継続は力なり-地域に根ざした障害者雇用-
- 事業所名
- 株式会社サンレデイ
- 所在地
- 福島県福島市
- 事業内容
- 婦人服縫製業(婦人服、ジャケット、コート)
- 従業員数
- 164名
- うち障害者数
- 5名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 1 アイロン作業 内部障害 知的障害 4 裁断作業、印づけ・テープ貼り、縫製加工(裏返し) 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
![]() 事業所外観
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1. 事業所の沿革と事業内容
株式会社サンレデイは昭和40(1965)年4月に創業者の渡辺定男氏が福島市飯坂町中野に輸出向け縫製業の工場を新築し、従業員17名の個人企業「飯坂縫製」として創業したことに始まる。その後、従業員の増加に合わせて順次工場を増築し、昭和52(1977)年4月に現在地に移転し、社名を飯坂縫製から株式会社サンレデイに変更し現在に至っている。その間、平成3(1991)年4月には、重度障害者多数雇用事業所の認定を受け、現工場の建設計画に着手し、平成5(1993)年4月に現工場が完成した。
当社は資本金4000万円、従業員164名(うち海外研修生20名)で、その中に5名の障害者が雇用されている。事業内容は、ジャケット、スーツ、コートといった婦人服を縫製している。
2. 障害者雇用の概況
(1)障害者雇用の経緯と事業所の基本姿勢
当社では、昭和40(1965)年の創業以来、創業者の渡辺定男氏が障害者雇用に積極的に取り組み、最盛時には10数名の障害者を雇用していたが、現在は5名の障害者が正社員として縫製作業に従事している。いずれも勤続20年を超えている。会社が障害者を雇用した歴史は古く、創業者の「障害者も地域で生活していくべきである」との考えのもと、障害者を積極的に採用し、またこれまで地元の養護学校の現場実習の受け入れ先としても地域に貢献してきた。5名の障害者は現在では会社にとっては無くてはならない人たちばかりで、会社にとっては大きな戦力となっている。それは、障害者を一人一人の特性や能力に合わせて、適材適所で仕事に就かせているためである。長期にわたる雇用が維持できている理由には、創業者の理解もさることながら、同僚社員や地域の人々の理解と協力が大きな支えになっている。地域に根ざし地域に愛される会社を目指して、地域の中で障害者と共に生きる共生社会の実現を会社のミッションとして掲げていることが特筆される。
(2)障害者雇用の概況
平成25(2013)年9月時点の当社における障害者雇用の概況は表のとおりである。5名(男3名、女2名)のうち、1名が肢体不自由者(下肢障害)で残り4名が知的障害者(うち重度2名)である。年齢構成は39歳から61歳までで平均年齢は44.4歳となっている。勤務年数は短い人で20年、長い人で23年となっており、平均勤続年数は21.2年となっている。仕事の内容は、全員が縫製部門で縫製加工や印付け、裏返し、アイロン作業に従事している。表からも分かるように雇用者の高齢化に伴い、若手の補充、世代交代が当面の課題になっている。
性 | 年齢 | 障害の概要 | 部署 | 業務内容 | |
---|---|---|---|---|---|
A | 男 | 40 | 重度知的障害(勤続21年) | 縫製 | 裁断作業 |
B | 男 | 40 | 軽度知的障害(勤続21年) | 縫製 | 裁断作業 |
C | 男 | 40 | 軽度知的障害(勤続21年) | 縫製 | 印づけ・テープ貼り |
D | 女 | 39 | 重度知的障害(勤続20年) | 縫製 | 縫製加工(裏返し) |
E | 女 | 61 | 肢体不自由(勤続23年) | 縫製 | アイロン作業 |
(3)雇用に際しての会社の理念と配慮
当社では、障害者の雇用に際して特別な理由(崇高な理念)があった訳ではない。現社長の「地域で仕事を必要としている人がいて、その能力があるのならば障害があっても構わない」といったごく普通の考えのもとで障害者を雇用し今日に至っている。
