社会復帰へのお手伝い
- 事業所名
- 有限会社山本綿業
- 所在地
- 三重県松阪市
- 事業内容
- リネンサプライ業(ホテル・病院・宿泊施設等への寝具類・シーツ類・浴衣・ガウン・タオル等のリース、寝具類の製造販売)
- 従業員数
- 60名
- うち障害者数
- 14名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 1 仕上げ 肢体不自由 内部障害 知的障害 13(うち重度9) 洗濯仕分け、仕上げ 精神障害 - 目次


1. 事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の概要
当社は、1980年8月に資本金800万円で有限会社として設立された。初めは、1953年1月に、山本綿店として創業し、一般寝具、婚礼用寝具、布団綿打ち直し、仕立て替えをし、原綿からの布団綿及び中入綿の生産、それを素材にした寝具の生産・販売などを手がけていた。
1967年に洗濯機1台、乾燥機1台、ロール・アイロナー1台で洗濯工場を新設し、松阪市民病院の基準寝具の依頼によるシーツ類の洗濯を始めた。
1970年から、病院用基準寝具、ホテル用リネンサプライ、貸しオムツ、一般寝具リース販売、ホテル用寝具リース等の一般ホテル・旅館のリネンサプライ業務を開始し、現在では、シーツ、枕カバー、ブランケット、ガウン、浴衣、タオル、バスマット、テーブルクロスなどのホテルリネンと寝具のリースを主な業務内容としている。
1984年には、布団丸洗い事業を開始し、中核工業団地に進出した。また、1991年には布団専用工場を新設し、リネンサプライ業務の拡張発展を図り、その後、現在地に移して業務を遂行している。
(2)障害者雇用の経緯
創業以来、現会長の父である先代が、知人の障害のある子どもの就職を依頼され、工場2階の2部屋に住み込みで働いてもらったのが最初で、その後も知人からの紹介で働きに来る障害者が増えてきた。家庭的な雰囲気の中で働いてもらうということが創業当初からの基本的な姿勢であった。職場に馴染める人、作業のできる人であることが雇用の前提条件である。そのような人を親身になって預かるということで、彼らの社会復帰の場を提供するものと考えていた。障害のない従業員の中には、障害のある従業員に対し親身になって面倒をみて、家庭と連絡を取り、円滑に作業ができるよう進んで働きかける人も出てきた。
当初は、公的支援や助成金制度を知らなかったが、取引業者やメーカーからアドバイスを受け、第一種重度障害者施設設置等助成金等を知った。1980年頃は、従業員80名ほどの規模であり、障害者も25名ほど働いていたので、助成金を申請する条件を満たしており、この助成金を受けることができた。これにより、新しい施設の設置・整備が進み、洗濯機、脱水・乾燥機、アイロナーなどを拡充することができ、障害者が従事できる職域が広がった。
また、障害者が、長く職場に定着できるように、きめ細かい指導を行えるような人員を配置するため、業務遂行援助者の設置助成金も長い間受給しており、現在も1名の業務遂行援助者について助成金を受けている。これにより、作業方法、作業手順等の手本を見せながら、きめ細かな、粘り強い指導を行うことが可能となり、また、作業の遂行にあたっては、温かく見守りながら行う指導・援助ができるようになった。
2. 取り組みの内容
本事業所のリネンサプライ業務では、使用されたリネンの回収、配送のほかに、工場内での、洗濯、乾燥、アイロン、仕分けなどの業務が挙げられる。その作業のうち、工場では、高温滅菌処理して、指定された時間に届け、さらにリネンの修理や利用の度合いに応じた補充が行われるが、洗濯から圧縮脱水、乾燥、アイロンなどは、ベルトコンベアーやエアシューターなどが利用され、すべてオートメーション化されている。
障害のある人が従事している作業は、集荷された洗濯物をさばいて仕分けし、ベルトコンベアーに載せて重量を量り、洗濯機に送り込む作業(男性4名配置)、自動的に送られてきた脱水・乾燥された洗濯物を大型のロール・アイロナーにかけるため引き延ばして貼り付けたり、両端を機械のフックに引っかける作業(女性7名、男性3名配置)などであり、いずれも障害のない人と組んで行っている。
ロール・アイロナーには最新の機械が取り入れられ、効率化が図られている。この作業は、相当数をさばく為、スピードが求められ、最初のうちは遅れがちであっても、粘り強い指導・教育により、遅れることなく作業することができるようになる。
アイロンがけされたものが畳まれた状態で数量ごとにまとまって出てくるようになっており、それを束ねて倉庫に収納し、必要なものがリースのために配送されることになる。
布団カバー、枕カバー、シーツ、浴衣、タオル、サウナマット、作業服などが取り扱われていた。最終的には、各施設専用のリネン商品もあるため、それを間違うことは許されないので、最終チェックは障害のない人が担当しているということである。
また、障害者に他の従業員とのトラブルがあったり、仕事上の問題があったり、通勤に伴う問題が生じたりした場合には、家族との話し合いがもたれ、問題解決に向けての対応がなされている。しかし、過去には問題解決に至らず、退職という結果に終わったこともあったようである。
雇用を決めるにあたっては、まず、会社で実際に働いてもらい、どの部署に一番適しているか、働き方の状態などを観察しながら、その試用期間を経てからの採用という手順をとっている。流れ作業の中で、自ら体験することによって仕事を覚えていくという方法がとられている。ハローワークを通じてのトライアル雇用も活用しており、その間、トライアル雇用奨励金の支給も受けることができた。また、特定求職者雇用開発助成金についても支給対象となり、受給している。
