障害者を取り巻く新たなサポートシステムと企業の取組

1. 事業所の概要
(1)事業の概要
大塚食品は、昭和48年、熊本県玉名郡長洲町にキノコ栽培業として創業。昭和58年に有限会社を設立した。以来、キノコ類を専門とする食品製造業として発展し、長洲町および大牟田市に生産工場を建設。そのいずれもが増設したり、第二工場を設置稼働させたり、需要の拡大に対応し事業を拡大させてきた。
現在、えのき茸およびエリンギを主たる商品としており、九州一円から中国・関西地方までを営業エリアとしている。
キノコの栽培(生産)は、簡単に言うと、PP(ポリエチレン)ビンに培地(米ぬかやとうもろこしなどの穀類を粉砕し水分を加えたもの)を詰め、そこにキノコの菌を植え付けて培養するという仕組みで行われる。しかし、工程は単純ではなく、10段階以上の工程がある上に細かな環境づくりが求められる。培地に菌を植え付ける前には100℃で殺菌処理をする。それ以降は冷温での管理が必要となる。また、培養時には温度15℃、湿度70%、芽が出る時には温度15℃、湿度90%、その後は温度4℃から6℃の部屋でじっくり育てる等、温度、湿度並びに酸素等の適切な管理が求められる。
このことは即ち、工程ごとに建物や部屋を区分して異なる生育環境を作る必要性を意味しており、そのために、当社の工場は複数の建屋から構成され、その間を製品(キノコ)を載せたベルトコンベアが巡る構造になっている。


(2)現在の業況と今後の展開
近年、小売店のディスカウント化が進行しており、生産者にもコストダウンの要請が強くなっている。そのために、厳しい経営が強いられているのが現状である。
特に、本年は東日本大震災の影響によって関東の消費が低迷しており、本来、九州から関東方面へ出荷すべき農産物が売れないという状況になっている。また、中国産の安価なキノコとの競合という状況もある。一時は、中国産農産物の残留農薬というニュースによって国内産品の需要が高まったが、景気の低迷が続き、再び安価な中国産品への需要が高まっている。
このように厳しい環境下であるが、だからこそ当社としては質の高い製品づくりを心がけている。現在、質の高い商品もそうでない商品も同じ値付けになっているが、消費者から見て質の違いが区別できるシステム開発に取り組んでいる。
現在、流通している農産物は種類が豊富で、ひとつの食材がなくても別の食材でカバーできる時代である。キノコがなくても、その代わりになる食材はいくらでもある。
そのような中、生き残っていくためには安定した量と品質を確保していかなければならない。適正価格を維持していくための品質確保と消費者への情報発信が大きな課題であろう。
なお、当社では品質マネジメントシステムの国際規格である「ISO9001 : 2008」の認証を取得している。もちろん、前述した品質確保のための取り組みであり、企業力の向上を図って実施したものである。同業者で、ISO認証を取得した例はきわめて稀である。認証取得によって、業務のマニュアル化が行われ、業務の「見える化」が進んだ。業務全体の見透しが良くなり、個々の業務や個々の人材の位置づけが明確になる。更には、障害者の役割やサポートする従業員の位置づけもはっきりする等、様々な効果が得られたと、当社では評価している。
また、年に1度キノコの残留農薬の検査や放射性セシウムの検査を行い、安心・安全を消費者に提供するようにしている。
(3)採用状況
全社の従業員数はパートまで含めると約100名、長洲工場では51名。うち、管理・事務職は5名で、その他の従業員はすべて生産作業(キノコ栽培の準備作業~栽培~包装・出荷)を担当している。
キノコは、秋から冬にかけて需要期となり、一方、夏は需要が少ないので、本来ならば雇用調整を行うべきところかもしれないが、当社では行っていない。その理由のひとつは売場サイドから年間を通した安定供給を求められるということ。もうひとつは雇用の安定を守りたいという当社の強い意志によるものである。
2. 取り組みの概要
(1)障害者の現状と従事業務
全社で障害者を7名(長洲工場5名、大牟田工場2名)雇用している。いずれも知的障障害者で、全員、生産工程の業務に従事している。いずれも20歳前後で入社し、10年程の経験を持っている。その内2名は10年以上の経験を有している。
