手探りでつくった障害者雇用委員会
- 事業所名
- 株式会社グリーンロジスティクス
- 所在地
- 熊本県菊池郡
- 事業内容
- 廃棄物処理・収集運搬業
- 従業員数
- 28名(正社員24名、パート4名)
- うち障害者数
- 2名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 肢体不自由 内部障害 知的障害 2 廃棄物選別・処理 精神障害 - 目次

1.事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の概要
① 事業の概要
株式会社グリーンロジスティクスの創業は平成4(1992)年である、有限会社岩崎商会として設立し、一般廃棄物収集運搬業を開始した。平成15(2003)年株式会社に組織変更し、同時に現社名に社名変更した。エリアは熊本県内で、中でも地元菊池郡と熊本市内がほとんどである。
廃棄物の中でも、プラスチックと紙が同社の主たる取り扱い対象となっている。破砕、圧縮、梱包し、紙は製紙メーカーへ、プラスチックもメーカーへ納品される。同社の事業領域は、リサイクル素材をメーカーへと渡す前処理までとなっている。
② 現在の業況と今後の展開
当社は、工業団地が周囲にあり環境にも恵まれ、優良事業認定(優良産廃処理業者認定制度)を申請中で、企業に選ばれる企業としての条件を整備しつつある。
半導体関連産業においては需給関係の変動が大きく、大きな需要があるとはいえ、半導体産業だけに依存するのは危険だといえる。しかし、当社の場合は、売上の半分程度は地元の家庭や地元企業、コンビニ等から出る廃棄物、あと半分が工業団地の大手工場や建設系等という構成になっている。地域の日常的な廃棄物処理をベースにする業務構造を作ってきているので、不況の波等が来た時も安定的に運営できる。
(2)障害者雇用の経緯
① 障害者の配置と従事業務
現在の従業員数は、正社員24名、パート4名、役員も含んで28名の従業員であり、いずれも地元からの雇用である。うち、障害者は2名で、いずれも知的障害者である。
そのひとりAさんは、現在23歳で同社での勤務は丸2年となる。業務は発泡スチロールの処理を専任で担当している。発泡スチロールは再生資源として活用されるが、体積が大きくかさばるのが欠点で、解決策として熱などで圧縮する「減容」という処理が行われる。Aさんの業務は、発泡スチロールを処理装置に投入して、減容されたインゴット(ポリスチレンの固まり)に加工することである。
もうひとりのBさんは、現在30歳で、雇用されてまだ1年未満である。担当している業務は、プラスチックの選別(前処理)である。
② 障害者雇用の経緯
当社の岩崎浩社長が障害者の雇用を考え始めたのは、4年程以前(平成20(2008)年以前)に遡る。岩崎社長は中小企業家同友会に加入している。4年程前、同友会が主催した知的障害者支援施設「阿蘇くんわの里」の見学会に参加した。それまで全く関心のない分野であったが、施設に行って、いろいろ見ているうちに関心が湧き、自分でも障害者雇用に関して調べたりするようになった。丁度その頃、当社で働きたいと、足に障害を持つ人が面接に来たのだが、当社は事務所が2階にあると、深く考えず不採用にした。
「しかし、その人は当社の事務所が2階だと知っていたと、後で聞いた。そこまで熱心な人を安易に断ったことが後悔として残った。その後悔もまた、障害者雇用を始める一つのきっかけかもしれない」と岩崎社長は振り返る。
「また、障害者雇用を考え始めた時、丁度私達の回りに雇用を後押する環境が整っていた。最初に雇用した障害者のA君を紹介してくれた熊本県北部障害者就業・生活支援センター『GAMADAS』の担当者を始め、皆が熱心にサポートしてくれた。こういう方達との出会いがなければ、スムーズに障害者雇用を始められたかどうか分からない」とも社長は言う。

右側に積まれているのがインゴット


③ 障害者雇用委員会の発足
「社長の私が障害者を雇用したいと言っても、一緒に仕事をする社員が受け入れてくれなければどうしようもない」と考えた岩崎社長は、実際の雇用をスタートさせる前の平成20(2008)年に、社内に障害者雇用委員会を発足させた。
