内の聴覚障害者を中心とした集まり「みさき会」を創設したりと福利更生の増進にも努めている。
また、知的障害者に対しても、現場にて部品を写真で示したりするなど、全ての社員が能力を発揮できるよう配慮している。

4. 障害者に対する周囲の反応
ここまで障害者の割合が高いと、新入社員は戸惑わないのか?障害者以外の社員は、どのように感じているのか?と担当部長に率直に聞いてみると、「30数年前、私が就職する際にもすでに障害者の方は多く雇われていました。入社前から障害者が多くいるという話は聞いていましたが、実際にどのような感覚なのかは入るまで、分かりませんでした。実際入ってみて、当初は戸惑いましたが、職場以外にも寮生活などで聴覚障害の方とも多くふれあっていく中で、徐々に聴覚障害者の方の器用な面や、総体的に真面目な人が多い面など知るようになり、話せない以外は変わりがないと実感するようになりました。むしろ感性は聞こえる者より鋭い面があります」とご自身の経験を踏まえ、徐々に慣れてくれば自然に理解し合えるとお話しだった。
5. まとめ
今回は主に聴覚障害者の雇用管理について述べたが、しかし、その中には聴覚障害者の雇用管理にとどまらず、障害者雇用全般に対するヒントが隠されているようにも思われる。
例えば、障害者雇用に対する不安について、障害者が社会の少数派である事から、接する機会が少ないためにどのような関わりを持てばよいか、どのような人たちなのかが分からない事からくる不安が存在するという事である。慣れてしまえば、一部の異なる面(障害)以外は同じである事を感じていくのだが、実際に接する機会がないと不安を持つのもまた事実である。障害者雇用が初めての事業所ではトライアル雇用などの制度を利用し、そのような不安を取り除く事も一策だと思われる。
また、手話教室での取り組みから学ぶ事は、障害者が自分の得意な分野を披露できる場が障害者と障害者以外の人との関係を深め、より働きやすい環境が築かれるということである。手話教室は一例としても、日常の作業の中で障害者の個人(場合によっては障害のない者も含め)の得意な作業について全員の前でほめる(確認をする)なども、従業員全員がお互いを尊重し、働きやすい環境を作ることに役立つのかもしれない。
さらに、手話通訳のスタンスからも学ぶ事ができるだろう。簡単な事は社員が手話通訳を行うが、長時間の込み入った話の場合は助成金を用い、手話通訳の派遣の制度を利用する。つまり、自分たちでできる範囲は自分たちで行うとともに、専門家が必要な時には、専門家を活用するというバランス感覚の重要性。障害者雇用は事業所だけで取り組むのはなかなか難しい面もある。必要な時には、専門家に相談したり活用したりする事が重要であろう。
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