家族を超える愛情で障害者を守る-家庭にある仕事は、だれでもできる-
- 事業所名
- 株式会社五浦観光ホテル
- 所在地
- 茨城県北茨城市
- 事業内容
- 旅館業
- 従業員数
- 88名(平成25(2013)年3月末現在)
- うち障害者数
- 4名(平成25(2013)年3月末現在)
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 1 内部障害 2 知的障害 1 食器洗浄 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
![]() 五浦観光ホテルの外観
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1. 事業所の概要
茨城県北茨城市にある株式会社五浦観光ホテルは、「関東の松島」の異名を持つ景勝地・五浦海岸にある。明治時代に岡倉天心が思索の場所として自ら設計したものとして有名な「六角堂」から100mと離れていない。
1万坪の敷地の一角に数寄屋造り・2階建ての「和風の本館」と鉄筋10階建ての「別館大観荘」と、風情の違う2館が隣り合わせに建っている。創業は昭和11(1936)年、2館を合わせた部屋数は100室に達する大型老舗ホテルである。
2. 障害者雇用のポイント
(1)雇用のきっかけ
当社には現在(平成25(2013)年3月末)、肢体不自由者と知的障害者が各1名、重度の内部障害者が2名在籍している。今回紹介するのは、知的障害を持つ女性のAさんである。雇用のきっかけは、近くにある特別支援学校の教師の熱心な訪問であった。
当社は、日本伝統の茶道の心を大切にし、一期一会の精神でお客様の「お・も・て・な・し」をしているが、従業員のこともお客様と同じように大切にしている。これを証明した事例が平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災後の従業員に対する対応である。
当社も甚大な被害を受け、特にホテルの生命線ともいえる大浴場が被災して、ほぼ5か月間休業を余儀なくされた。多くのホテルがやむを得ず従業員の解雇に踏み切ったが、当社はひとりとして解雇することはなかった。
当然のように弱い立場の障害者雇用にも理解は深く、これまでにも特別支援学校を卒業したばかりの知的障害者を2名雇用したことがある。定着のための相当なる努力を続けたが、このときは残念ながら定着しなかった。家庭、学校という温室からいきなり外界に飛び出した感じであり、寮生活、会社、社会と目まぐるしく環境が変わりとまどいもあっただろうし、好むと好まざるとにかかわらず社会の渦に巻き込まれてしまった人もいた。また、会社の本当のよさは「石の上にも三年」働いてみないとわからないが、「隣の芝生は青くきれいに見えてくる」ことが多く、定着させることはできなかった。
このような事案が起きると、「障害者の雇用はもうこりごり」という企業が多い。しかし、当社は違った。10年前(平成15(2003)年)、特別支援学校卒業のAさんの話があったときは、2名の知的障害者が退職した後だけに、同じ轍を踏むのではないかと、一抹の不安が心をよぎったものの、特別支援学校の教師の熱心さにほだされ、二つ返事で引き受けたのである。
(2)家庭にある仕事は誰でもできる
「障害者に向いた仕事がない」という企業が多いが、「ほとんどの会社には、知的障害者でもできる仕事は必ずある」と、山下支配人は言う。「例えば、知的障害者も家庭の仕事は手伝っていると思うが、ホテルの中には家庭と同じ仕事がたくさんあり、家庭でできてホテルでできないはずはない」とも言う。ベッドメーキンングを含んだ室内清掃、洗濯、食器洗い等は、家庭の仕事と基本は同じである。また、障害者を受け入れるに当たって特に設備の改善をする必要はなかった。
ベッドメーキンングは多少のコツは必要であるが、1か月ほど他の人がやるところを見ていれば自然とできるようになる。食器洗いは、家庭と比べると量も多いし、陶器の割れに十分注意しなければならないが、軍手をしていればケガは防げる。ちなみに軍手はブラシを使うより汚れはきれいに落ちるとのことである。
(3)定着のポイント
