知的障害者の適性を認め、共に創る職場

1. 事業所の概要
(1)事業の概要
ババ商店株式会社は、昭和25年、馬場古鉄として創業。昭和45年に合資会社馬場商店を設立。以来、鉄工所を相手とする一般鋼材の卸・加工業として事業を拡張し、昭和57年に長崎支店、平成2年に大津工場(熊本県菊池郡大津町)を開設した。以後、平成13年に大津、平成20年に長崎に新工場を建設し、平成20年、社名をババ商店株式会社へと変更した。
当初は鋼材の卸が主たる業務であったが、やがて付加価値を考慮し加工まで、さらに独自性のある商品づくりをするようになった。現在では、大津工場が養殖枠やテント等のパイプ加工、本社工場がサポート業務、長崎工場では大型建築物の鋼材を加工する業務と、役割分担を行っている。
養殖枠とは魚類の養殖のための笩枠のことで、金属パイプを加工し製造する。価格の低下により業者数が減少し、縮小していく中、当社は低価格化やアフターフォローの充実等によって信頼性を高め、今では全国でも有数の養殖枠を製造する会社である。現在、営業エリアは、北は関東から南は沖縄県までに及ぶ。
また、長崎工場で製造している大型建築物の鋼材加工も近年の取り組みである。従来、鋼材卸業は、建設会社からの要望により鋼材の切断・穴あけ等の処理を施し納品するのが一般的であったが、鉄のことを知りつくした当社が、目指すものは鉄のコーディネーターであり、顧客にとって何がベストかを常に考えた中で、切断・穴あけだけでなく、関連部品の製造・溶接・組立の多様な工程までを受注している。業界でも極めて先進的なこの受注方式は、平成20年から本格的に取り組みを始めた。


(2)現在の業況と今後の展開
リーマンショック以降、市場環境は非常に厳しく、鋼材の卸・加工業では半数以上が赤字と言われ、黒字の企業はごく一部であると。不況により建設需要が低迷し、鋼材の取扱量の減少が主因であるが、本年3月の東日本大震災により、進行中の建設計画もストップした。現在、ようやく需要が回復し始めたようだが、単価の落込みが激しく、予断を許さない状況が続くと考えられる。
このような厳しい状況の下、当社では、顧客の夢を形にするために常に顧客と共に考え、作り上げることをモットーに、養殖枠の製造販売や鋼材加工納品システムといった独自性の高い商品開発・付加価値化を行い、市場の信頼獲得に努めている。
(3)採用状況
当社は地元優先に人材を雇用しているので、定着率も高い。地域に根ざす企業として「できるだけリストラはしない」という経営方針からだが、現在はその言葉を安易に言える状況にはない。
近年、中国人労働者を就労ビザでの3年間、溶接等の経験者を雇用でき、日本人より低賃金で即戦力として確保できるメリットがあった。しかし、日本人との賃金格差が縮小傾向にあり、雇用するメリットが小さくなってきている。本来は日本人の若者を採用し、時間をかけ育てていく必要があるのだが、非常に難しいこともまた事実である。
来春に、天草の地元高校から2名採用予定だが、本社工場では機能や仕事量から人員の増加が考えられないので、長崎や大津の両工場で勤務させ、技術を習得させる計画をたてている。
なお、当社では、数年後、定年退職者が続く。そのため、ここ数年間は新卒採用を重視し、技術の継承を行う必要があると考えている。
2. 取り組みの概要
(1)障害者の現状と従事業務
現在、障害者を2名雇用している。1名は身体障害で、長年、経理を担当している。現在65歳、本人の希望により来年定年退職の予定である。
もう1名は知的障害者(Y君)で、本社工場において鋼材加工の業務に携わっている。当社では前述したように、鉄工所の要望に応じて加工し納品することが多い。例えば、納品会社からの要望に応じて、H形鋼材を長さ1mに切断し、さらに直径3cmの穴を開けるといった処理まで行う。当社の鋼材加工とは機材を使って切断、穿孔、溶接といった作業を行うことである。但し、現在のY君の業務は、一つの工程に専従的に携わるのではなく、様々な工程でのサポートや雑務等である。
(2)障害者の採用
