中小企業でも積極的に障害者雇用を進めることの意義
~発達障害者、精神障害者の雇用に取り組んだ事例~
- 事業所名
- イワイ株式会社
- 所在地
- 福井県福井市
- 事業内容
- 事務用機器販売、アスクル通販
- 従業員数
- 27名
- うち障害者数
- 2名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 内部障害 知的障害 精神障害 1 営業企画 発達障害 1 総務、ホームページの運営担当 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
![]() 事業所外観
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1. 事業所の概要、障害者雇用のきっかけ
(1)事業所の概要
当社は「広坂タイプ商会」として昭和21(1946)年に石川県金沢市において創業。その4年後に福井店を開設し、昭和47(1972)年には社名を「イワイ株式会社」へ改称。平成4(1992)年に福井店を分社設立し、旧本社とはグループ企業の関係となり現在に至っている。業務内容は主にパソコン周辺機器の販売や全国に向けたオフィス通販を取り扱う、俗にいう「事務機屋」で、社員27名の中小企業である。
(2)障害者雇用のきっかけ
当社代表取締役の筆者は、これまで障害者雇用について自社の課題と考えていなかった。社員数50名以上の会社が法定雇用率の雇用義務を持つこと、できなければ障害者雇用納付金を納めること、そして納付している会社が多いという知識はあったが、当社を含め、世の中のほとんどの会社は障害者雇用を自社の課題として捉えておらず、その取組を行うきっかけにも恵まれていないのである。
ところが、私達は幸運にも理想的な会社を知ったのである。それは平成22(2010)年の9月、北海道で開催された法政大学専門職大学院の坂本光司先生のゼミ夏季合宿に社会人学生として参加した時のことだ。そこで多くの会社を訪問し勉強させていただいたが、その中で当合宿に参加した全員が一番と言う会社が旭川にあった。業務用のリネンクリーニングを主な業務にしている「北海道健誠社」である。そこでは、60名を超える障害者もそれを支える障害のない社員も、みんなイキイキと働いていたのがとても印象的で、キラキラ輝いていた。障害者の働いている会社は数多くあるが、障害の有無に関わらずイキイキと働ける職場はそんなに無い。また、彼らの仕事ぶりにも目を見張るものがあった。障害のある社員と私達訪問者で仕事の競争をさせて頂いたが、彼らは熟練されていて笑顔でバンバンこなしていき、私達は誰も太刀打ちできなかったのである。
この会社では、それぞれのできること・得意なことをしっかり見極めて業務配置されていた。身体に障害を持つ人は勿論、精神に障害を持つ人もそれぞれの特徴を活かして、できないこと苦手なことをみんなでカバーし、事故や問題が起きないように工夫されていた。社員達は自信たっぷりで、みんな褒めあっている。こんなことが現実にできるのだと胸に刺さる思いだった。また、業績も創業以来、連続増収増益を続けているとのことだった。この会社の考え方に共感して無条件で仕事を出して下さる心の豊かな沢山のお客様に支えられている一方で、お客様もこの会社に仕事を出すことで簡単に社会貢献ができている訳である。
この夏季合宿に参加し、この会社を訪問した誰もが、こんな会社になりたいと思ったのであった。
2. 初めての障害者雇用
初めて障害者雇用に取り組むにあたり、当社はまずハローワーク主催の障害者合同就職面接会に参加した。当社の面接コーナーに来られたのは10名程で、最終審査に残ったのは3名。そのうち2名は足が不自由な女性で大変優秀な人達だった。もう1名は、大学在学中に発達障害と診断され、卒業を諦めて中退したという男性だった。
採用の決め手となったのは、応援に来て頂いた金沢イワイ株式会社(旧本社)の一番の年長者である石村氏の「実力のある二人もいいが、せっかく育てるのだから将来の有る若者を採用すべきじゃないか」という意見が社内で共感を呼んだことだった。こうして若いYさんを採用することとなった。
