大切なのは、雇い入れることより、むしろ最後まで雇い続けること
- 事業所名
- 株式会社有村屋
- 所在地
- 鹿児島県鹿児島市
- 事業内容
- 食料品製造業(水産物加工・さつま揚げ、かまぼこ製造)
- 従業員数
- 77名
- うち障害者数
- 4名
障害 人数 従事業務 視覚障害 1 包装・箱詰め担当 聴覚障害 肢体不自由 内部障害 知的障害 3 包装・箱詰め担当 精神障害 - 目次


1. 事業所の概要
鹿児島の特産品として真っ先に名前が挙がるのが「さつま揚げ」(地元鹿児島では、一般的に「つけ揚げ」という)。一説によれば、江戸時代の初め~中頃に生まれたとされるこの「つけ揚げ」は、鹿児島ではどこの家庭でも自前で作る家庭料理であり、定番の郷土料理の一つであった。これを「さつま揚げ」として全国でも親しまれる名産品に育て上げ、今日の地位を築き上げた最大の功労者の一つが有村屋である。
大正元年、初代 有村末吉が有村屋蒲鉾店として創業したことにルーツを持つ同社は、平成23年、創業100年を迎える。現在は、三代目である有村興一社長のもと、県内各地の販売店以外に国内大手百貨店内に直販所を持ち、県内外の大手スーパー等でも同社製品を取り扱っている。
また、米国を始め世界数か国への輸出や現地における製造技術の指導も行なっており、 その活動の場は大きく広がっている。
2. 障害者雇用の経緯・背景
実際に障害者雇用に取り組んでいたり、理解があったり、興味を示す人の中には、自らの家族や身内、親しい友人知人に障害者がいるという場合が少なくない。あるいは学校や職場で障害者と交流を持ったという場合も多くある。
有村興一社長の場合は、そのいずれでもないという。
「社長、障害者の雇用に取り組むこととなったきっかけは何ですか」という筆者の問いに、有村興一社長は首をひねった。「何がきっかけじゃったろかい。思い出さん(何がきっかけだったのかなあ。思い出せない)」そしてこう続けた。「同じだからねえ」障害のある人もない人も皆同じ人間ではないかというわけである。
「ご縁があって、一緒に働くことになったのだから、最後まで勤め上げてほしいねえ」「企業の経営者としては問題かもしれないけれど、(雇い入れるときは、障害者の作業の)効率とかを深く考えていなかったかもね」と笑う。
雇い入れの経緯については忘れたけれども、そんなことはどうでもよい。それよりも今いる障害者がここで働いていて楽しくないといけない、そして最後まで働き続けて欲しいと語る。
3. 障害者雇用の理念、基本的スタンス
同社には経営理念や社訓・社是が存在しない。いや正確に言うならば、社内には代々受け継がれてきた信念や教えが脈々と流れているのだが、そういったものをかしこまってまとめ上げたものが存在しないのである。それは、有村興一社長の「(組織)風土を変えるのは言葉じゃない。日頃接していく中で、行動で範を示し続けていくことで徐々に変わっていくものだ」という考え方も影響している。
障害者雇用に関しても同様で、マニュアルや心得手控えのようなものは存在しないが、障害者に対する基本的スタンスは確立されている。取材を通して見えてきたものを以下にまとめた。
・ 障害のある人もない人も同じ人間だから。
・ 社員は皆家族。
・ 新規採用に関し、別途に障害者枠を設けているわけではなく、積極的・意図的に障害者ということを意識して雇い入れるわけでもない。なぜなら、障害のある人とない人は全くの対等、区別する必要がないからであり、同社にマッチする人であるかどうかを採用基準にしている。
・ 障害者にも向いている仕事は必ずある。
・ (会社には)社会の一員たるものの責任として、常に障害者を活かすことを考える義務がある。
・ 障害者であるという理由だけで門前払いしてはいけない。障害の態様や程度、本人の資質・性格等をよく理解したうえで、本人が今持っているものを活かしてあげたいという気持ちを持つことが大切。
・ 障害のある人は、障害のない人と対等となれる意識、自らのハンディキャップを乗り越える意識を持っている。(それを大切にする必要がある。)
・ 障害者だからといって絶対に甘やかしてはいけない。特に安全・安心にかかわる部分については、障害のない人と全く同様に厳しく叱ることも必要。それは障害者本人のためでもある。(自信と信念を持ってあえて厳しくする。)
・ 障害者に変に合わせないことが「対等」につながる。しかしながら、障害の態様に合わせて配慮することは必要である。
・ 障害者の職場配置にあたっては、危険性が考えられる場合はその業務はやらせない。無茶や無理は絶対にさせない。
