地域の輪(和)が生んだ、適材適所のマッチング
- 事業所名
- 株式会社 サカタのタネ 君津育種場
- 所在地
- 千葉県袖ヶ浦市
- 事業内容
- 野菜の育種および新しい品種や育種技術の開発
- 従業員数
- 全社:639名(君津育種場:79名)平成25(2013)年8月現在
※全社の639名は正社員のみであり、パート社員は含まれていない。 - うち障害者数
- 全社:12名(君津育種場:3名)平成25(2013)年8月現在
- (君津育種場の内訳)
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚障害 1 農場運営の補助(除草、堆肥作り等) 肢体不自由 内部障害 知的障害 2 農場運営の補助(除草、堆肥作り等) 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
1. 事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の内容
千葉県袖ケ浦市、小櫃川と館山自動車道を見下ろす美しい丘陵の中に、平成25(2013)年6月に創業100周年になる「株式会社サカタのタネ」の君津育種場がある。10ヘクタールに及ぶ広大な農場は、昭和46(1971)年の開設以来、野菜の新しい品種を開発してきた輝かしい歴史があり、現在もトマト、ダイコン、ハクサイ、コマツナ、ホウレンソウ、チンゲンサイ、オクラ、ミズナ、ソラマメといった野菜を、露地とビニール・ハウスで栽培している。農場の中央にある2階建ての本館のほか、分散した平屋3棟の作業ハウスがあり、主として研究開発に従事する46名の正社員・嘱託社員などのほか、30名のパート社員(多くが女性でほぼフルタイム勤務)が品種改良に不可欠な交配や栽培管理の作業に従事している。
青果物の生産を目的とする通常の農家と異なり、優良な種を選抜するための厳密な交配試験を行うため、膨大な数のラベルを必要とするほか、堆肥づくり、除草といった「試験を実施する条件整備のための作業」が当農場の運営に重要な意味を持っている。「こうした農場運営のための補助作業を、3名の障害者が一手に担っている」といっても過言ではない。
「除草」「堆肥づくり」「ラベルの整理」といった作業は、年間にわたり毎日繰り返される終わりのない仕事である。しかも相手は広大な農場であり、雨が降ると翌日にはすぐ雑草が生えてくるといったように、天候を見ながら作業内容を変え、現場の要求に応えなければならない。1日でも中断すると現場に支障の出る厄介な仕事でもある。特に交配を行う社員及びパート社員にとっては、3名の障害者は重要なパートナーである。堆肥作り、除草の出来栄えが交配作業の能率に影響を与えるからである。そのため、この作業に従事する彼ら3名は、無意識的にせよ「社員、パート社員の皆さん達に喜ばれる存在でありたい」と願っている。
(2)障害者雇用の経緯
当社は全社でみると法定雇用率を満たしていない企業であるが、8年ほど前(平成17(2005)年)から障害者雇用の取り組みを行ってきた。平成17(2005)年の初め、当社の本社では、各事業所に対して障害者雇用に取り組むよう指示を与えるとともに、本社総務部が千葉県幕張メッセで開催された合同面接会に参加したが、結局のところ成果が得られないままに終わってしまった。障害者雇用に対するアピールが不足していたためか、来て欲しい候補者が見つからなかった。
当事業所の障害者雇用は、本社からの指示もあったが、事業所として独自に進めてきた。現在雇用している3名の障害者は全員が地縁での採用であり、いずれも入社以来、継続して雇用している人達である。
最年長(50歳代、男性)で聴覚障害のAさんは、平成14(2002)年に地元の方から要請があって採用したものである。当時は障害者雇用という意識ではなく、通常のパート職採用として要請に応じた。
次に、平成17(2005)年に採用した知的障害のBさん(20歳代、男性、重度)は、母親が当事業所の前場長と知り合いであったことから相談を持ち掛けられ、一旦、当地域の障害者支援事業所である社会福祉法人祐啓会「ふる里学舎しぜん工房」に訓練のため通所、同支援事業所の支援を受けた後に、改めて当事業所にパート職として採用になったものである。