しかし、社内での障害者雇用についての反対意見は多く、同意を得るまでには相当な時間を要した。「通常の業務でも忙しいのにこれ以上の負担は大きすぎる」というのが理由であった。その中で唯一採用すべきだと味方をしてくれたのは、社内で一緒に坂本ゼミ夏季合宿に参加した二羽氏で、このことは大変大きかった。一人でも社内に理解者がいるということは大変心強いものである。
そんな中、総務課の林係長が少しずつ歩み寄ってくれた。私は彼女に「貴女が今まで会社で頑張ってきたこと、これから定年退職までの仕事よりも、もしかしたら貴女にとって障害のある人を見守り、会社という場で育てていくことはどんな仕事よりも尊い仕事ではないですか?」「貴女がいつか死ぬ時に障害のある人を一生懸命育てて来たということは貴女にとって何ものにも代えがたい価値のあることとなるのではないですか、貴女が自分の子供を育てることと同じくらい価値が有ることでは無いですか」と話した。するとそれまで反対していた彼女が「やりましょう」と言ってくれたのである。涙がでるくらい嬉しかったのを今も覚えている。
彼女は一人の子供を持つ母親であり、社内では障害のある二人の社員達を一番に支えてくれている。彼女の理解がなかったら当社の障害者雇用は実現しなかっただろう。また彼女はこの経験により人間として大きく成長したと感じている。
3. 問題発生と成果
Yさんを採用したあとも、会社ではいろんな問題が起こった。彼は全ての問に「イエス」と答えてしまいがちであった。障害の特性から「ノー」と言い難いのだ。勿論このことは障害者就業・生活支援センター「ふっとわーく」の支援担当者から聞いていた。だが、このことを私達が正確に理解するのに一年かかった。この間、何かが起こるとご両親への連絡、相談をし、「ふっとわーく」の皆さんにも支援していただきながら、Yさんと当社は一つ一つの問題を乗り越え、それを経験として力をつけていった。このことは後述する二人目の採用にもつながることになる。総務課の林係長は「二人目の採用ができたのはYさんのおかげだ」と言っている。最初がYさんだったから乗り越えられた。これがYさんと私達の大きな成果だと思っている。
二人目の採用時は経理のできる障害者を募集した。身体障害者を想定して求人を提出していたのだが、紹介されてきたのは、前の職場で傷ついてしまった経験を持つ精神障害(統合失調症)のある女性だった。小さくて弱々しく実年齢よりかなり若い印象を受けた。当社の求めている人材と異なることは解っていての紹介だと思うが、当社の障害者雇用に対する考え方や経験値から、彼女を活かすことができると判断して託してくれたのだと思っている。
彼女の採用後にもいろいろなことがあった。彼女は毎日普通に仕事をしているように見えるが、実はとても気持ちが不安定だったのだ。ある日、業務日誌にぽつんと書いてある年齢より少し幼なげな彼女の字が目に留まった。そこには「毎日50錠の薬を飲むのが辛い」と書いてあった。そんなに無理して頑張っていたのだ。また、試用期間3ヶ月後に行った本人、支援団体のスタッフ、林係長、代表取締役の筆者での打合せの席で、彼女が泣いてしまったということもあった。「きっともう会社に残れない、解雇だ」と思ったからだそうだ。そんなことを考えていたのだと驚き、まだまだコミュニケーションが不足していたのだと反省したこともある。
いまも、調子が悪くなると1週間程休んでしまい、元気になると会社に出てくるということもあるが、障害者の二人を支える経験の積み重ねにより、強く優しくなった林係長が、彼女の体調に合わせて仕事の段取りを作ることで対応している。
後に本人から聞いたことだが、母親が一般企業の就職に反対したそうだ。「前の職場で傷ついてしまいとっても心配。傷つかないだろうか、ストレスにより病気が進行しないだろうか」と心配していたのだ。でも彼女は会社に就職したかったそうだ。そして今は「就職して良かった!何が良かったかというといろんなことはあるけれど職場のみんなと一緒に一生懸命働いてちゃんとした給料頂いて、ボーナスを頂いて役に立っているって感じる!とっても嬉しい」とキラキラと輝いて言っていた。
