「責任」を「自信」に繋げる雇用


1. 事業所の概要
有限会社山梨製作所は、音響関係部品の製造を中心に、昭和55年に創業した会社である。平成元年に有限会社として法人化し、平成4年以降、車部品の製造とともに、当時同業者の中ではあまり作られていなかったエアバックも手がけるようになった。後にバブルが崩壊して不況が訪れるが、自動車メーカーの業界でエアバックが全車種標準装備となったのを機に、安全部品の加工実績を積んできた同社に注文が殺到するようになる。
同社はプレス技術とロボット技術を融合するノウハウを誇る。この創造力と技術力により多くの需要に応え、自社の設備でできるものは全て自社で製造することにより、一次メーカーとしての地位を確立し、お客様の信頼を勝ち得てきた。これにより、未曾有の不況下でも業績が低迷することもなく、発展を続けて来られたといっていい。
今年2011年には、大手自動車メーカーの九州工場分社化に伴い、部品の主要供給先企業からの要請を受け、大分県に工場を新設。10月から本格的な操業を始めた。エアバックやハンドル関連部品を生産していく。(製品のエアバック部品 写真3)
この会社が業績と共に誇れるのが雇用率30%という障害者雇用である。派遣も含む従業員数60名余のうち16名が障害者であり、そのほとんどが途中で辞めていくことなく、ながく勤めているということは特筆すべき事柄である。障害者雇用に真摯に取り組む姿勢には、「大切なのは人」「人を大事にし、助け合って生きる」と語る山梨社長の信条が息づいている。当社は平成22年に「静岡県知事褒状」も受賞している。

2. 障害者雇用の経緯
障害者雇用を始めた当初は身体障害者を雇用していた。多くが中途で障害を負った人で、いわゆる3Kの職場の当社で定着する人は少なく、雇用の難しさを感じてきた。
知的障害のある人を初めて受け入れたのが、中学校の特別支援学級(当時はなかよし学級と言われていた)を卒業したばかりのMSさん(写真4)である。
入社して20年がたち、現在MSさんも36歳となった。MSさんには知的障害があり言語に不自由しているが、入社当初から挨拶ができ、がまん強い人だった。会社も初めての障害者雇用で経験がなく、何をさせていいのかわからなかったため、採用当初は不織布貼りなどの、補助的で簡単な仕事をしてもらっていた。しかし、仕事振りは几帳面で動作も機敏であったため、プレスの仕事を覚えさせ、それ以来プレス機の操作をする仕事に従事してもらっている。彼の採用によって障害者のもっている可能性を知ることができた。MSさんは多くの障害者雇用につながるきっかけを作ってくれた人と言っていい。


MSさんと同時期に入社し現在38歳になるTKさん(写真5)は、県立浜松学園から入社した人である。当初は残業が嫌で途中で帰ってしまったこともあったそうだ。そんな彼も仕事面で成長を見せ、本人の希望で型の段取りまでできるようになった。しかし、扱う部品が変わってから戸惑いも見られるようである。
MSさんとTKさんを採用した後、ハローワーク主催の就職面接会を経て採用した人もいる。また、県立あしたか職業訓練校からは、同じ学校の出身者がいれば心強いだろうという配慮もあって、年に2名ずつ採用した時期もあった。そのほか知人の紹介で採用した人も含めて合計16名もの障害者が当社で働くようになった。
16名のうち13名が知的障害者で、圧倒的に数が多い。身体障害者は3名で1名は聴覚障害者、1名は上肢に、1名は下肢に障害がある。
下肢障害のある56歳の女性だけがパート従業員で、残りの15名はすべて正社員である。正社員は一日7時間15分以上、週に5日を働き、フル稼働の時には残業をしてもらうこともある。彼らには最低賃金以上が支給されている。
当社を訪問してまず驚くのは、山の中にあって周りに人家や建物がないという、その立地環境である。公共の交通機関を使うことができない通勤困難な場所にある。そのため、障害者のほとんどは、会社で運行するマイクロバスで通勤している。バスの購入と運転手にあてる人件費には助成金制度を活用し、運用している。運転免許を取得し、自家用車で通えるようになった障害者が2名いる。
3. 取り組みの内容
彼らに対しては「教える」というのではなく、3年かけて「育てあげる」という構えで取り組んできた。人はすぐには育たない。まずいろいろな工程をじっくりと経験させ、その人の能力を見極める。そして、ひとりひとりの能力が最大限に発揮できる場所を見い出すように心がけている。その結果、それぞれが自分の仕事に責任と自信をもつようになり、職場自立を実現している。
入社して12年のTNさん(写真6)は現在30歳。今、タップ、ねじ切りから出荷まで、全ての工程ができる人である。彼女の素晴らしいところは在庫把握がきっちりとできること。日程表をみて全体の流れを把握しており、数量管理も彼女に任せておけば間違いがない。


製品にビスを入れてマシメの作業
KSさん(写真7)は27歳の女性である。入社当時のプレス作業量は1時間に200個のペースであったが、今ではその3倍以上の量をこなすまでに成長し、まわりからは「K先生」と呼ばれている。入社当初は表情が暗いのが印象的な人だったが、職場で認められることにより、明るく生き生きと仕事をする人となった。
TMさん(写真8)はビス詰めを得意とする入社14年の34歳。障害者合同就職面接会を経て採用した人である。自閉的傾向が強い彼女は、季節の変わり目に不安定になることもあった。しかし、「仕事ができない」ことが「給料をもらえない」ことに繋がると言うことを理解してからは、安定して就業生活を続けている。細かい作業を得意とし、仕事面で彼女のもつ良さが活かされている。
彼女が操作する機械は丸棒のプレス機であるが、安全装置つきである。安全装置を切る鍵ははずしてある。労災事故ゼロを目指して安全には特に気遣いをしており、社員が操作する機械は、すべてがこうした安全対策を講じてある。