3人目のCさん(20歳代、男性、重度)については、当初から障害者雇用を意識した上で、平成20(2008)年に同「ふる里学舎」からの推薦を得て、パート職として採用した。
当事業所としては、いずれのケースについても障害者を「農場運営のための補助作業」要員として採用する方針を持って臨んでおり、現在では、後述するように彼らがその期待に見事に応える結果になっている。そのため、昨年(平成24(2012)年)、当事業所では彼らの雇用形態をパート職から嘱託社員に引き上げ、定年までの雇用で、ボーナスを支払うなどの正社員に準じた待遇に改めた。
2. 取組みの内容、効果
(1)取組みの内容
当事業所にとって「農場運営のための補助作業」は、以前はパート職の仕事として位置付けられていた。それが3人の障害者の出現によって嘱託社員の仕事に格上げされたということは、「その業務自体が再評価された」と言ってよい。実際、これまでこの職務に就いていたパートさんが長続きしないことがあり、その度に現場の作業に影響が出るなど、当該業務自体が安定性を欠いていたからである。ところが3人の障害者はほとんど休むことがなく、しかも、一週間先の天候等を読んで前向きに仕事を進めてくれるため、現在では彼らの役割が事業所の年間運営サイクルに完全に組み込まれるまでになった。しかし、その様な状態になるまでには、本人達の努力もさることながら、周囲の人達による地道な取組みと努力があった。
- 障害者支援事業所の取組み
まず、当事業所に2人の若い障害者を送り込んだ「ふる里学舎」の取組みである。「ふる里学舎」が初めて当農場を訪れた時、当事業所から言われたことは「(仕事はバリバリできなくとも)障害者がここで働く社員さんやパートさん全体の潤滑油になればよい」ということであった。そこで「しっかりと挨拶ができ、ほうれんそう(報告・連絡・相談)ができること」を条件に人選した。採用された2人はいつどんな時でも笑顔を絶やすことのない、明朗で明るい性格である。そのため、足掛け8年ほどにもわたり、女性の多いパートさんの間でも「愛される存在」になっている。
彼らの採用までには、「ふる里学舎」からジョブ・コーチの資格を持った専門職員を付けて2週間の実習訓練を行い、採用後も3~4ヶ月間は事業所と協働して職場定着へ向けて支援を行った。同時に、以前から彼らを熟知している担当者が、最初の2ヶ月は週1回、3ヶ月以降は2週に1回というように、「(彼らが現場に)受け入れられたな」と思えるまで、徐々に訪問回数を減らしながら訪問を重ねることで、彼らが新しい仕事に馴染んでいけるよう見守った。
職場環境と障害者とのマッチングを考えて結び付ける「ふる里学舎」のような支援機関の存在が、当社における継続した障害者雇用への一助となったことは間違いないであろう。 - 事業所側の対応
次に、事業所側の対応である。当事業所では業務組織上、障害者3人の指導は当社を定年退職した後に再雇用された嘱託社員に任されている。彼らは場長の下で、日常における仕事の指示・命令、雇用管理までの一切を担当してきた。彼らによって事業所側の教育訓練も成功を収めている。特に、採用後の「ふる里学舎」の支援を経た後も、事業所側は障害者に過度な期待を掛けず「とにかく飽きずにやってもらえれば良い」という覚悟で辛抱強く一つ一つの作業を教えていった。このような地道で熱心な取組みが、障害者が長く勤務する現在の職場環境を作り上げてきたといえるであろう。
障害者達の勤務時間は、パート社員と同じで夏場は朝8時から午後5時5分まで、冬場は朝8時から午後4時半までであり、昼1時間の昼休みのほか、午前10時と午後3時にそれぞれ10分~15分の休憩をとる。
前回訪れた時は、暑い日盛りの中で除草作業を行っていた。2人の若い知的障害者は常に一緒に行動しており、Cさんが刈った草をBさんが集めて手押し車で捨てに行くという作業である。聴覚障害者であるAさんは、2人とは離れたところで、一人草刈り機を操作して除草作業にあたっていた。その時、彼らを見守る監督者の影は無い。障害者達はそれぞれ自分自身の仕事を自ら計画して自主的に進められるようになっているからである。
取材の日には、Bさん、Cさんの2人は、公道から事業所に至る急な坂道の中程で、側溝の途中にある排水溝ピットの清掃をしていた。シャベルの先には濡れた大量の枯落ち葉が山盛りになっていて、ピットの中から枯落ち葉をかきだしているのが見て取れた。何をしているのか尋ねてみると、「皆が週末に台風が来ると言っているので、側溝があふれて道路が浸水しないよう、(ピットの中にある排水口を塞いでいる)落ち葉を取っている」とのことであった。更に、誰に指示されてやっているのか尋ねてみたところ「以前大雨が降ったときあふれていたから‥。あとで○○さんに報告しなければ」との返事が返ってきた。
