協会内障害者施設の出身者等を雇用する障害者にやさしい施設
- 事業所名
- 社会福祉法人いわき福音協会
- 所在地
- 福島県いわき市
- 事業内容
- 保育所・肢体不自由児&重症心身障害児施設・障害者支援施設・障害福祉サービス事業所等
- 従業員数
- 522名
- うち障害者数
- 28名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 3 支援職・調理作業補助員 肢体不自由 3 事務職・支援職 内部障害 知的障害 20 調理作業補助員・看護助手 精神障害 2 調理作業補助員・清掃員 - 目次

イメージ(ただ障害者の友として)
- ホームページアドレス
- http://i-fukuin.com
1. 事業の概要
① | 設立の経緯 |
「創立以来、障害児者への総合的な施設経営をしており、在宅・地域生活支援にも幅広く取組んでおります。」いわき福音協会に着くと事務局の早川正宗さんが笑顔で出迎えてくれた。同協会は広大な敷地にきれいな建物、スタッフの人々は笑顔で大変優しい。同協会の第一印象は清潔感と早川さんをはじめとするスタッフの人々の暖かさである。
「僕はいつか医学と教育を結びつける仕事をするんだ。百町歩位の原野を手に入れて、自給自足の病院を創めたい。耕作は医療の処方の一つだ。牛や羊を飼い、花を造り、蜜蜂を養うのも、音楽を学びチャペルに祈るのも、療養の一つだ。治療しつつ学ぶ、ミッション・ホスピタルスクールを創めるんだ。」この言葉は創立者である故大河内一郎氏が27歳で発した言葉である。大河内氏は若くして自身が学んだ医学と教育を結びつけるという目的を明確にし、肢体不自由児施設を造りたいという夢を描いていた。一個人では不可能と言われたことに大河内氏は挑んだのである。月日が流れ昭和25年6月2日、「聖書的信仰に基づいて社会福祉事業を行う」という目的のもと社会福祉法人いわき福音協会を設立した。
「本当に感無量である。私は更に新たなイデアを追求してゆく。これからどう導かれてゆくかはわからない。唯謙虚に真理の把握に努めよう。そしてやがてこの美しい自然に抱擁された療護園の一隅に、ペスタロッチのまねをして、唯肢体不自由児の友として凡てを捧げたと、墓碑に記すことが出来るような人間になりたい。あゝ夢よ更に膨れよ、夢をして真実ならしむる迄。」設立時に大河内氏が発した言葉である。大河内氏の生涯は、いと小さい一人を一個の人間として見据え、ひたすら障害児者のために、走りつくした道程であった。
大河内氏は医療と教育を通して障害者の自立のためにつくすパイオニアとして一生を尽くし、その理念は今でも変わらず受け継がれている。
② | 事業の現状 |
事業所はいわき市に14箇所あり、保育所、障害者支援施設、自立訓練事業所など内容も多岐にわたっており、様々な事業所で障害者が雇用されている。従事業務も多岐にわたっており、支援職・事務職・看護助手・調理作業補助員・清掃員と様々である。また、協会内障害者施設出身で協会内事業所に雇用される障害者も多数おり、自立訓練をし、実際に雇用するといったサイクルが完成されている。こういった現状は入所している障害者にとっても、事業所側からみても、社会的にも重要な意味を持っていると言える。

2. 障害者雇用の経緯
① | 障害者雇用の経緯 |
もともと障害児の療育ということが大河内一郎氏の理念であったが、昭和29年5月、重度の脳性麻痺の障害を持つ田口清さん(当時21歳)が大河内一郎氏のもとで働きたいと熱情を披瀝した手紙をだしたのが始まりである。大河内氏は快く受け入れ、生まれつき右半身が不自由であった田口さんは福島整肢療護園で児童指導員の名目で勤務するようになり、やがては理学療法士となった。その後、いわき福音協会では多数の障害者の雇用を実現し、現在では日本を代表する障害者雇用法人の先駆けとなっている。
② | 障害者雇用の現状 |
「つばさで作っているお弁当は美味しいし、栄養のバランスがとても良いのよ。」いわき市内ではいわき福音協会福祉サービス事業所「つばさ」の弁当はこのようにとても評判がいい。同協会内施設・事業所のお弁当はもとより、一般企業にも昼食のお弁当を配達し、午前中は戦場のような忙しさの中で働いている。「つばさ」では47名の職員のうち22名(知的障害者19名、身体障害者2名、精神障害者1名)もの障害者が雇用されている。法律の定めがあるからという理由で障害者を雇用している会社もなかにはあるかもしれないが、いわき福音協会はいい意味で障害者も障害のない職員と同等の働き手となっている。賃金は最低賃金法を遵守している。
その他、障害者支援施設「カナン村」など、他の施設では身体障害者を事務職・支援職で雇用している。


3. 取り組み内容、東日本大震災における安全管理
(1)取り組み内容
① | 雇用管理 |
「雇用している障害者の健康管理は非常に気を懸けています。」障害者支援施設「カナン村」の所長である岡部明さんは真剣な表情で話す。岡部明さん自身も障害者であり、同協会の福島整肢療護園を出て、のち福島整肢療護園の事務員として就職し、その後身体障害者療護施設「野の花ホーム」へ、今年7月に「カナン村」へ異動し現在に至っている。「障害者として苦労はありましたか?」という問いに岡部さんは「障害者としての苦労は何もありません。」と自信に満ち溢れた表情で答えたのがとても印象的である。障害者といっても知的障害者や身体障害者と様々であり、1人1人違った障害を持っている。ある視点からは障害のない職員と障害者を分け隔たりなくする傍ら、ある視点からは障害者という現状をふまえなくてはならない。障害を持っている岡部さんだからこそ、分かる事、感じることがあるだろう。逆に障害を持っている職員が障害のない職員よりも必要とされる場合がある。
② | 教育・訓練 |
教育・訓練という点で考えると、障害者はいわき福音協会のあらゆる施設等にいる時から様々な教育や訓練を受けている。すなわち、雇用される立場になった時にはかなりの知識、技術等が備わっているのである。入社後の教育訓練も充実しており、障害のない職員とのコミュニケーションを取る機会は多々ある。障害のない職員と障害のある職員が共存して仕事をしている現実が一番の教育・訓練となっている。