Y君との出会いは6年前、当社が特別支援学校から依頼され職場体験を受け入れた時に始まる。その時に2名を受け入れ、2~3週間の職場体験を実施した。2名は対照的なタイプに見えた。Y君はスピードは遅いが辛抱強く作業を続ける。もう1名は一つの作業が10分と続かない。特別支援学校の先生の認識も同様であった。当社ではY君を採用した。知的障害も各人各様であり、また仕事への適性も異なる。
「障害者を職場体験に受け入れるのに不安はなかった。」と馬場社長は語る。「これまでにも父が障害者を雇用していたし、その働きぶりを私も見ていましたから。また、地域の障害のある子達に働く機会を提供するのは大事なことですから。」と。さらに、「父が障害者を雇用し、その人はちゃんと会社の戦力として働いていた。それを見ていたから、抵抗は本当になかったですね。父から学んだことは大きいですね。」と。
但し、鋼材加工という仕事柄、事故等が発生する可能性がある。そこはやはり不安だったが、特別支援学校もハローワークも、できるだけのサポートをすると約束してくれた。このサポート体制が受け入れの大きな支えになったという。障害者雇用への理解や意気込みはあっても、やはり不安は残る。このような不安を払拭するための具体的な対策や地域のサポート体制が急務と言える。
(3)仕事と成長
障害のない者でも障害者でも、人が育つには時間が要る。Y君の場合、馬場社長が「使える人材になる。」と実感を得たのは、雇用して2年ほど経った頃だという。しかし、「その時も、ぜったい長く雇用するんだという考えがありましたからね。当初から2年程度である程度の技術は身につくだろうと思っていましたから、実際にその目処通りに成長してくれたということですね。」と馬場社長は微笑む。
当社は重い鋼材を扱い、切断や溶接といった注意が必要な機械を扱うことが多いため、訓練は十分に注意して行われた。現場責任者の工場長が、最初は付きっきりで指導することが多かった。しかし、慎重になりすぎても仕事は覚えられない。2年を過ぎた頃から、機械を扱う工程の訓練をしはじめた。
Y君が当社で働き始めて5年が経った頃、働き方に変化が見られた。上司の指示を待つことなく、自分の判断で次の仕事を見つけられるようになった。これまでは、作業を終えたら「終わりました。」と報告し、「次はあそこの作業を手伝って」と作業指示を受け、次の作業に取り掛かっていた。が、最近では、誰の指示がなくても、手薄な工程や忙しい作業を見つけて、応援をするようになった。「自分で仕事を見つけられるようになったし、同僚への思いやりも芽生えている。これで、彼の判断にまかせても大丈夫だなと思えるようになった。」と、馬場社長は語る。
社長はさらに、「この1年くらいで、もっと驚くことがありました。」と語った。仕様書に合わせて鋼材をバーナーやプラズマで切断加工するのだが、時には切断面が欠ける場合がある。ある時、Y君が自分で切断面が欠けた製品を溶接機の所に持って行き、欠けた面を溶接で補修した上、仕上げ加工を施した。一つ一つの作業が別々ではなく、一連の工程を経て素材から商品が作られていくが、最終的には商品としての価値が求められることを理解し、身に付いてきたといえる。
もし職場との出会いがなかったら、職場の上司や同僚達との出会いがなかったら、Y君にこの5~6年間の成長をもたらしたであろうか。知的障害者に、職場や仕事は「成長の機会」をもたらす。また、共に働く人々には「彼の成長を発見する視点」が求められる。Y君の成長には、そんな大切なことが包含されていると考える。
一方で、「成長をもたらすためには安心して働ける環境が必要であり、そのためには心を通わせる誰かがいなければならない、」と馬場社長は述べる。
かつて、Y君と気が合う若手社員がいた。他の従業員とは上手くコミュニケーションできないY君だが、その社員とはよく話をし、自分の事や色々な相談もしていたようである。その社員は残念ながら退職したが、その頃、現在の工場長が入社し、以来、工場長がY君の話し相手となった。
「誰か一人でいいと思う。誰か一人話せる人がいれば、続けられる。これは障害のない者も同じです。『孤独』にしないことが、大切だと思います。」


機械を使って、H鋼の切断加工を行っている
(4)資格と目標
