学校・支援機関との連携による障害者雇用
- 事業所名
- 倉敷スクールタイガー縫製株式会社
- 所在地
- 岡山県倉敷市
- 事業内容
- スクールユニホームの製造、障害者・高齢者向け衣料の製造販売
- 従業員数
- 65名
- うち障害者数
- 3名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 1 生産技術 肢体不自由 1 生産技術 内部障害 知的障害 1 生産技術 精神障害 - 目次

1. 会社概要
弊社は、昭和34年に「吉井被服」として創業し、主にスクールユニホームの製造を行ってきた。平成12年には、主力取引先のブランドを社名に組入れ現在の「倉敷スクールタイガー縫製」となる。当社の生産品目は、スラックスを中心としたボトム関連であり、年間生産量は約13万着で、メーカーを通じて全国の小中高生に制服を送り届けている。
平成19年からは、障害を持つ人たちに向けた「Primulacalla」(プリムラカラー)を発売開始した。プリムラカラーの研究開発は、自社の持つ技術やノウハウを基礎とし、産官学民の協力体制のもと行われた。以後、今日まで、岡山県立大学、岡山県産業振興財団、ハートフルビジネスおかやま等、県内外の研究機関や福祉分野の人たちと開発を進めてきた。
研究開発は、19年度より岡山県の「きらめき創生ファンド」や倉敷市の「頑張る中小企業支援事業」等の公的な支援策に採択され開発されてきた。当社が開発を進める衣料は、「すべての人に“着る”という喜びを」がテーマになっており、障害を持つ人たちや高齢で身体に不自由さを感じる人たちにも外出や、ファッションをいつまでも楽しんでほしいという願いを込めて開発している。
また、多品種小ロット短納期生産のノウハウと障害者向け衣料の生産技術を応用したOEM生産や地域ブランドの支援等行っている。障害者向け衣料やユニバーサル衣料は、幅広いネットワークを生み「ファッションショー」や「講演」「研究会」等通じノーマライゼーションを目指す活動にも貢献している。


【使命】
わたしたちの使命は、
すべての人に「着る」という喜びを
提供すること。
【経営理念】
わたしたちは
- 当社を取り巻く全ての人を大切にし、人に優しく愛される企業を目指します。
- 優れた品質と豊かな価値を創造します。
- 和を重んじ、互いに尊重し合い、学び合い、物心共に幸せを共有します。
【社訓】
「報恩謝徳」
「温和勤勉」
2. 障害者雇用の経緯、関係機関連携による障害者雇用
(1)障害者雇用の経緯
<創業~平成18年>
当社は、ミシン、アイロン等を使って作業する縫製工場である。雇用に関しては、創業から昭和60年頃までは、地元の中途採用と地方からの住み込み従業員(中卒)が多く働き、昭和50年代半ばからは、地方の経済発展に伴い地元の中卒、高卒採用に代わってくるようになってきた。
当時、求人活動は、ハローワークや各学校の進路指導の先生とのネットワーク、それぞれの信頼関係の中で進められていた。当社の仕事は、比較的軽作業であり知的障害者や聴覚障害者でも就労が可能な職種ということで当時から学校やハローワークからの相談を個別に受け、採用してきた経緯がある。
そのため、障害のある新卒者の受け入れは、関係機関との事前の情報交換や互いの信頼関係によって問題を最小限にすることができ、社内では、抵抗感を最小限に抑えることで障害のある人が就労した際に大きな問題は発生しなかった。
<平成19年~>
当社は、平成19年より障害者向け衣料の販売を開始するにあたりスタッフに身体障害者の採用が不可避と考え採用に踏み切った。この経緯は、次項の事例で紹介する。
また、当社は、障害者や高齢者向けの衣類開発を進めていく中で関係機関との交流が増し、現在のような障害者雇用推進の活動を行うことになった。
(2)関係機関連携による障害者雇用
<Nさんの事例>(聴覚障害)
Nさんは、平成10年入社の当時ほぼ毎年新規採用していた高等学校出身者である。高等学校の担当者とは、10年以上の交流の中で信頼関係があり、Nさんのことも就職活動前から当社へ打診があり、就業が可能か互いに検討を行っていた。Nさんは、聴覚に障害はあるけれど相手の口の動きで会話が理解できるということ、また自宅が当社に近いこと、聴覚以外には何も問題ないこと等により最終的に採用を決めた。