Aさんは、これまでも退職の危機はあったが、山下支配人、鈴木係長、同じ職場に働く仲間たち、特別支援学校の教師等、多くのみなさんが次のとおりいろいろとバックアップし、いくつもの関門を乗り越えることができた。なお、Aさんの採用から10年が経ち、これまでのみなさんの努力が評価され、当社は、平成25(2013)年に障害者雇用優良事業所として独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構理事長努力賞を受賞した。Aさんと共に過ごしてきた10年間の悩み、悲しみ、喜びを考えるとき、「努力賞」はいかにもふさわしい賞であるといえそうである。
- 同じ職場に働く仲間の協力
Aさんは、2歳の子供を抱えながら大家族を支えており、精神的、肉体的な負担は大きいものがある。時には「隣の芝生」ということで他の会社に心を奪われそうなときもあったようである。しかし、これを乗り越え10年という歳月を刻み続けることができたのは、Aさんの努力もあったが、「今度こそは、何とか定着させたい」ということで、同じ職場で働く障害のない従業員と賃金をはじめとして、すべて平等にするよう支援を続けてきた山下支配人、鈴木係長、また、同じ職場に働く仲間の協力があったからこそである。
- 支配人、係長が体を張ってカバー
障害のない従業員と賃金を同じにしたことについては、同じ職場で仕事をする人たちから「仕事の能力が自分たちに及ばない人に、なぜ同じような賃金を支払うのだろう?」と、時には反発もあった。また、子供が小さいため熱を出すこともあり、病院への送り迎えで遅参、早退、欠勤が多い時期があった。これについては、従業員のみなさんと、とことん話し合う場を設けて、理解を得るようお願いし協力を得てきた。
しかし、5人の職場でひとりに頻繁に休まれては、一緒に働く人たちの肉体的な負担は大変なものとなる。これにはさすがの支配人、係長も困り果てて、71歳になる支配人や係長がピンチヒッターとして現場に出て、食器洗いの手伝いをすることもあった。まさに体を張ってひとりの障害者を守り続けているのである。
しかし、いつまでも職場のみなさんに負担をかけてばかりはいられない。Aさんの家族の中には日中自由にしている人もいるので、最近は家族に対して、本人ばかりに負担をかけないよう協力をお願いし理解を得るようにしている。
- 特別支援学校の教師のひたむきな努力
山下支配人、鈴木係長は、口をそろえて「特別支援学校の先生の努力は半端なものではない」と言う。特別支援学校の現場実習は、延べにして数か月行ったが、その間一日も休むことなく、毎日、教師が入れ代わり立ち代わり顔を出してアドバイスや激励をしてくれた。最初は不安が大きくいろいろとトラブルもあっただけに、これほどありがたく心強いものはなかった。また、現場実習をこれだけ長期間行うと、本人の得意なことや苦手なことがわかってくるので、受け入れ準備に万全を期することができたと言う。
なお、現在でも特別支援学校の教師たちとのお付き合いは続いており、学校専用の常設コーナー(写真)を設けて、生徒が作ったものを土産品としてロビー売店で販売している。
特別支援学校の生徒の作品を土産品として販売 - 安全対策
「知的障害者は、言われたことをすぐ忘れる。何をするかわからない」と誤解している企業が多く、特に安全面を心配する傾向が強い。しかし、知的障害者の特質として、覚えるまでに時間はかかるが、覚えてしまうと教わったことを忠実に履行するので、体で覚えてしまえば危ない行為を行うことはまずない。余計なことに手を出してケガをすることのある障害のない人よりは、よほど安全であると言う。
さらにホテルの場合は、お客様の安全が絶対条件であり、特に幼児や高齢者は思わぬ行動を取る心配がないとは言えないので、その対策も含めて徹底した安全対策が取られている。そのためホテル全体が安全であり、お客様は安全で従業員は危険ということはあり得ない。これまでも障害のあるなしにかかわらず、ケガをした人はいない。
- 教育
