福祉的就労から一般的就労を目指して
- 事業所名
- クリーンライフ舎
- 所在地
- 秋田県秋田市
- 事業内容
- クリーニング業
- 従業員数
- 15名
- うち障害者数
- 2名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 肢体不自由 内部障害 知的障害 1 選別作業、たたみ作業 精神障害 1 プレス作業、仕上げアイロン掛け - 目次


1. 事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の概要
当事業所は、平成4(1992)年に創業したクリーニング工場である。秋田市近郊の自然環境に恵まれた住宅街で、大学病院や障害者の福祉施設が点在している一角に、当事業所がある。
取引先には国立大学付属病院をはじめ、病院関係が多いが、その他に一般クリーニングも取扱っており、大規模クリーニングチェーン店の業務も委託されている。お客様のニーズにあわせた迅速丁寧を心がけている。
また、「クリーンライフ舍」という社名には、“さわやかな生活を創る”という意味を込めた。お客様にも従業員にも、日々の生活、人生をさわやかに過ごしてもらいたいという思いで取り組んでいる。
(2)障害者雇用の経緯
当事業所の代表である私(執筆者)は、前職が障害者施設の指導員であった。事業を立ち上げた当初から、障害者が働ける場所にしようという思いがあった。事業開始から間もなく、施設からの要請もあり職場実習生を受け入れた。毎年何人かの実習生と触れ合う中で、人柄がよく適応力もある知的障害者のIさんに出会い、この人なら社員として頑張ってくれると感じ、平成16(2004)年に採用。その後平成21(2009)年には精神障害者のWさんを正規雇用として採用した。
2. 障害者の従事業務、問題点と対応
(1)障害者の従事業務
Iさんは読み書きが全くできない重度知的障害者である。仕事を覚えてもらうには、指導係を決めて手とり足とり教えていく必要があった。そこで、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(当時秋田県雇用開発協会を経由)の障害者介助等助成金を利用し、工場長の進藤さんを業務遂行援助者として配置することにした。
クリーニングの工程は、
① 洗濯物の素材をチェックしてドライクリーニングか水洗いかに選別する。
② 洗濯機に入れて洗濯。
③ 乾燥機に入れる物、生乾きのままプレス機にかける物などを分けて各作業場に運ぶ。
④ 綿素材の物は濡れた状態からプレスする。
⑤ 乾燥後のしわ伸ばしの機械操作。
⑥ 仕上げのアイロンがけ。
⑦ ハンガーかけ、たたみ。
などがある。
Iさんにはまず初めに、取引先から運んできた洗濯物を車から降ろし、ポケットの中にゴミや小物がないかチェックする仕事を覚えてもらうことからスタートした。それができるようになってから、最終工程の洗濯物のたたみ方を教えた。Iさんは勘が良く、慣れてくると要領よく仕事をこなすことができた。
また、明るい性格でひょうきんなしぐさをしたりするので、他の従業員にもすぐ打ち解けた。徐々にできる仕事が増えていき、今では殆ど全ての工程の助手的仕事をやってもらっている。病院のユニフォームが多く、似たような物が沢山あるので、間違って他の病院に戻してしまうことが一番苦情の原因になりやすいのだが、Iさんは観察力が鋭く、間違いがない。Iさんは人間に関心が強く、よく人の変化に気がつく。その洞察力は戦力になると感じている。
精神障害のあるWさんは、当社に入社する以前に職業経験があったので、何を頼んでもテキパキとこなし、仕事が上手である。職人かたぎで、徹底的に仕上げるのが得意なのでプレス機、アイロンなどを任せている。いい仕事をするので信頼できる。しかし、精神面で不安定な部分があり、敏感で、必要以上に色々なことを気にするので、工場長には相談相手としての役割も果たしてもらっている。


(2)問題点と対応
Iさんが採用から1年ほど経った頃に、少し慣れたせいか、集中力がなくなり、だらだらと作業から離れてしまうことがあった。何度か注意したが直らなかった為、話しをよく聞いてみたところ「疲れて集中できない」状態であることがわかった。