作業内容に際しても特段の配慮がなされているわけでもなく、ごく普通の対応がなされている。強いて挙げれば、車いすでも作業がやりやすいように作業台を工夫したり、段差を無くしたり、身体的負担にならない軽い製品を扱ったりさせている。安全面ではカッターナイフの使用に気を遣う程度だということであるが、実際はほとんど問題になってないということであった。
「障害者」を敢えて意識しないことは障害者雇用でとても重要なことで、雇用に至る経緯はともかく、たまたま結果として5名の障害者が就業しているだけである。会社も障害者だとの認識はほとんどなく、何よりも「普通の同じ社員」だと見ているのである。障害者として見るのではなく、障害のある「ごく普通の社員」として見ているのである。これは他の従業員にも言えることで、同じ社員であることには何ら変わりはなく、ことさら障害や障害者を特別視する必要はないのである。
会社全体で障害者を特別視することなく、ごく普通に対応していることが障害者本人の仕事への自覚と就労意欲を高め、それが長期の雇用維持につながっているといえる。また会社を訪問取材して強く感じたのは、就労を支える家族や会社・同僚の細やかな支援である。これが就労を可能にし、その持続を支える大きな鍵になっていると思われる。
- 適材適所
工場内を見学させてもらって、外見上は誰が障害者なのか全く分からない仕事ぶりである。障害者の具体的な仕事内容としては、危険を伴わない、しかも体力を必要としない、アイロン作業、テープ貼り、縫製加工(裏返し)である。言うまでもなく、「仕事に人(障害者)を合わせる」のではなく、「人(障害者)に仕事を合わせる」ことが肝要である。
障害者雇用で大事なことは、障害者は仕事ができないのではなく、できる状況におかれていないからである。できる状況に置いてあげれば、仕事はできるのである。したがって、障害者にできる仕事は探せばいくらでもあるのである。要は姿勢の問題である。
- 清潔・衛生面での配慮(防汗・防臭対策)
当社は会社のほとんどが女子従業員で占められているため、特に夏場などは工場内の従業員の汗の臭いなどに非常に敏感になる。ところが男性障害者の中には汗をかいたまま着替えを怠ったり、体臭への配慮をしなくて、他の従業員に嫌がられることがある。そこで会社では独自に洗濯機を用意して会社内で洗濯させ、その都度清潔な服と着替えさせるなどして小まめに防汗・防臭対策(指導)を講じている。
本ケースの場合は家庭での保護者の対応にも問題があり、家庭で適切な指導が受けられないために、その分を会社でカバーしている。こうした指導や配慮により、周囲の仲間(同僚)から嫌われたり、疎外されたりすることもなく、良好な職場環境が保たれている。
本来は家庭で指導されるべき日常生活の基本的習慣も必要に応じて会社で指導されており、こうした細やかな支援が雇用の維持につながっている。
- レクレーションや余暇活動
障害者の職場定着を図るためには単に仕事に従事する(働くこと)ばかりではなく、日頃からの従業員との付き合い(親睦)やレクレーション活動への参加も重要な要因となる。
当社では、忘年会や会社の慰安旅行等にも他の従業員と同様に参加しているが、宿泊を伴う場合は部屋を会社の女性管理者と同室にして一緒に宿泊する等の配慮がなされている。そうすることで、障害者の不安を解消し、必要に応じて日常生活の細やかな指導ができ、安心して楽しい旅行や活動への参加が可能になっている。こうした配慮や指導が、会社で働くことの喜びや就労意欲の向上に繋がっている。
3. 就労に必要な資質と家庭の協力
会社での聴き取りで痛感したことは、障害の有無に関係なく、仕事への「意欲」「熱意」、「明るい性格」と「協調性」、それに「根気・忍耐」がとても重要であるということである。
そのためには、幼い頃から家庭教育や学校教育で、「コミュニケーション力」「挨拶」「集団活動」や「対人(仲間)関係」といった基本的生活習慣やソーシャルスキルを身につけておくことが重要である。つまり、人としての「生活の基本」がきちんとできていることと、コミュニケーション力を身につけておくことが、障害の有無や職種を超えて、すべての職業人に必要とされる共通した人間的資質といえる。こうした資質を身に付けさせるためには、家庭教育や学校教育で成功感や成就感・達成感を多く与え、日頃から絶えず称賛して自信を持たせてあげることがとても重要である。