前述したように、キノコの生産工程は多岐に亘るが、知的障害者の場合には1人で複数の工程に携わり、臨機応変に業務を切り替えるといったことはなかなか難しい。そのため、最初は1つの生産工程に専念することを大切にし、それが適切に習得できたら次の生産工程を取得することを基本としている。
(2)障害者の採用
約20年程前、最初に、障害者を雇用したきっかけは、ハローワークからの相談であった。「最初の1人はハードルが高かったですね。不安でした。」と大塚専務は語る。懇意にしていたハローワークからの相談を無碍にもできない。かといって、障害者雇用への不安も消えないまま、雇用を決断した。
雇用後、ハローワークの担当者が様子を見に来る。父母も来る。ヘルパーも来る。障害者雇用の不安が全く消えたわけではなかったが、これだけみんなのサポートがあればできるのかもしれないという安心感も同時に生まれた。
以来、ハローワークからの障害者雇用の相談に応じ、数年内に2人目、3人目と採用が続くことになった。
長洲工場は、長洲町と荒尾市の境にある。その荒尾市に通勤寮があり(現在は社会福祉事業団が運営)、障害者はその通勤寮を生活の場とし、そこから企業に通勤する。知的障害者の場合、通勤の手段を持たないことが雇用の妨げになることがあるが、荒尾市の通勤寮は当社から自転車で10~15分という近距離にあり、便利である。当社の障害者雇用が進んだのには、このような地域環境が影響したことも一因と考えられる。
現在、長洲工場で雇用している5名の障害者のうち、2名はこの通勤寮から通っていた。うち1名は今も通勤寮から通っているが、もう1名は自立し、近くにアパートを借りて1人で暮らしている。
障害者の採用にあたっては、3ヶ月のトライアル雇用期間に適性の確認を行った上で、ハローワークや父母と話し合いを持つ。通勤は自分で行う、緊急時の連絡先、健康状態等のルールや確認事項の合意のためである。といっても、障害のない者と区別をしないのが基本であるため、特にこれら以外のルールといったものはない。
(3)訓練と配置
雇用して最初は、マンツーマンで一つ一つの作業を丁寧に教えていく必要がある。また、配置にあたっては「適材適所を見極めること」が重要である。現場担当者が障害者の仕事ぶり、能力の程度、適性、そして障害者本人の意見を聞き、どの生産工程に配置するかを決定する。
そうして、配置をしても、初めはなかなか落ち着いて長時間の作業ができない障害者もいる。しかし、一緒に働いている従業員の言葉掛けやサポート等があり、少しづつ落ち着いて仕事ができるようになっていく。周りで一緒に働いている従業員のほとんどは40~50歳代の女性である。そのため、母親のような感じで、障害者に接し指導してくれているようである。
また、県内各地の特別支援学校から職場体験実習生の受け入れ依頼にはすべて応えている。職場体験をした障害者が、卒業後に雇用に至るケースは少ないが、職場体験を通して仕事をすることの大変さや楽しさ更には社会人になるためのステップアップになればと考えている。


(4)自立に向けて
5名の障害者のうち、2名が通勤寮、1名がアパート、2名は自宅から通勤している。いずれも自転車による通勤である。自宅の場合、父母には車で送迎したい気持ちもあるだろうが、当社では送迎はしないようにお願いしている。それは、まず本人が自立する意識を持つ必要があるからである。それを許せば、親の事情で送迎ができない時には会社を休むといった甘えにもつながる。「障害があっても一人の社会人。社会人としての自覚を持つことが就労意識の向上に繋がるのです。」と、大塚専務は言う。
最近、障害者の1人がフォークリフトの免許を取得した。勤続が10年に近づき、仕事力をアップさせたいと考えてのことだが、もちろん自動車の運転免許を持っていないので、学科試験も初めての体験で、時間はかかったが、従業員皆のバックアップがあり見事に免許を取得でき、現在、いきいきと働いている。本人の自信にもつながり、また、試験勉強に協力した周りの従業員も合格の報に喜びの声を上げた。自立への大きな1歩であるに違いない。
(5)障害者雇用の意義