採用に至ったのは、企業と学校、ハローワークの連携がスムーズであったからである。学校との信頼関係がなかったら採用には至ってないと考えられる。
Nさんの仕事内容は、当初アイロン作業から習得した。指導は、指導者が実際に手本を示し見せること、注意事項は口頭でなく書面で伝えることで技術を習得していった。
その後Nさんは欠勤もなくまじめに与えられた仕事をこなし、後輩が入社すると作業の指導を行う能力も身に付け、社内でも模範的な社員となった。
<Y子さんの事例>
Y子さんは、進行性の病気により身体障害を抱えていた。Y子さんとの出会いは、身体障害者の雇用を検討していた時、ハローワークの関係者から吉備高原職業リハビリセンター(以下、吉備リハという。)の求職者情報を聞いたことから始まった。Y子さんの前向きな情熱と明るさが、当社の新規事業(障害者向けカスタマイズ衣料)推進に適任と判断したため採用した。
その後、吉備リハの訪問や関係者との打ち合わせを何度も行い、受け入れ準備を進めることになるが大きな問題がいくつもある事がわかった。
問題 その① 職場のバリアフリー化
当時の当社は、事務所もトイレもバリアフリー化されていなかったため、車いすで就業するためには部分改修が必要となり、ハローワークや関係機関への問い合わせや相談を行い、各種助成金を活用し設備が整うまでに約半年かかった。私たち中小企業にとっては、建物や設備の改修に何百万円も拠出することが困難であるゆえに、公的な支援があったからこそ実現した雇用であった。



問題 その② アパートが借りられない
Y子さんは実家を離れ就職するため、住まいの確保が必要な条件となった。車いすで生活する障害のある人が入れる物件は全くなかった。障害者というだけで断られたこともあった。
住まいの確保は、ハローワーク関係者、吉備リハ、就業生活センター等多くの機関に協力してもらったが本当に厳しかったと記憶している。結果、何とか就業生活センターのネットワークで情報を得ることができ新築のアパートを確保することができた。但し、会社としての契約であり障害を持つ人個人では不可能であった。
問題 その③ 吉備リハ研修期限迫る
Y子さんの吉備リハでの滞在期間が、上記諸問題により大幅に延長せざるを得ない状況となったが、この問題も多くの協力を得て解決することができ、採用決定から6か月後に入社となった。
Y子さんは、現在、病気の進行に伴い就業が困難となり退職後実家で療養している。
Y子さんが在職中は、新規事業の立ち上げに奮闘し、岡山の福祉分野に関わる多くの人に彼女の名前を刻んだ。特に、2008年に開催した車いすファッションショーは、県内外に情報発信することができ、現在では、各地で同様のイベントが開催され、障害のある人たちを勇気づけノーマライゼーションの実現に大きく貢献しているものと信じている。



<Oさんの事例>
Oさんは、平成24年支援学校を卒業し入社した。Oさんの採用に当たり学校、障害者職業センター、障害者就業・生活支援センターとの連携で就業が可能かどうかを在学中から検討を加え就業に際しての準備をしてきた。入社試験前には、職場体験を行い、本人が就業可能かどうか、仕事に対する興味、適性等を関係者で確認したうえで正式に当社の採用試験を受け採用となった。
Oさんは、癲癇があり1日通しての就業は、難しいということで半日勤務からスタートし、同時に入社した高卒の新入社員(4名)と共に新入社員教育を受講しOJTを行った。教育訓練は、ジョブコーチのサポートを受け、彼女を側面からサポートする体制が整った。社内の教育担当者は、過去にも障害を持つ社員の指導経験もあり順調に教育訓練はスタートした。本人は、仕事に大変興味を持ちミシン作業を難なくこなしジョブコーチの手をかけることなく勤務していた。
しかし、1か月少々経過したとき、突然出社できなくなり現在(6月中旬)休職中である。後述するが、今後の課題を残すこととなった。
3. 今後の課題、将来への展望
(1)今後の課題