(2)東日本大震災における安全管理
「東京に所用があり、その日はたまたまいつもより一本前の特急に間に合ったので午後2時半頃東京からいわきに戻れましたが、いわきに着いた直後に強い揺れがあったのです。」前述の岡部所長が震災当日を振り返る。2011年3月11日(金)午後2時46分、突然に襲ったマグニチュード9.0の大地震は未曾有の大災害となった。ライフラインは寸断され当たり前の日常生活は一変した。施設の状況を心配しながらも、スタッフや入居者の安否が気にかかった。
震災時、カナン村では利用者の健康診断を終えて一息ついている時間帯であった。地震後からしばらくの間は断水していたが、幸い電気の供給はされていたためテレビやラジオを通じて状況を把握していた。レンタルの大型ストーブをかき集め暖を確保し、飲料水は市内の別の地域から汲んできて、トイレの水は法人内の井戸水で対応した。だが、福島第一原発の放射能汚染の風評などから、幼子を抱えた職員や一部若い職員が一時避難をし、通常の日課もままならない中に、残された職員は勤務ローテーションを越えて必死に利用者の支援(介護)に取り組んだ。原発事故の状況を考え、利用者の家族や身元引受人に連絡をして、半数以上を自宅待機にし、別の場所への避難等に備えた。「移動するリスク」を考えながら迅速な対応を実施。「幸い最悪の事態にはならず徐々に利用者達も戻ってきて杞憂に終わったので良かったです」と笑顔で岡部所長が話す。「毎月実施している防災訓練も、今回の東日本大震災の揺れには充分な対応はできなかった。これからは、大規模な地震などを想定した安全管理をやらなければならない。」と話す。
4. 取り組みの効果、最後に
(1)取り組みの効果
① | 効果 |
障害者を雇用するにあたって、「効果」という効果はあまりないのかもしれない。いわき福音協会では就業において障害者と障害のない職員が共存するという環境が出来上がっており、それが「普通」である。一般の人、一般企業の人々にもこういった現実、環境があるということを知ってもらうことが「効果」になるのではないだろうか。
他の一般企業においてもそういう環境が「普通」となることを私は願いたい。
② | 今後の取り組み |
今後の取り組みとしては先にも述べたとおり、こういった環境を世に広めることが大事だと思われる。私はこんなにも障害者雇用が進んでいるコミュニティを初めて見た。日本人は真面目で助け合う精神が備わっている民族である。震災後の日本を見てみると明らかである。
障害者雇用の現実、環境等を日本の先駆けとして、世界にも見本になれるようより一層精進し、故大河内一郎氏の理念である「聖書的信仰に基づき、社会福祉事業を行う」意志を継承し、その理念を受け継いでいくことがさらなる発展、成長となることは間違いない。
(2)最後に
障害者は、障害のない者と比べて、労働能力が劣るとみなされることが多く、そのために雇用機会を得ることが容易でないという現状がある。ただ、それでは、障害者はいつまでたっても働き口が見つからない。福祉施策の対象としておけばよい、というのも一つの考え方である。
しかし、今日、こういう考え方は急速に弱まってきた。今では、障害者の自立や自己決定という観点から、障害者が働くことを通して社会に統合され、経済的にも自立することこそが重要と考えられている。
近年、障害者に対して、経済活動に参加することを促進する動きが見受けられる。障害者自立支援法が公布され、施行されたことにより、障害者への支援の形も変わりつつある。こうした障害者に向けた支援の為の法律や制度の動きは、時代と共に変化している。しかしながら、法律や制度の変化に、障害者本人や障害者を扶養している家族がついていけていないといった現状も、未だに残っている。障害者を支援する側と、障害者と深い関わりのある人達との間に、見方の相違があることが窺える。こうした背景から、自立を促されている障害者の雇用問題が、起こっていると考えられる。しかし、こうした背景の中でも、日本の障害者雇用数は右肩上がりとなっている。これは、障害者を支援する動きが以前よりも活発になったこと、そして、そうした支援の輪が広がったことにより、障害者に対する理解も広がったことによるものだと考えられる。障害者を支える人達がいるからこそ、障害者の支援を行う為の法律や制度との溝を埋めることが出来たのである。
こうした支援が広がる現代社会であるが、障害者が現代社会の中で経済活動を行う一社会人となる為には、周りの理解が必要だ。それは、障害者は障害のない者と同じ様に業務をこなせないという先入観が、世間にはあるからだ。そうしたことが、障害者本人や障害者を扶養する家族の経済活動へ踏み出す勇気を、塞いでしまうのである。自立が促進され、支援の輪も広がっているが、障害者の踏み出す勇気を受け入れる社会がなければ、障害者が安心して働ける環境は作られない。しかし、環境改善を試みる支援も近年は見受けられる。その支援を利用すれば、障害者本人も障害者を扶養する家族も、安心して経済活動に参加する一員として、社会に踏み出せることになる。
自立することは、障害者にとって勇気のいることだ。しかしながら、自立することは、生きていく上で誰にとっても必要なことである。勇気を出して一歩を踏み出すことができる環境作りが最も重要である。「いわき福音協会」は障害者雇用の理想像を追い求めて活動を続けている。
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