厨房内の仕事ではあるが、お客様と顔を合わせることもある。もっとも大切なこととして、全従業員に対して、挨拶を受けたお客様が思わず笑顔になるような挨拶をするよう教育をしている。具体的には、「先手で、はつらつと大きな声で、相手の顔を見て、笑顔をそえた挨拶」をするよう指導している。ホテルの従業員全員がこのような挨拶を心がけているので、Aさんも自然とすてきな挨拶を身につけているようである。
山本五十六の名言である「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」をだれもが挨拶で実践しているということである。
しかし、理解力や記憶力は、障害のない人に比べると低い傾向にあり、これがハンデキャップとなっている。このハンデキャップを克服するためには、同じことを根気よく繰り返し指導することが大切である。時間はかかるが、一度体に染み込ませるように覚えてしまうと、決して忘れることはない。覚えるまでの時間は障害のない人よりかかるが、覚えてしまえば障害のない人と同じということである。
- 何がハンデキャップで何が甘えかの見極め
入社当初は、頭痛、疲労で会社を休むことが多かったが、知的障害者は体力の弱い人が多いと聞いており、これを甘えであるとは思っていなかった。しかし、そのうちハンデキャップ部分が見えてくるようになり、同じように休む場合であっても、本当に病気や疲労で休もうとしているのか、単なるずる休みであるのかがわかってきた。何が甘えで何が甘えでないのかを見抜くことができるようになってきたので、これまでは優しさを優先させて接してきたが、時には厳しいことも言うようになってきている。
山下支配人も鈴木係長も永遠にAさんの面倒を見続けられるわけではない。いつの日か独り立ちしなければならないときがかならずやってくる。一日も早く自立してもらうためには、覚える速度が遅い等のハンデキャップ部分は致し方ないが、それ以外は本人のために厳しいことを言わなければならないのである。係長が厳しいと、Aさんは係長を避けて、別の人に相談したりするようである。しかし、八方ふさがりでは、本人を追い詰めることにもなるので、それはそれでよいと考えている。
食器洗浄作業をするAさん
3. 今後の課題と展望
(1)将来展望
- 旺盛なチャレンジ精神は楽しみな要素
Aさんは普通自動車の免許に何回もチャレンジしてきたが、残念ながら免許を取ることはかなわなかった。しかし、このようにチャレンジ精神は旺盛であり、この点は大いに評価できる。また、フィリピン生まれの、フィリピン育ちということもあり、タガログ語、英語、日本語を話すことができる。本人が自覚し、チャレンジしていけば新しい展開が生まれてくる可能性があり、大いに楽しみなところである。
- ありがたいトップとの信頼関係
障害者雇用で大切なことは、トップの理解の有無である。これを言い換えると、トップと障害者の雇用に関係している担当者との間に信頼関係があるかないかということになる。
当社の場合は、村田實社長と山下支配人、鈴木係長の信頼関係が厚く、村田實社長は障害者に関することは全面的に任せている。これは、障害者関係の仕事ばかりでなく、おふたりが村田實社長の信頼に応える仕事をしているためと考える。この信頼関係があるかぎり当社の障害者雇用の継続は心配ないだろう。
- 将来の生活設計
小さな子供もおり、生活の術(すべ)は、Aさんの双肩にかかっている。基本的には障害のない従業員とすべて同じ待遇であり、給与などで格差はつけていない。 このまま頑張ることができれば、定年は60歳であり、希望すればいずれは65歳まで雇用されることになるので、将来は安泰である。
Aさんには、小さな子供の養育のほか、家庭環境等いろいろと不安な要素はあるが、この10年を振り返ってみれば、あと10年、そのあと10年と、いくつもの山を乗り越えて成長していくことは十分可能であると考える。
山下昭良支配人(左)と鈴木寿美子係長山下支配人と鈴木係長の強力なコンビと職場の仲間が協力し合い、Aさんを支えるとともに、Aさん自身が自らの責任を一層自覚し、周囲の人に迷惑をかけないよう精一杯努力することは必要であろう。
これから続く歳月が、新たなAさんの真の独り立ちとなる養成期間となることを心から願う次第である。
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