岩崎社長が社員一同の前で「障害を持つ人を雇用して、一緒に仕事をしてみたいと思うんだが、どう思う?そのために、受け入れの体制を作りたい。だれか、そのリーダーになってくれる人はいないか?」と切り出してみたが、誰も手を挙げない。しばらくしてまた尋ねてみたが、誰も手を挙げない。数ヶ月後、また尋ねてみた。すると、1人の新人男性社員が手を挙げた。彼はかつて友人に障害のある人がいたらしく、「やってみたい」と言ってくれたのだ。
やがて、1人が2人、また1人と増え、現在では6名が委員となり、障害者2名を日々サポートしている。
妻で同社取締役でもある岩崎美保氏は当時のことをこう振り返る。
「社長が障害者雇用をしたいと言うのを聞いて、『無理なんじゃないの』と思いました。特に根拠はなかったけど、当社ではできないだろうと思っていました。でも、1人の社員が手を挙げてくれた。そうしたら、その社員を助けてあげなきゃという気持ちが起こったんです。」
障害者雇用委員会を立ち上げたものの、実は何をやっていいのかはわからず、手探りでの模索がつづいた。中小企業家同友会の勉強会に参加したり、施設や障害者を雇用している企業を見学したり、また、社内で講習会をやったり、実際に雇用されている方達に質問をしたり。結果的に、この時期は、その後の障害者雇用に必要な知識や情報を自然に身に着けることに役立った。
約8ヶ月後、社員の中に「障害者雇用を始めても大丈夫かも」という意識ができたところで、最初のAさんの受け入れを行った。
委員会では、適宜、ミーティングを行って、本人達の態度や状況を確認し合い、課題の発見と、どのようなサポートをしていくのか、どのような対応をしていくのかを検討している。そのような地道な積み重ねは、社員の意識を高め、障害者やもっと大きな社会について深い理解をもたらしているようだ。
2.取り組みの概要
(1)障害者の現状
現在、2人の知的障害者を雇用しているが、こと仕事での大きな心配はなくなり、また、他の社員たちとのコミュニケーションについても不安はないと岩崎社長は認識している。
まず1人目のAさんであるが、これまでの2年の業務経験で周囲の人々とのコミュニケーションに慣れてきて、社内では皆と仲良く働いている。また、前述したように、仕事内容は、発泡スチロールの廃棄物を処理機械を使って加熱凝縮する工程だが、1棟の作業を1人で担当している。現在では特に指示する必要もなく、仕事に関しては全く問題はない。
もう1名のBさんは、業務には問題ないが、物事へのこだわりが非常に強く、指示を伝えても行動パターンをなかなか変えられないという課題が見えてきた。ひとつ解決しても、また課題が見えてくるので、長いつきあいが必要だと同社では考えている。
「当社が恵まれているのは、施設との関係がよく、いろんなサポートを得られること」と岩崎社長は語る。
(2)雇用当初の取り組み
委員会の学びにより自信がついたとはいえ、雇用当初は模索が続いた。例えば、本人とのコミュニケーションがスムーズにいかなかったので、「交換日記」を作った。仕事について、本人が感想を書き、それに対して障害者雇用委員長がコメントやアドバイスをした。しかし、それほど時間を経ずに本人も打ち解け、今では普通に会話することができる。それによって交換日記の役割も終わった。
1人目を雇用してしばらくは、社員の為の「ルールづくり」を行った。社内のあちこちに「作業のやり方」等を書いた紙を貼ったり、「大声で怒ってはいけない」といった注意事項をメールで送信したりすることもあった。しかし、これも交換日記と同様にいつの間にか必要ではなくなり、やめてしまった。
(3)障害者を取り巻くコミュニケーションの輪
当社の大切なことのひとつは、障害者を取り巻く方々とのコミュニケーションである。まず、施設との関係作りである。障害者の受入れを行う前に、施設側との関係を密にして、会社の内容もよく理解してもらうこと。その関係ができた上で雇用を行ったので、スムーズに物事が進むし、雇用後も適切なサポートをしてもらえる。
「実際に周囲の方に聞いても、必要な情報がなかったり、相談できる人がいなくて、障害者雇用をあきらめるケースがある」と岩崎社長は語っている。