現在の障害者従業員は、女性・男性各7名で、年齢は26歳から58歳である。年齢構成は、20代(女2名、男2名)、30代(女1名、男2名)、40代(女2名、男1名)、50代(女2名、男2名)である。勤続年数も32年を筆頭に、29年、25年、21年(2名)、19年、15年(2名)、14年、11年、10年、7年、6年、1年であり、かなり長い勤続年数、継続雇用であるといえよう。
就業時間は8:00~17:00であるが、回収されて戻ってきたリネンが届くのが午後近くになるため、午後が忙しくなる時があり、場合によっては残業をして、翌日の配送に間に合わせなければならない状況もある。
休日は、原則として木曜日と日曜日である。通常のカレンダーのように土・日と連続の休日にすることは、業務の性質上難しいため、このような変則的な休日が設定されている。毎日の洗濯や補修等のメンテナンスが必要なため、それがたまってしまうと翌日の貸し出し、配送に支障をきたし、指定の日時に必要に応じて配送することができなくなるからである。
職場での安全対策としては、ガードや棚の設置、ランプなどを用いての注意喚起等に配慮し、危険防止にあたっている。ベルトコンベアーの一部は、障害のない人が担当し、圧縮脱水されたリネンのかたまりを乾燥機へ送り込む部分の作業が行われている。
通勤については、施設から通勤している従業員もいるが、自宅からの通勤者が多く、松阪市内、伊勢市、玉城町、大台町、多気町などから、電車、バスなどの公共交通手段を利用し、雇用の条件でもある、一人で通勤を実行している。
施設からの要望により、連絡帳を作成して、勤務状況、健康状況などの情報交換をしている従業員がおり、何かあればその都度家族とお互いに連絡を取るようにしている。家族や支援機関のサポート体制がかなり大きな比重をもって必要であるからである。
従業員相互のコミュニケーションを図る目的で、年2回ほど、食事会やバーベキューを行っている。休みの時には、CDで音楽を楽しんだり、カラオケに行ったりしているとのことである。仲間同士での音楽等の情報交換をして、楽しみを共有している人もいる。
給与の面では、11名が最低賃金の減額の特例許可を受けており、3名が最低賃金を基準にしての給与である。それは、現状では、能力面、判断力の面で責任をもって任せられない部分もあり、誰かがフォローをしているからである。彼ら自身のペースに任せている。



3. 取り組みの効果、今後の展望と課題
(1)取り組みの効果
家庭的な雰囲気の職場環境により、長期での継続勤務が固定化しているという効果がみられる。長く働き続けていることで、担当の仕事もきちんとこなせるようになり、単純作業なら障害のない人と同等の仕事ができることもあり、まじめに働いていると評価されている。障害者雇用を長期的な人材育成という視点で考えると、障害者ばかりではなく他の従業員も含めた全体の成長を実現しているということができる。
障害者だからといって特別扱いをせず、半年ないし1年単位で様子を見て、仕事に慣れ、覚えてもらう方法をとっている。障害者個人の能力には大きな差があるが、継続して勤務できることで、社会復帰へのお手伝いができるのではないかと考えていると思われる。障害の有無に関係なく、個性を評価し伸ばしていくことで、それぞれが社会の一員として十分に活躍し、社会貢献できるのである。
障害のない従業員においては、当初、障害者に対して偏見を持つ者もいたが、次第に親しみを感じてきて、皆で一緒に仕事をするという人の和が生じ、障害のない従業員自身が和んできている状況である。今では、障害者以外の従業員は、障害者に声をかけたりしてコミュニケーションを取っているが、障害者は誉められたりあるいは逆に怒られたりすることで、自分を一従業員として扱ってもらっていると感じ、嬉しいようである。「以前に働いていた職場と比べて、ここでは働きがいがあり、毎日出勤している」と話している障害者もいる。なお、障害者の給与の用途は、趣味に使う人、家に預けて貯金する人等さまざまであるが、これも継続して働くことの原動力になっている。
ハローワークの指導の下で、新規の採用者のある場合にだけ、助成金などの活用ができ、たいへん有効に使わせていただいているということである。
1981年には、重度障害者多数雇用事業所の指定を受け、社団法人全国重度障害者雇用事業所協会(略称「全重協」)の正会員となり、重度障害者を雇用し、今後これらの雇用を促進しようとする事業所である。すなわち、「雇用する障害者のうち6割は重度障害者であるが、重度の障害があっても、その持てる能力を的確に把握し適職に配置して指導や訓練を積めば立派に労働力となり、生き甲斐をもって自立への道を進みうるものであることを実証している事業所」ということができる。
1997年9月1日、障害者雇用促進月間に当たり、「障害者雇用の重要性を深く認識され、積極的に障害者を雇用しその雇用の促進と職業の安定に寄与されました」として、労働大臣表彰を受賞した。さらに、1998年には、三重県知的障害者福祉連盟から、知的障害者の教育・福祉ならびに職能指導に尽力したことに対し、感謝状が贈られている。
(2)今後の展望と課題
将来的に、これまでのように、少数ではあるが何人かの入れ替わりがあると思われる。しかし、障害者の現在の勤続年数に現れているように、障害者は、基本的には終身で継続して雇用する方向で進んでいくであろう。それに伴い、今後、高齢化に伴う諸問題にも取り組んでいかなければならないことになる。
会長からは、今後様々な問題が起こったとしても、これまで通り特別な意識をもたず自然体で、当社に合った方法で、今後も障害者雇用に取り組んでいきたいとの考えが示された。
アンケートのお願い
皆さまのお役に立てるホームページにしたいと考えていますので、アンケートへのご協力をお願いします。
なお、事例掲載企業、執筆者等へのお問い合わせや、事例掲載企業の採用情報に関するご質問をいただいても回答できませんので、あらかじめご了承ください。
※アンケートページは、外部サービスとしてMicrosoft社提供のMicrosoft Formsを使用しております。