右手にみえる縦のバーが安全装置

聴覚に障害がある63歳のKSさん(写真10)は中途採用してから7年が経つ人である。彼の操作するスポットの機械は不具合が生じると赤いランプがつくように設定されており、聴覚障害者に必要な安全への特別な配慮がなされている。



21歳のNFさん(写真11)は6人兄弟の家庭で育ち、面倒見が良く忍耐強い。入社して半年くらいから専務がつきっきりで指導にあたってきた。プレスのセッティングから割り振りまでできるようにさせたいと思っている。現場全体の仕事割り振りには判断力を必要とされる。まだ完璧にこなせるわけではないが、自分で判断に困った時には伺いをたてることができる人である。
初めから全てがうまく運ぶ人ばかりではないく、中にはつまずく人もいる。KYさん(写真12)は採用してから思わぬ壁にぶつかった。パイプの曲げの仕事がうまくいかない原因が、「空間認知力」に問題があるからだとわかったのである。また、会社の送迎ルートから一人はずれているKYさんには自力通勤を促したが、電車とバスを乗り継いで通勤することに大きな不安を抱えていた。自信を失いつつあった本人の仕事も行き詰っていたため、思い切ってジョブコーチ支援を会社は導入してみた。電車とバスを使った自力通勤ができるように通勤支援に1ヶ月ほどの時間をかけ、また家庭とのやり取りの仲介をお願いした。その結果、職場に自力で通えるようになったKYさんは、その後少しずつ自信をつけ、なんと車の免許まで取得し、周りの皆を驚かせた。今では車通勤をする一人となり、「脱脂」という仕事を一人でこなしている。その背中には自信と逞しささえ感じられる。
REさんは入社して5年以上経つが、自閉的傾向の強い人で、ひとり言を言いながら仕事をしている。機械に就くことにこだわり、安定しているときとそうでないときの割合は五分五分といったところだが、仕事のできは評価することができる。彼にはしっかりとした家庭的な支えがあるので、周りが彼の気持ちに寄り添うことで継続に繋がっている。しかし行き過ぎた行動が職場に影響を与えると判断した時には、しばらく気持ちを落ち着かせ整理する期間をとった後、職場復帰をするということを何度か繰り返してきた。会社では彼の持つ力をできるだけ活かしていきたいと考えている。
4. 取り組みの効果
当社では、障害者を障害のない社員と分け隔てすることなく、また特別扱いをすることもない。HSさん(21歳)は通勤寮から通う人であるが、夜勤もある二交替の仕事をしている。ロボット操作もできる人で、会社にとっては大きな戦力となっている。
障害者は皆、正社員として一日7時間以上、週に5日働き、最低賃金以上の給与を支給され、またボーナスももらう。給料を見せ合う彼らを、社長は微笑ましく見守るという。そう語る社長には、彼らを育て上げた自信と誇りを感じる。
誕生日には会社から蘭の花がプレゼントされ、皆に祝ってもらう。職場にはピンとはりつめた緊張感があるが、一歩職場を離れると家庭的な雰囲気に包まれる。中には仲間同士で結婚をして寿退社をした人もいるという。休み時間や休暇日にはサッカーを楽しんだり映画を見に行ったりと、余暇を楽しんでいるようだ。一緒に余暇を楽しむ仲間がいるというのは、彼らにとっても働く励みとなり、生活の支えとなる。
こうした家庭的な雰囲気の背景には、彼らの生活を丸ごと見守っていこうとする会社の姿勢が伺える。以前には家族との面談も定期的に行い、家庭とのつながりを大切にしてきた。今は本人との面談に切り替えてはいるが、生活面での課題が生じると、会社が奔走して解決しているというから、会社の懐の深さと雇用に対する真剣さを感じる。
会社が体当たりで取り組む障害者雇用は、業種を問わず多くの企業から関心を寄せられ、見学者が絶えない。障害者雇用に取り組もうとする企業の良い手本となっていると言えるだろう。
5. 今後の展望と課題
障害者雇用をすすめる上で、これまでには様々なトラブルを経験し、そのたびに対処をしてきた。中には家庭的に恵まれず、生活基盤が不安定な人もいる。また若い人たちをこれだけ多数雇用しているので、これからも職場環境の調整や障害者一人ひとりが抱える課題への対処が必要になってくることは容易に想像できる。
更には一人ひとりの力量をじっくりと見極め、スキルアップを図っていくことが、これからも続く会社の課題だといえよう。先述したNFさんには仕事が終わってから、職業生活相談員が仕事の段取りと材料どりの勉強を促している。勉強と面倒くさいことが好きでないNFさんの教育はまだまだ軌道に乗っているとはいえないが、常にメモをとらせ、自分で考え判断するよう指導している。会社では彼をチームリーダーに育て上げたいという思いがある。
遠く九州に立ち上げた工場に、現在、障害者はいないが、業務が落ち着いたら当然そちらでも障害者雇用に取り組むことを考えている。本社工場での取り組みとその成果が、障害者雇用を考える企業や障害者自立支援施策に、有用な発信を続けていくことを願いたい。
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