障害の有無にかかわらず、一人ひとりが輝く社会をめざして
- 事業所名
- 株式会社ピアライフ
- 所在地
- 滋賀県大津市
- 事業内容
- 不動産売買、仲介、管理運用
- 従業員数
- 23名
- うち障害者数
- 1名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 肢体不自由 1 一般事務 コンピュータのデータベースで不動産の物件管理 内部障害 知的障害 精神障害 - 目次

1.事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の概要
株式会社ピアライフは、1990(平成2)年4月に大津市堅田にて設立された不動産売買仲介事業を行う会社である。その後、2004(平成16)年には中小企業経営革新支援法による経営革新計画の「再生住宅」が承認され、翌年より中古建物再生事業を開始、2009(平成21)年には、本社を大津市衣川へ移転し、ショールーム・コミュニティホールを開設した。
経営理念は「快適環境を創造する」であり、不動産取引を通じて、快適な住環境を提供することで地域・社会に貢献する企業を目指している。


(2)障害者雇用の経緯
① 経営とは〝多くの人々を幸せにする営み〟
当社は所属する滋賀県中小企業家同友会の例会にて、障害者雇用に関する報告を聞く機会があった。ここで「障害のある人たちが働きやすい会社は、誰しもにとって働きやすい会社」であることに気付かされた。今までは仕事が「できる・できない」を判断基準にして、社員を見下してきた自分に気付いたことから始まり、人を育てることのできる企業、人の多様性を受け入れることのできる企業づくりを目指すことになった。
② できることから、関わり合いを持つこと
当初は障害者に関する理解や認知を高めようと考え、月に1,000人以上来店するお客様のお茶菓子としてクッキーを渡すことにした。このクッキーは、地域の作業所で働く人たちが一枚ずつ手焼きしたものであり、その制作に関わった障害者の本人の写真入りである。また、社員の名刺やDM等で使用するチラシの印刷、お中元やお歳暮、また自社管理物件であるアパートの清掃も、地域の作業所に委託することになった。現在では、「綺麗にしてくれてありがとう」と、アパートの住民と障害がある人との間で感謝の言葉が交わされるようになっている。
また当社では障害者のみならず、新卒の就職活動で50社以上から不採用通知をもらった人や、35歳まで引きこもりだった社員も働いている。
こういった取り組みを通じて、「障害者=特別な存在」ではなく、障害の有無に関係なく、共に人生を歩む仲間であるとの認識が生まれている。

③ トライWORKの受け入れを通じての社内の変化
ある時、地域の作業所から「トライWORK事業」(滋賀県において取り組まれている事業で、障害者の就労体験・職業体験を通じて就労支援をする事業)で、精神障害2級の人を受け入れることになった。受け入れを行う前にはしっかりとその人の特性について、社員に説明を行った。社員の抵抗やとまどいはほとんどなかったという。それは、前述のように障害者との関わりを常に持ち続けていたからであるが、実際受け入れてみると、コミュニケーションの問題点や業務の煩雑化が課題として浮き彫りになり、残念ながら希望する職種ではないとの理由で採用には至らなかった。
この教訓を生かし、まずは煩雑化した業務の整理(棚卸し)をしたと話す。その結果、それぞれの社員の日常業務の洗い出しを行い、その仕事が本当に必要かどうか、もっと効率的な仕事のやり方があるのではと、業務分析を行うことができた。そして、障害のある人に担ってもらう部分を明確にすることができたという。
そして今回採用となるSさんであるが、ポリテクカレッジ滋賀(滋賀職業能力開発短期大学校)から「トライWORK」の依頼を受ける。「是非受け入れましょう」と社員が率先して、仕事の分担等を行った。
Sさんは肢体不自由、いろいろと検討した結果、設備面では2階事務所に上り下りするために階段に手すりを取り付けたのみでの採用だ。
2.取り組みの内容と社内の変化
(1)「できない=障害」ではない
トライWORK直後は、無断欠勤や遅刻が目立ったとのこと。その理由は「体調不良で出勤できない」であった。また仕事を依頼してもなかなか期日までにできず、社員がいろいろとフォローをする日々が続いた。不審に思った永井社長がSさんと個別面談を持つこととなる。その結果、体調不良の原因は、実は前日夜遅くまで起きていたことが理由だと分かり、また納期のある仕事も、障害を理由に逃げていたことが分かった。
そこで先輩社員から、仕事の意味・意義について説明をする。このチラシ1枚がどういう意味があるのか、なぜ期日があるのか?体調管理についても丁寧なアドバイスを行った。その結果、Sさんは障害を理由に期日を守らないことや、欠勤することが無くなり、さらにSさんは、広告DMのチラシ作成や管理物件のデータベース化、営業の補助業務を担うまでに成長を遂げた。