つまりBさんの頭の中には数日先の姿が見えていて、上司から指示された事柄から一歩先を読んで自主的に問題解決を図る態度が身に付いているのである。これらのことから、「彼等には当日やるべき仕事について、相当な裁量権が認められている」こと、および、「裁量で行った行為には必ず報告することが習慣として身に付いている」ことがうかがえた。
(2)取組みの効果
知的障害者であるBさん、Cさんの2名は、いずれも朝20分かけて自宅から自転車通勤しており、雨の日など危険が伴う場合には、家族が車で送迎する。その結果これまで無欠勤で通している。
「農場運営のサポート」という彼らの仕事の内容は、年間サイクルで季節により内容が変わる。春から夏にかけては雑草がはびこらないよう除草剤を散布する等、生えた雑草の除草作業が中心になる。その合間に、主として牛の糞を原料とする堆肥作りが入る。秋から冬にかけてはラベルの作成・整理や農機具の整備などのハウス(屋内)作業が中心となり、雪の降った時は雪かきが大変な作業になる。エリアが広いので作業量は膨大になり徹底を期するのは容易でない。しかし、外から当農場に一歩踏み込むと、ゴルフ場に来たような爽やかな気分になるのは、雑草らしきものが目に入らず、土の色が鮮やかに映るからであろう。通路は土ぼこりがなく清掃され、両側の植栽もきれいに刈られている。
彼らの仕事振りが事業所側からの強制によるものではなく、自ら積極的に取組んでいることは「頑張り過ぎて熱中症にならないよう、充分休憩をとらせるよう気を付けている」という場長の言葉からも見て取れる。場長は彼等に会うと必ず声を掛け、顔色や体調を気づかう。知的障害者の特性として、心身の不調があっても不調の状態を自覚できていなかったり、質問されても上手く表現をして返答できないことがあるからである。
彼らに「どの季節が一番好きか?」と訪ねると、少し首を傾げ、「冬以外」という。「ふる里学舎」では、事前に彼らに農業の職業訓練を施したり等特別の教育をしてはいないので、自然に触れる屋外作業が気に入っているのは生来のものであろう。
彼らの指導・教育にあたっている担当者に話を伺うと、「仕事を覚えてもらうのには辛抱が要ります」とうなずくばかりであった。裏を返せば「辛抱強く教えれば必ず応えてくれる」ということであり、一端に満足感がうかがわれた。
3. 今後の展望と課題
当事業所はこれまで、「(障害者には)障害のない者と同等の働きは求めていない。(障害のない者であれば飽きてしまうような)同じ仕事を根気強くやってもらえればよい」と、努めて障害者に過度な期待を掛けないようにしてきたという。「本人達には元気で働いてもらっており、親御さんに喜んでもらえるのが何よりです」という場長の言葉からは「障害者雇用は企業としての社会的な義務である」という責任感がうかがわれる。
その上で、昨年彼らをパート職から嘱託社員に引き上げた。「元気で働いてもらっている」だけではなく、戦力になっていることも見逃せない。嘱託社員に引き上げた時、その他のパート社員の一部から「これまでと仕事の内容が変わらないのに、なぜ嘱託の待遇にするのか?」と疑問の声が出た。しかし「それは『当社が障害者雇用の責任を果たしていることを示すためである』とよく説明したところ、彼女等の不満は解消した」とのことである。
しかし、単なる社会的責任のみでなく、事業者側が彼らの仕事の成果に満足していることは明らかである。他の嘱託社員とは若干額は異なるが、年間2回の賞与を支給し、何より、「定年までの勤続を保証した」のである。彼らの将来に何らかの期待を掛けているに違いない。ただし、彼らの将来については、雇う側も未知数のようである。定年までの長い間、今と同じ状態で勤務が続くことが望ましいが、年齢が高くなっていくと困難になることも考えられる。若いBさんやCさん達の頭の中に描かれる、将来の自分の姿は、当育種場の未来の姿がそれを決めることになるであろうことは想像に難くない。
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