障害者雇用を長年続けていく中で、様々な問題が全くないわけではない。しかし、それは障害のない者も同様で、決して障害者だからというわけではない。障害者だからといって差別することは絶対にあってはならない。逆に、「何事にも一つ一つ黙々と仕事をしている障害者の姿を見ていると、自分達ももっと頑張らなければいけないと学ぶことがよくあるのですよ。」と、大塚専務は言う。
地域の中で企業は、企業としてできる役割を果たしていくことが必要である。障害者の働く場所や生きていく場所を提供していくのも企業の一つの役割である。例えば、家族や知人に障害者がいたとして、親が亡くなった後はどうなるのだろう。少なくとも働くことができる場所があれば、暮らしていくことができる。ならば、その機会を提供するのは地域に生かされている企業の責務であろう。そう、当社は考えている。
(6)最後に:喜びと課題
当社には、様々な福利厚生制度がある。障害者も障害のない者と同じ従業員の一員として、年に1度の慰安旅行(1泊)や様々な社内行事に伴に参加する。中でも、従業員が一番楽しみにしている勤続年数に応じた報奨制度がある。10年勤続者には海外旅行をプレゼント、15年勤続で国内旅行、20年勤続はまた海外旅行。どこにでも希望の場所に行ける。昨年、障害者の1人が10年勤続の海外旅行対象者となった。「長期間の海外旅行ということで多少の不安があった。」と大塚専務は当時を振り返る。同じ10年勤続の従業員が、「自分達が責任を持って同行します。」と快諾した。今回の10年勤続者は4名、イタリア、ドイツ、フランスをめぐるヨーロッパ8日間の旅であった。帰国するまで心配の種が頭から離れなかったが、帰国後、障害者から満面の笑みで本当に楽しかったと興奮気味に話してくれたことで、大塚専務は本当によかったと思ったという。
また、ある時、障害者の一人が「菌掻き」という機械でキノコの培地の表面の菌を掻き取る作業を担当していた。偶然、その機械のそばを通りかかった上司が、雑菌不良として取り出され山積の瓶を見て驚き、担当の障害者に尋ねた。「なんでこんなにたくさんの不良の瓶を出しているんだ。瓶内の状態を見たところ雑菌不良には見えないし、どこが不良なんだ。」と。すると、障害者は、瓶のある部分を指さして、「ここがおかしい。これでは芽は出ない。」と言った。上司は、再度、瓶内の菌の状態を確認したが、この状態なら問題は無いと判断し、そのまま栽培室へ移すように指示した。しかし、それから10日後、障害者が不良とした瓶から、どれひとつも芽が出てこなかった。雑菌不良を見つけ出していたのである。皆が彼の技術の高さに驚いた。普段からあまりしゃべらない無口な障害者だが、長年ただ単に作業をしていたのではなく、経験を積み重ね自分独自の技術を身に着けていたのであろう。当社にとって大変ありがたい存在であり、その技術は当社の宝物と言えよう。
障害者雇用は、障害者本人と企業だけの問題ではなく、また、この両者だけで進められるものでもない。本人を見守り、サポートする多くの人々とともに、障害者雇用はあるが、現在では、障害者を取巻くサポートが少しづつ希薄になりつつあるのも事実であろう。
荒尾市には通勤寮があり、多くの障害者がそこを拠点として各職場に通勤している。また、通勤寮も障害者を全面的にバックアップしてくれている。ところが、民営化により、今後の通勤寮の存続が不透明であるという。
どういう状況になろうとも、かって、地域の連帯の中で障害者を見守り、就労をサポートし、自立を支援していた仕組みがなくなってほしくない。
様々な問題はあると思うが、地域・行政・企業が一体となってこれからも障害者を支援し続けていきたいものである。当社もその企業の一員として障害者雇用に力を注ぎ見守っていきたいと考えている。
仲間たちを実感する機会は、障害者雇用という決して簡単ではない課題に取り組む喜びを感じる場面でもある。
社会的各々の事情で希薄になりつつあるサポートの在り方を今一度甦生させるためには、公共、企業及び地域の各々がその持てる協同の力に新たなサポートシステムを付加する必要があるのかもしれない。
結局は、人のネットワークの再生という「人の問題」が、地域で循環し、力になることが必要なのであろう。
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