・ (特に障害者は)経験させないと能力はわからない。差別していたのでは能力がはかれない。
・ 障害者は他人に頼らず、自立して生きていかねばならない。そのことを障害者本人に理解させ、意識を変えてあげるようにしないといけない。自立心が湧くようなサポートをしてあげないといけない。
4. 障害者の従事業務、職場配置
同社には、もちろん営業職や経理・総務といった事務職もあるが、障害のある社員は全員、製造工場内での作業に従事している。最初から工場内での配置に限定していたわけでなく、前記3で述べた考え方に沿って配置を行なった結果が、たまたま工場内だけの配置になったのだという。同社における障害者の職場配置を具体的にみてみることにする。
さつま揚げが出荷されるまでの工程を大まかにまとめると次のようになる。
1.魚体処理工程(原料魚の頭や内臓を取り除き、魚肉を取り分ける作業)⇒
2.水さらし・脱水工程(血液や脂肪等を徹底的に洗い流す作業と脱水作業)⇒
3.ミンチ工程(魚肉を砕いてミンチ状にする作業)⇒
4.擂潰(らいかい)工程(魚肉ミンチに塩・地酒・調味料などを加えて擂り潰す(すりつぶす)作業)⇒
5.成形工程(棒状、小判状、球状などに形を整える作業。ニンジンやゴボウなど野菜を混ぜるときは、この工程で入れる。)⇒
6.油揚げ工程(まずは低温の油、次に高温の油で二度揚げする)⇒
7.箱詰め・出荷工程
視覚障害者Aさんは、聴覚にも障害を持つ。そのため、車の運転を必要とする営業職や、電話応対、細かい字で書かれた書類等の処理を要求される事務職は本人の負担が大きいと判断。また、工場内でも水や油を大量に使用する製造工程は、作業中はどうしても床がすべりやすくなってしまいがちなため、三半規管の機能に問題があって平衡感覚に疑いが残るAさんを配置することは万が一の場合、転倒の危険が伴うかもしれないと考えられた。その一方で、几帳面で責任感の強い性格は、クライアント別、注文別に細かく仕様が分かれている製品詰め合せと包装に向いていると考えられたことから、現在の業務に就くにいたった。今では当業務のベテランとして、他の社員に指導する立場でもある。




「商品ラベル自動貼付機」
・・・大手スーパー等に出荷する商品の仕様が書かれたメモが貼り付けてある。「当日作ったものを当日出す」方針で、作り置きを一切行なわないため、同じ商品を大量に作ることはなく、どうしても多品目小ロットにならざるを得ない。また、随時入る臨時の注文等にも対応する必要がある。商品のラベルと中身に不一致があるとたいへんなクレームに発展する恐れもあるため、ラベルの製作と貼付は神経を使う作業である。Aさんはこの自動貼付機のパネルを操作して、商品と出荷数に合わせたラベルつくりを行なっている。
「商品の仕様の例」
・・・この黒いパックに仕様書どおりの製品を詰めて商品の出来上がり。写真の例などは、スーパーからの定期注文(毎日出荷する分)であり、詰め合わせる製品も一種類だけなので非常に楽だと言う。
「視覚障害者Aさんの作業の様子」
・・・仕様どおりの製品が詰め合わされているか、ラベルとの齟齬はないか、ラベル表記に誤りはないか等々、Aさんの厳しい目が光るチェック作業。
「包装箱詰め作業」
・・・細かく分かれた仕様に合わせるため、箱もパックも多種多様。仕様書に忠実に製品を詰め、商品が出来上がっていく。写真右端に一部が映っているのはAさん。
知的障害者Bさんについては、原料となる魚の目利きや細やかな鮮度管理が必要な上記1(魚体処理)、2(水さらし・脱水)の工程は困難と考えた。さらに、さつま揚げ(に限らないが)の味を決定づける重要な3(ミンチ)、4(擂潰・・らいかい)の工程は同社でも熟練の腕を持つ限られたベテラン社員の担当。一方で、どちらかと言えば単純作業を飽きずにコツコツと行なうことが苦にならないことから、真空パックの製品詰めなどを担当させることとした。

袋詰め商品を製造中のBさん。商品名が印刷された袋を機械にセットし(写真では見切れているが、この機械の右側に袋のセット箇所がある)、商品名に合ったさつま揚げを決められた分量ずつ機械のアームへ並べ入れる作業を行なっている。あとは機械が自動的に袋詰めし、エア抜きで真空状態を作って封をする。作業自体はさほど複雑なものではないが、商品が多種にわたっているため、頻繁に袋や商品を入れ替える必要がある。棒状のさつま揚げ一つをとってみても、製品のグレードが数種類あるため、確かな製品知識と真摯な心構えが要求される作業である。