就職が初めてであったIさんにとって、事業所で働くことは施設での作業経験とは違い、かなり気をつかっていたようであった。そこで、それまで週6日勤務であったのを5日勤務とし、週の真ん中の水曜日に一日休ませることにした。この対応をとり、休日にリフレッシュすることで、勤務日に頑張りが効くようになった。
Iさんにはもう一つ課題が残っている。遅刻である。Iさんはグループホームからバスと徒歩で通勤している。バスの時刻表などは読めないので初めの数日はホームの人が付き添っての通勤であったが、持ち前の勘のよさですぐに1人で通えるようになったが、一方でIさんは人が大好きで、慣れた通勤経路でいつも見かける人には積極的に挨拶し話しかける。それはIさんの最大の長所なのだが、人に好かれるタイプなので、時々話が長引きすぎて遅刻してしまうのである。時間の管理も働く上で大切なルールである事を繰り返し教え、大分減ってはきているが、まだ時々失敗してしまう。今後も根気強く指導していくつもりである。
Wさんの問題はやはり精神状態に波がある点だ。最近、高次脳機能障害があることも発覚し、体調も安定せず、休むことが多い。出てくればいい仕事をしてくれるので大事な存在なのだが、病状が悪化してはいけないので、医師とも相談しながら、無理をさせないようにしている。
3. その他の取組、今後の展望と課題
(1)その他の取組
その他の取組としては、従業員の人間関係を円滑にする為に年3回のイベントを行っている。春には花見を、秋は果樹園でリンゴ狩り、そして年末はクリスマスと忘年会を兼ねてカラオケ大会を開く。今年もおおいに盛り上がった。
職場で働くには、従業員全員が作る大きな流れに乗ることと、その人の持ち味を発揮することの二つが、両方とも必要だと思う。慰安的行事は皆が互いを理解し合い、心地よく働くための大切な取組となっている。
(2)今後の展望と課題
26年間知的障害者施設の指導員をしていたが、施設は閉鎖的、画一的である。親は障害のある子どもを一生預けるつもりで施設に入れる。衣食住も不自由な重度の障害者は、施設によって救われているのだが、少し物心のつく人は、変化もなく出口のない毎日に不毛な人生を送ることになる。施設で暮らす知的障害者が実習で事業所の仕事に携わると、見違えるほどに生き生きとして帰ってくるのを何度も見てきた。それが、事業を立ち上げて障害者の働く場を作ろうという決意へとつながった。障害のない従業員も私の思いを理解しているので、障害者と共に働くことには全く抵抗がない。そういう意味ではどのような障害のある人でも受け入れる土台は事業開始当初からあったと思う。
いつか、Iさんに「施設に戻りたいか?」と聞いたことがあった。即座に「戻りたくないよ」という答えが返ってきた。それは、今まで取り組んできたことが間違いではなかった、と思えた瞬間だった。
だが、経営というものは甘くはない。利益が出てはじめて成立するのであって、“障害者のやる仕事だから、この程度で仕方がない”などという取引先はない。失敗すると弁償しなければならない、信用を失う、というリスクがある。そこが施設内の作業と大きく異なる点だと思う。採用を決める時は、その厳しさに耐えられるかどうかが判断基準になる。近年は常時8人前後の実習生を受け入れているが、残念ながら仕事を軽く見ていたり甘えがある人を社員として採用することはできない。だからこそ、頑張って採用を勝ち取ったIさんなどは、自分がいっぱしの働き手であるという自信がついてきているのを感じる。人は実践的なことをやらせると変わっていくのだとつくづく思う。1人でも多くの障害者がIさんのように生きがいのある人生を送ることができるように、今後はもっと沢山の障害者の受け皿になっていきたいと思っている。
当社は平成15(2003)年から精神障害者の職親にもなっている。職親になってから10年になるが、これまで、てんかんの人や統合失調症の人を受け入れてきた。今はうつなどの精神疾患が増えている時代なので、まだ経験はないが今後はうつの人も受け入れたいと考えている。そのためには私自身もっと勉強もしなければならないし、事業規模も拡大していかねばならないと思っている。また、在職中のWさんが休みがちでもあるので障害者職業センターのリワーク支援などの利用も考えていきたい。障害のある人もない人も、持っている潜在能力を発揮して生き生きした生活を送れる社会になることを願い、微力ながら、私に出来る取組みをこれからも続けていくつもりである。
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