本気で向き合う ~指導者と従業員の枠を超え、
まごころから障害者の社会参加を支える取り組みを実施~
- 事業所名
- 徳倉産業運輸株式会社
- 所在地
- 静岡県駿東郡
- 事業内容
- 運送業、フランチャイズ経営(サーティーワンアイスクリーム他)
- 従業員数
- 125名
- うち障害者数
- 11名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 肢体不自由 1 ネット販売に関わる業務 内部障害 知的障害 5 出荷業務 精神障害 5 出荷業務 - 目次

1.事業所の概要
当社は、1981年に設立された貨物運送業や流通加工業、家電製品取付事業等、多種にわたる事業を展開する事業所である。
「地域に必要とされるトータル物流に挑戦し、お客様に必要とされる会社を目指す」こと、そして「社員とその家族が夢と希望に燃えることのできる会社を目指す」をモットーにおき、業績を伸ばしてきた。
従業員数は125名で、そのうち身体障害者1名、知的障害者5名、精神障害者5名を雇用している。身体障害者は右半身マヒに難聴を伴う重度障害者である。知的障害者の5名は皆、重度障害者である。全体を合わせると雇用率は6%を数える。
年齢構成は19歳が1名、20代が2名、30代が8名である。時給は725円で、全員5~5.5時間の短時間で働いている。
11名の障害のある従業員は、物流の業務に従事している。全員がここ3年間に雇用されており、それまで会社には障害者雇用の実績、経験が全くなかったということには驚きである。短期間に大勢の障害者が雇用され頑張って仕事に就いている状況に、今ではハローワーク(公共職業安定所)が求職者を紹介する先の主要な事業所の一つになった。しかし、そこに至るまでの背景には様々なドラマがあった。
2.障害者雇用の経緯
初めて障害者雇用に取り組むことになったのは3年前。そのきっかけとなったのが特別支援学校から実習生として受け入れた知的障害のあるOさん(男性)である。
高等部2年生の実習という形だったので「実習なら」という気持ちで受け入れたと、部長の関さんは当時をふり返る。初めて障害者を受け入れた社内では、当然のことながらどう接してよいものかよくわからず、この時はしっかりとした対応もしないで2週間を終えてしまう。その翌年、3年生になったOさんを再び実習で受け入れ、Oさんは計4回の実習を当社で経験した。卒業間近の年度末に進路担当の教諭から「就職、どうでしょう」と投げかけられ、家族からは「ここでの就職が無理なら障害者支援施設に行く」と言われたとき、ダメと断ることができずに採用したというのが正直な事情である。それ以来3年の間に障害者雇用の依頼を受け、次々に雇用して現在に至る。
特別支援学校から実習を経て採用したのがOさんを含め2名。障害者支援施設から採用した方は5名。職歴があり、失業していた人は2名。職歴がなく採用した人が2名という内訳である。
通勤手段はほとんどが徒歩か自転車である。朝、全員が堂庭の事業所に出社し、そこから他の40名ほどの従業員たちと一緒に、マイクロバスで数箇所の近隣拠点に移動していく。
3.取り組みの内容
障害者雇用のきっかけとなったOさんであるが、先述したように特別支援学校の実習の際には殆ど受け入れ側が手立てを講じることもなく実習期間を過ごさせてしまった。出社しても何をさせていいのかがわからない。どう言葉かけをしたらいいのかもわからなかった。
Oさんは字が読めず、1桁の足し算も満足にできない人だった。そこで小学校1年生のドリルを与え、関さんや他の従業員が昼休みにテストの丸つけまでやった。すると小学3~4年生のレベルにまであげることができた。Oさんが出荷票をみながら仕事ができ、任せられるようになったのが11月。半年以上かかったが、今では様々なミネラルウォーターの賞味期限、入庫番号、数量をチェックし、電卓を使って計算もしながら出荷作業をこなすまでに成長した。