障害者の就労を維持していくためには会社内の雰囲気や温かい人間関係、家族、上司や同僚、周囲(社会)の人々の理解と協力が不可欠である。障害者自身も同僚との協調性に富み、余暇時間やレクレーション活動等にも積極的に参加するなど、仕事以外の場においてもごく普通に参加していく必要がある。そして何よりも、障害者本人の自覚と就労意欲である。要するに障害者本人には、就労に対する「自覚」と「厳しさ」が、そして周囲の人にはそれを支える配慮と「優しさ」が必要である。
4. 求められる発想の転換-援護就労に学ぶ-
文明の発展と文化の進歩のためには様々な分野において発想の転換が求められるが、障害者雇用には特にそれが求められる。固定観念にとらわれることなく、新しい見方や考え方をすることによって、新たな境地が拓けてくるのである。
その代表的なものが昭和55(1980)年代に米国で始まった「援護就労(Supported Employment)」の考え方である。援護就労とは、これまで不可能とされていた重度障害者の就労を可能にした画期的な制度である。この制度の特長は、授産施設や作業所といった隔離された場所におけるそれまでの就労の形態を、自分たちの住む地域社会の中で自分が選択した仕事に就き、給料を得てごく当たり前に地域で暮らしていく、という就労の形態へと転換したことである。実はこうした生活は、障害者やその家族にとって長年の夢であったわけだが、その夢の実現を可能にしたのは思い切った発想の転換によるものであった。
米国でも長い間、障害者の就労は「訓練して就職させる」という考え方・方法を取ってきた。要するに、「仕事ができるようになってから就職させる」という方法である。しかし、この方法では重度障害者はいつまでたっても就職出来ず、結局は空振りに終わってしまうのである。
そこで思い切って発想を転換して、就職できないのであれば、指導者(ジョブコーチ)が障害者と一緒に就職し、一緒の仕事をし「職場で障害者を支え、職場に定着するまで指導する」というやり方に変えたのである。つまり、先ずは「就職して、そこで訓練する」という方式に変更したのである。こうした発想の転換によって、以前ならば不可能と思われていた重度障害者が自ら就労し報酬を得ることができるようになったのである。
それを可能にしたのは障害者中心の発想に変えたためである。つまり、障害者を「サービスの受け手(仕事のできない人)」としていた従来の考え方(固定観念)を変えて、自ら仕事を選択して仕事に就き、「地域で生き、社会に貢献できる人」と位置づけ、そのための支援体制を整備し、それをものの見事に実証したのである。
米国では援護就労の制度がスタートした直後の平成2(1990)年には「障害のある米国人法(ADA)」という歴史的な法律が誕生し、障害を理由にした雇用の差別が禁止された。ADAの署名式に臨んだ当時のブッシュ大統領はホワイトハウス庭園での演説で、「アメリカは我々の仲間である障害のある人々が社会の表舞台に合流することを歓迎する」と高らかに宣言した。こうした先進的な制度や法律を生み出した背景には、それを受け入れる土壌と国民的合意があったことは見逃せないが、それにしても米国社会の柔軟さ、懐の広さ、偉大さを見せつけられた思いがする。
しかし、米国の障害者にできたことが日本の障害者にできないことはない筈であり、米国で実行できたことが日本で実行できないこともない筈である。要は、我々が障害者の側に立った発想をするか否かであり、そして何よりも真剣に取り組む姿勢があるか否かである。そこで今我々に求められていることは、こうした思い切った発想の転換であり、その一つのモデルを提示してくれたのがこの援護就労である。
今回の株式会社サンレデイを始め、これまで筆者が訪問したモデル企業に共通して指摘できることは、ジョブコーチの役割を持った人がそれぞれの会社にいて細やかな支援を行っているということである。そして「適材適所」で障害者一人ひとりに合わせて仕事が用意されているということである。会社の規模の大小や障害の軽重に関係なく、障害者の就労は可能である。要は、障害者雇用に対する会社の姿勢次第である。「方向」が決まれば、「方法」はいろいろとあるのである。
最後に、「障害者に立ちふさがる最大の障壁は、彼らの障害にあるのではなく、社会の人々の態度にある」ということを、改めて肝に銘じておく必要がある。
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