常日頃はこうした作業を主として担当しているが、それぞれ自身の業務に空きが出ると、上記5の成形工程で使用する野菜等の下ごしらえ(洗浄、皮むき等)を手伝うなどしている。
5. 取り組みの内容と効果
同社における障害者の勤務年数は非常に長い。定着率が非常に高いというか、退職者が出ないのである。数年前に障害者(聴覚障害者)の退職者が一人出ているが、これは家庭の事情で県外へ移住せねばならず、その移転先に同社の出先がなかったため、やむを得ず退職に至ったのだそうで、当人とは今でも時折連絡を取り合っているという。
障害者を雇用した場合のサポート体制だが、これまで、専任の担当者を貼り付けて業務を教え込んでいったこともあるし、周囲の社員が交代で仕事を教えたこともあるといい、特に決められていないとのこと。
公共交通機関での通勤の便がいいとは言えないため、社員の多くはマイカー通勤であり、残り(障害者3名を含む)は通勤用マイクロバスを利用している。また同社では、このマイクロバス以外に通勤用の車両が一台あり、こちらはもっぱら障害者が利用している。
障害者の雇用に基づく各種助成金については、意識してこれを使わないようにしていると有村興一社長は語る。決して助成金・補助金を否定しているわけではない。ただ、多くの助成金等は障害者を雇い入れた当初だけに限られるけれども、会社の戦力として障害者に長く勤務してもらえば(これが大切なこと)、会社も障害者もハッピーであるし、言葉としては不適切だが、助成金等による金銭価値をはるかに上回る価値をもたらしてくれるから結局会社は得をするのだということらしい。だから、「まず助成金ありき」といった姿勢があるとすれば、それは絶対に許されることではない、そんなことで障害者雇用はうまくいかないし、やってはいけないと強い口調で語る。全く持って同感である。

このマイクロバスも助成金等を利用して購入したものではない。
現在では、勤務年数が長いことで障害者は会社内に完全に溶け込んでいるため、特別に目につくような効果やメリットは見出せないという。ただ、取材を進めていく中で、いずれの社員も障害のある社員を戦力として認めていることは間違いないと感じた。
6. 今後の展望と課題
ご縁があって取引が始まったのだから、こちらからそのご縁を切るようなことはしないというのが同社のモットーだと言う。
二代目 有村盛吉社長には、「おいしく食べてもらい、体の身になり、残りは無事に排泄されて、初めて食品の役目は終わる」という固い信条があった。こうした食べ物の責任、食品製造に携わる者にとって最も大切な心構えを父から受け継いだ有村興一現社長は、障害者雇用にも同じことが言えるのだと説く。それは、縁あって当社で働くこととなった従業員には、障害があろうとなかろうと最後まで働いてもらいたい。入社してから退職するまで(退職とはこの場合、最後まで働き続けてもらうことを意味する)面倒を見るのが会社の責任だということである。
この「最後まで」というところがポイントで、決して定年を意味しているのではない。同社にも一応定年制度は存在するが、元気で業務に支障なく勤務することが出来る限り、いつまでも働き続けることができる(現に、同社には70歳を超えた社員も存在する)。あくまでも本人次第というわけで、こうしたことを踏まえた上での「最後まで」なのである。ちなみに、定年後再雇用でも給与を下げるといったことは行なっていないという。
同社でも障害者雇用に全く問題がないわけではない。「障害者は皆、戦力になっているのですね。」という筆者の言葉に、有村興一社長は大きく首を振った。「現時点では戦力だとは言い切れない。」と言う。
重度の知的障害者であるCさんは、時折、勤務中に大きな声を出したり、持ち場を離れて別の作業場所に行くことがあるのだ。大声に対しては、周囲の社員は決して叱ることなく、まずはなだめることにしているという。また、別の作業場所に行くのは、自らの作業を終え、他の作業を手伝おうと自分なりに考えている場合なのだとわかったのだそうだ。だからこちらの場合も叱ることはしない。
そういったわけで、障害のない社員に指導する立場にある者もいる一方、まだまだ指導に時間のかかる障害者も存在する。しかしながら、誰もみな一所懸命がんばっている姿が非常にうれしいし、満足を感じると有村興一社長は言う。人は会社に入ってから成長していくことが大きいのであって、こちらがあきらめなければ、いずれは戦力になると信じているのである。
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