(2)「仕事」に「人」を合わせるのではなく、「人」に「仕事」を合わせる
障害者と向き合うことにより、社内に顕著な変化が現れた。
永井社長は次のように語る。
「今までは、仕事で失敗をする、もしくは納期に間に合わない、お客様からのクレームなどがあったときは、それをした人自身の責任にしていました。ところがSさんが入社されると、徐々に暖かみのある会社に変化してきます。"人のできないことを補う風潮"ができました。障害の有無にかかわらず、誰しも人には「題名のない伸縮自在の袋」を持っています。これは疑ってはならない事実です。その可能性をどこまで高めるのか、その袋に題名をつけてあげるのが経営者の仕事です。
誰しも得意な事もあれば、苦手なこともあります。"障害があるから、この仕事はできない"と決めつけるのではなく、"(努力しても)できないこと"を認めた上で、違う可能性(仕事)を多面的に伸ばすように、Sさんの入社を契機に社内がなってきました。障害も個性として受け止めることと、お互いがほんの少しの気遣いが必要です。スピードや納期が求められる仕事も、その人の能力に合わせて余裕を持ってお願いすればいいだけのことで、自身の仕事管理にもつながります。Sさんのために取り付けた階段手すりでさえ、誰にとっても、あったら有り難いということを気づきました。疲れて帰ってくる営業マンの体の支えにも大変役に立つ代物です。」
3.今後の展望と課題
(1)障害者雇用に関する相談窓口の発信を
中小企業は経営の要素といわれる「ひと・もの・かね」に関して潤沢にあるわけではない。そのため障害者雇用に関する相談する場所やどういった手順を踏めばスムーズにできるのかなど、アドバイスを受けられる場所については詳しくは知らなかった。またSさんを採用するにあたって階段の手すりをつけたなどの費用は若干かかり、当時は助成金そのものの存在は全く知らなかった。知的、身体、聴覚の障害それぞれ必要な設備もそれぞれの特性によって違う。そういったアドバイスを受けられる窓口(働き・暮らし応援センター等)があることももっとアピールしていくことが求められているのではと思う。
(2)社会を担う企業として
永井社長は「中小企業における障害者雇用は、直接雇用ばかりでなく、間接的な支援から是非取り組んで頂きたい」と話される。永井社長はしっかりと手順を踏んできた。いきなり障害者雇用を行うのではなく、まずは福祉施設と関わることから始めた。そして社員と合意と納得を得て、現在の取り組みまで深化させてきた。
「福祉施設と関わる」→「障害者と関わる」→「トライWORKを受け入れる」の手順を踏むことが大切であるという。
(3)誰しもが働ける共生社会実現に向けて
また、行政関係の方やその関係団体に対しても「法定雇用で押しつけるのではなく、その意識を変えることも求められています」と話される。
それは過去にあった、ある地方行政の方が来社された時の話である。障害者の採用に関しての話題になったときに、「御社の規模の会社なら、法定雇用率からみて障害者の雇用の必要はありませんね」と話されたという。その時、永井社長は「最低限のルール(法律)を守るという"責任を果たす"から社会の"役に立つ"素晴らしさを多くの人たちが知っていただく取り組みがいるのではないか」と思われたそうである。
そしてその行政職員の方が「法律は最低限のルールです。もっと多くの方たちに取り組んでもらいたいですね」と言ってもらえるように、その理解を増やす機会がもっと必要だと感じるという。
社会の暮らしの大半を担う中小企業が、そしてそのリーダー的な存在となる多くの中小企業経営者に、障害者に係る様々な取り組みへの想いをあれこれ禁止という法制や制度でなく、「理念憲章」として高く掲げることと併せて、2010(平成22)年に閣議決定された中小企業憲章の精神を地域の隅々に行き渡らせる環境づくりが大切である。多くの中小企業がもっと、障害者雇用の素晴らしさを知ることで、会社も地域も元気になる。みんな、そのきっかけがなかったり、知らないだけだと思う。
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