<幅広い障害特性への対応>
障害者雇用といっても非常に幅が広い。身体障害、知的障害、精神障害その中に種々違った障害がある。中小企業にとってすべてに対応し、雇用につなげることは非常に難しいと感じる。社内の担当者は、障害の特性を理解し個別に指導計画や対応が必要となるからだ。そして、一番重要なことは、社員が障害を理解し受け入れていくことができるかどうかだ。当社では、知的障害者が入社する際、障害者支援の専門家に来ていただいて全社員に事前研修を行い障害特性の理解を深めるようにしている。当社では、障害は「個性だ」という考え方で特別視せず、障害のない者と同じ接し方で対応している。一般企業では、まだまだこういった考え方はなく特別なものとして扱っているようである。
「障害」=「個性」
<こころの障害>
当社では、過去数回、知的障害者の採用を行ってきたが1年以上継続して勤務できたことがない。知的障害のある人は、適性が職務内容と合えば人一倍能力を発揮する。企業にとっては、貴重な戦力となる可能性が高いが、指導し一人前に育てるまでの時間とコストがかかる。また、心のケアも重要になる。これは、障害者に限ったものではない。最近は、障害がない者であっても心のコントロールができず精神的なダメージを受けうつ病になる者が増えている。ある意味、障害者である。会社での対応は、知的障害者、精神障害者、身体に障害のない者共に同じようなケア、フォローが必要となってきている。
(2)将来への展望
<民間企業の取り組み>
近年、民間企業の間に障害者雇用を推進していこうという機運が出始めている。
事例をいくつか紹介し今後の展望を推察する。
岡山県中小企業家同友会では、障害者問題委員会を2年前より立ち上げて毎月勉強会や見学会を開催している。発足当時は、障害者雇用そのものに関心がなく必要性も感じていない企業が大半であった。しかし、勉強会を通じて障害者雇用の重要性、社会性を認識し、積極的に障害者雇用に向き合う企業が増えてきたことは今後に期待が持てる。
同友会では、支援学校からの職場体験受け入れや障害者雇用に関する講演等を行う一方、同友会の全国組織の中で障害者問題を取り上げ活動の輪を広げている。
倉敷では、倉敷障がい者就業・生活支援センターが中心となり地元企業でチームプラスを立ち上げ勉強会や情報交換を行っている。ここでは、事業所での困りごとや悩みをぶつけあい、障害者雇用に立ち向かっている。参加者は、心温かいチャレンジャーばかりで今後の障害者雇用のリーダーとして地域で活躍いただけることと信じている。
このような活動が徐々に広がりを見せてきたことは喜ばしいことである。障害のある人たちが一般企業で就労し生活できる環境が整うことによりノーマライゼーションが実現し社会を豊かなものにすることであろう。
<事業所との連携>一般企業への就労が困難な人たちの自立に向けて
前述した障害者雇用は、全障害者に適応できるものではない。本当に困難な問題は、一般企業やA型事業所に就労ができない人たちの自立支援であろう。
現実としては、障害者年金に頼らざるを得ない状況である。重度の障害があり企業に就労できない人の支援は、B型事業所での作業や在宅就労となるが、収入が低く自立した生活は難しい状態である。
現状は、「作業所で作りました。」「支援してください。」的なものが多くある。収入を上げるには、市場で受け入れてもらえる品質が必要となる。当たり前のことであるが、売れるものを作らないと商売にならない。どうやって付加価値のあるものを作りあげていくかである。近年、作業所での製品を事業化できないかと多くの人が模索している。障害のある子どもが描いた絵をTシャツに印刷してブランド化する。独自の織物技術を活用し在宅で織物を作成し、2次製品として販売する。いずれも能動的な行動により自立を目指そうとするものだ。今、そこに企業が参画しすることでビジネスとして成り立つことができると感じている。「作業所」ではなく「工房」である。障害のある人たちの未知の能力や才能を引き出すことができれば自立も夢ではない。
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