次に、家庭とのコミュニケーションである。2人の入社以降、彼らの両親に会社に来てもらい、働く様子を見てもらった。両親にも仕事や会社についてよく理解してもらう必要がある。一方で、その機会に両親からいろんな話を聞かせてもらうことも大切である。最近何があったかを知ることで、職場での対応方法や言葉の選び方も変わってくる。現状を把握し、本人のことをよく理解することが重要であるし、その情報を施設や支援機関と共有することで、本人の成長や変化を皆で認識できることに繋がる。
3.今後の課題と展望
(1)今後の課題
現在2名の雇用だが、「これ以上、人数は増やせない」と、岩崎社長は考えている。
その理由は、「障害者に職場を提供するだけではなく、生活支援まで行い、一生つきあっていこうと思っているので、何人も雇用していくわけにはいかない」と社長は言う。
例えば、先日、障害者雇用委員長の社員が「A君は親御さんが亡くなったら、どうなるんでしょうか?そういう時、会社は何ができるんでしょうか?」と話したという。障害者雇用が、社長だけではなく、社員の多くが更に長い視点で考えるに至っていることなのであろう。
Aさんは、社内ではコミュニケーションが取れるようになり、明るく働いているが、社外では途端に萎縮して、社外の人とはコミュニケーションがとれない。そこで、何処ででも大丈夫なように、本人達の自立をサポートすることができればと、同社では考えている。
Aさんは、最近、両親が離婚した。そのために、本人の精神的なケアと、さらに深く親御さんと連携を取る等、就労支援だけではなく、生活への支援がメインになっているとのことである。岩崎社長は次のように語る。
「このことは障害者だけの問題ではありません。社員それぞれに何か問題を抱えている場合があり、その時、必要があれば個人生活に立ち入る時もあります。家庭のことを知らなければ、適切な指導ができないケースもあるし、仕事だけの指導では解決しないこともあります。仕事も家庭も豊かであって欲しいと考えています。だから社員に対しても一生つきあっていこうと思っているし、障害者に対しても同じ気持ちでいるのです。」
(2)障害者雇用で得たもの
Aさんが最近、「みんなと仲良くなれてよかった」と言ったそうだ。
社長が障害者雇用についての講演を依頼された時、社員に「一緒に働いてよかったと思うこと」を尋ねてみた。そのとき、工場長がこう言ったという。
「障害のある社員と仕事をしていくうちに、『障害』って何だろうと考えるようになった。振り返ってみると、自分らは必ずしもいつも一生懸命働いてきたわけではない。時には理由をつけて仕事から逃げようとしたこともあった。それは自分の中にある『障害』なのかもしれない。そのことに気づくと、ひとつ、強くなれる。」
そして、障害のない自分の中にある『障害』に気づかせてくれる彼らは「会社の宝」かもしれない、とも語ったという。
同社取締役の岩崎美保氏は「障害者の為にというよりも、私達自身の為という意識がある。障害を持つ人への思いやりを持つことで、誰にでも思いやりを持ったり、やさしくなれたりするのではないか」と振り返る。
当社の障害者雇用には、多くの企業がそうであるように、目に見える工夫や構造物はほとんどない。その代わり、雇用前の学び、社内委員会の発足と継続、ルール作りや交換日記、それらが普通になってしまった後の社員意識の深まり。そして、一生つきあっていこうという決意と、様々なソフトの積み重ねとそこから生まれ育った企業文化が確かにある。
最初は障害者に職場を提供しようという思いから始まったのだが、今や「一生つきあう」というまるで同じコミュニティで支えあって暮らす人々のような関係性へと変貌してきた。その歩みを思う時、岩崎社長の社員になんでもオープンにして物事を進めようという姿勢こそがカギだったのではないかという気がする。
社内委員会の立ち上げがまさにそうである。無理に作らせたのではなく、手を上げる者が出てくるまで待ったのである。「自分だけではできないから」と、岩崎社長は語った。これは、障害者雇用を語る上で、重要な一言である。
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