Oさんの成長ぶりはハローワークでも知られ、ネット上にも載るなどして、他の事業所にも知られるくらい有名になった。「Oさんが就職して仕事をしている」という話を聞きつけ、次に雇用されたのが右半身マヒに加え難聴のある重度身体障害者のSさんだった。ITの専門学校を卒業しパソコン操作ができるということで入社してきたので、伝票整理などのパソコン業務を任せてみたが、業務遂行に課題が見られた。
悩んだ末に考えついたのがネット販売だった。会社にとっても未開拓の分野であったため、関さんがSさんと2人でホームページを立ち上げることから勉強を始める。2~3日に1回は2人で会社に寝泊りするという無謀とも思える取り組みは5ヶ月近く続き、ネット販売ができるまでになった。現在、Sさんは一日20~30件ペースで仕事をこなすネット販売の店長である。
会社に寝泊りまでして仕事を作ってくれた関さんは、Sさんにとって上司以上の存在である。Sさんは相手の話はわかるがコミュニケーションが苦手だった。取材中、関さんはそばでPCに向かっていたSさんに「なあ、そうだよな」と声をかけたり「ちゃんと『はい』と返事しなさい」と促したりするのだが、Sさんはそれにしっかりと応えてみせる。本音と本気でぶつかりあう様子に強い絆を感じる。

OさんとSさんの雇用を経験した今では、次々とある障害者雇用の申し入れは負担に感じなかった。現在総勢11名になった障害者はそれぞれが数箇所の現場に出向き、仕事をしている。



今の彼らの様子や変容ぶりを以下に紹介する。
・ 30歳代女性(知的)・・・ 家を出て独り暮らしをするようになる。
現在結婚して子どもを授かる。
以前は笑顔のない人だったがとても明るくなった。
・ 30歳代男性(知的)・・・ 実習の3ヶ月間やる気が全くなく手がかかった。
今ではムードメーカーになっている。
・ 10歳代女性(知的)・・・ 大好きな歌手のコンサートに行く夢が、自分で稼いだお金でH22年12月に
実現する。
・ 30歳代男性(知的)・・・ まだ解らないことだらけ。
落ち込んだりすることも多いが、親孝行は一番している。
・ 30歳代女性(精神)・・・ 入退院を繰り返してきた人だが、就職後は一度もない。
一番のしっかり者。
・ 30歳代男性(精神)・・・ うつ症状がある人だったが、大好きな車の話がきっかけとなり打ち解ける
ようになる。
時々具合は悪くなるが明るい性格で持ち直す。
・ 30歳代女性(精神)・・・ 一番礼儀正しく、真面目である。
・ 30歳代女性(精神)・・・ とにかく明るい。
・ 20歳代男性(精神)・・・ この人が居なければ仕事が始まらないというくらいスゴイ人!
4.取り組みの効果
「彼らの雇用によって業績が落ち込むということはこれまでになく、ここ数年で業績は2.5倍にまで伸びている。1年に1人くらい雇用できなければ、会社の伸び率はないという証しである。障害者が雇用できないような経営では会社が成り立っているとは言えないのではないか」と関さんは話す。社長は関さんに信頼をおき、全面的に任せていることが窺われる。現在、新しい取り組みである農業生産分野の開拓を計画している。そのための土地を社長が個人で購入したということでも信頼が厚いことがよくわかる。
「僕が彼らに教わった。この人たちがいなければ今のこの事業所はない」と関さんは語る。「彼らがいるから何とかしようとする。いなければ何とかしようとしない。根拠はないが、担当する部門の業績も合わせ、結果があとからついてきている」とも語る。
また、彼らの存在で変わったのは他の障害のない従業員も同様だった。職場が明るくなったというのである。
大きな倉庫の中で40名ほどの人たちが輸入ビールの検品、ラベル貼り、リパックの作業をしている現場は、緊張感ただよう中にも活気がみなぎっている。120種類以上のビールを目視検査してから梱包し、そのままお客さんのもとに届ける業務だが、これまでにクレームが届いたことはないという。
5.今後の取り組みと課題
現在、当社で働いている人たちの将来について、真剣に考えているところである。これまでの経緯の中でいくつかの障害者支援施設と関わってきたが、働く状況にまでに育っていない人たちもいる現状を知った。一般社会に出て働く中で成長していく人たちもいる。そうした現状を知り、「当社で3~4年働いて力をつけ、新たな自己実現のできる場に巣立っていく、当社はそんな場所であっていいのではないか。障害者にとって当社が『将来を切り開いていくひとつのステップ』的な存在であってほしい」と考え始めている。それには、会社という事業体での受け入れには限界がある。この課題を何とかしようとも考えている。
また、先述したようにネット販売のSさんについては、可能性を引き出すための手立てを考慮する中、農業生産活動に目を向け始めた。これから千坪ほどの畑を耕し、農産物の生産を手がけていくという具体的な構想ができあがりつつある。
会社が障害者雇用に本気で向き合うということは、障害者の人生に向き合っていくことだと考える。
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