Y君は、就職後に普通自動車免許を取得し、自家用車で通勤している。免許取得は簡単ではなかった。「初めは単位が分からず、cmとmmの区別がつかないとか。でも、4回目の試験で合格できた。相当、がんばったのだと思います。」と。
しかし、仕事で必要な玉掛け(クレーンのフック等に物を掛け外しする作業)の資格が取れない。実技は問題ないのだが、「声掛け」ができないため資格が取得できない。玉掛け作業には事故の発生を防ぐため大きな声を掛けることが必須となるが、Y君は大きな声が出せない。玉掛けの資格が取れたら仕事にも役立つし、給料も上がるのだが、原因不明のハードルがあるようだ。しかし、このハードルもいつか克服できる日が来るだろう。自動車運転免許を取得できたように、努力や成長によって、ある日、それが可能になると信じられるかどうか、それが大切なのである。
「今、次の目標を与えたいと思っています。」と馬場社長は言う。それは「溶接」の資格取得である。Y君には「雑用」という貴重な役割と、多様な工程を適宜フォローするという必要な役割である。従業員達もY君の多能性に期待するところは大きい。しかし、本人には新しいことを学びたいという意欲があるようだ。仕事が終わった後の1時間ずつでも、溶接を練習する機会をつくっていきたいと、当社では考えている。
(5)仕事への適性と個性
「先代の時に雇用していた障害者T君もY君と同じく、色々な工程の仕事をしていた。臨機応変、手が足りない工程に補助要員として配置するわけです。すると、彼を別の作業に取られた工程の担当者から文句が出るんですよ。『あいつがいないと仕事にならん。』と。とにかく、仕事が速かったですね。」
但し、明確な指示は行わなければならない。例えば、ある部品を磨くという単純作業を指示する場合、「100本だけ磨く」とか「この箱いっぱい」とか数量を明確にしておかないと、周りにある材料をあるだけ使ってしまう。他の工程の進み具合を考えてバランスを取ることが難しいケースも多い。もっともよい方法は、その場に使う量の材料しか出さないことである。もっとも、Y君の場合には現在、数量を指示すればオーバーワークすることもなくなった。業務経験の積み重ねによる成長が、ここにも示されている。
「T君とY君では能力に違いがある。」と馬場社長は言う。T君の場合は作業が速かった。Y君の場合は作業は遅い。しかし、2人共この仕事への適性はあるが、個性は違う。障害のない者に適性と個性があるように、障害者にも適性と個性がある。障害者と仕事をする上では、適性と個性の見極めも大切に違いない。
また、障害のない者にはない、障害者ゆえの適性だってあるのではないかと、馬場社長は考えている。例えば、一つの地味な作業をこつこつと続けるのは、障害のない者には非常に苦痛で、それが連日となると大きなストレスとなる。知的障害者の中には、そのような作業を厭わず、辛抱強く続けられる人達があり、それは当社のような製造業だけではなく、得難い人材として重宝されるケースは決して少なくない。
(6)最後に:活躍できる場所の拡大に向けて
「Y君には、『お前は特別支援学校のヒーローになれ。特別支援学校の生徒の目標になれよ。』と言っている。」と馬場社長は語る。工場の技術を学び、溶接工として資格を取得できたとしたら、障害のない者に負けない給与を得ることができ、特別支援学校の生徒は「自分達にもあんなことができるんだ。」と夢を持てる。
馬場社長は、この話を特別支援学校に伝えている。「もし、溶接資格が取れたら、学校にもその技術を学べる環境や道具を備えてほしい。」と。現在、特別支援学校で学べるのは木工等の軽作業で、それらをもっと拡充・高度化できないかと、馬場社長は考えている。「もちろん、火を使うので、誰にでもさせられるわけではないが、そんな仕事を目指す子供達がいてもいいと思う。」
「例えば、現在、造船工場において船底の溶接作業をしているのは、インドネシア等から働きに来ている若い女性達です。ならば、障害者が適確に技術を習得できれば、根気強い適性を活かし、必ず活躍できると思うし、そんな職場はもっと他にもあるはず。『彼らが活躍する場所』を広げていくことが大切だと思いますね。」と、馬場社長は結んだ。
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