今も彼女は笑顔で頑張っている。傷つきやすいデリケートな彼女を頑張り過ぎないようにみんなで見守り、自分たちの仲間であり大事な子供だと思って大切に育てていくつもりだ。いつまでもどんなに休んでも元気で出社してくれることを願っている。
大きな失敗と反省もある。障害者雇用の経験がなく無知だったことから、障害者職業センターの皆様に辛い思いを押し付けてしまったのだ。ジョブコーチにオフィスのサポートに付いて頂いた時のことであった。障害者の真後ろにほぼ一日中ついていられるのを見た私達は最初「何て無駄なことをしているのだろう、あんなにすぐ側で見られたら誰でもプレッシャーに感じることが解らないのだろうか」と思ったのである。しかしそうではなかった。仕事に同席してもらうことは障害者の二人にとってはかけがいのない心の支えで、重要なことだったのである。このような環境の中で、冷たい視線に何も言わず障害者を支えている人のご苦労がやっとわかった。そんな現実も是非多くの人に解っていただきたい。強くて優しいセンターの皆様、本当にありがとうございました。
![]() 勤務の様子(左手前の2名)
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4. 障害者雇用で学んだこと、これからの取組
(1)障害者雇用で学んだこと
会社はまず社員が幸せになるためにある。幸せであり続ける為に存在している。社員とお客様、仕入先様、地域社会を含めて会社は幸せな人をより沢山作る器でなければならないのだ。だから当社の経営理念には『我が社に関わる全ての人々が幸せで在り続けることを目指します』と明記している。まだ理想だが、高い理想を掲げてみんなで頑張っていくつもりだ。一人ひとりが輝く星に成ることで暗い夜空も少しずつ明るくなり、いつの日か明るい天の川になってくれると信じている。障害のない者も、障害者も人を活かす経営という課題の元、輝く星に育てていきたい。障害者を採用することで学ぶことは数多くある。障害者は障害があるがゆえにできないことがあり、苦手なこともある。できないことは直すことが難しい。しかし、長所、得意なことがあるのである。
このことは障害のない者でも同じではないだろうか。できないことを叱るより、得意なことを一緒に見つけ出し、褒めて伸ばしていく。本人が直す気にならなければいくら叱っても意味がないが、褒められて伸びていくと案外苦手なことも自ら克服していくようである。障害者雇用を通じて、このことが当社の会社経営や人材育成に少しずつ活かされてきている。
障害を持った二人の社員は他の誰より一生懸命だ。その様子をよく見て知っている社員は、「一生懸命仕事しなきゃ」と絶えず思わされ、見るたび感じるたびに反省を促されている。また経営者である私としても二人が仕事をする姿を見て、元福井県立大学の小川雅人先生から頂いた言葉、いつも優しい小川先生が強い口調でおっしゃった「会社が小さくても経営者は大きな責任を有する」を肝に銘じ、その大きな責任を決意している。
(2)これからの取組
この春、福井特別支援学校からSさんが入社する。彼は一週間インターンとして当社で職場体験をし、それが縁で強い決意を持って入社してくる。
当社では人材育成のスキルの問題で新卒採用は大卒しか行ってこなかった。しかし、今回初めて高校新卒採用に至ったのは、これまでの事情をSさんに話したがそれでも当社で頑張りたいというその熱意に打たれたからである。将来を期待して大きく育てていこうと思っている。
当社はこの春、Sさんの入社で目標に掲げてきた障害者雇用率10%以上を達成するがそれが最終目的ではない。一人ひとりの長所を活かし、障害のない者と同等以上の評価と報酬が貰えるまで育てること、当社自身が成長していくことがこれから求められる。
社会は変わっていく。義務としての障害者雇用ではなく障害者と障害のない者が共に働くことによって一緒に成長し伸びていく、社会の一翼を担っていく、そんな会社が沢山出てきた。障害のない者が障害者に学ぶことは大変多く、そのことが会社の経営に活かされている。障害者を雇用している会社は社員にやさしい会社が多いように思う。法政大学の坂本光司先生のお話では、統計上、障害者を雇用している会社の方が伸びるそうだ。
良い会社とはどんな会社なのか、経営者だけに都合の良い業績だけを重視する不安定な経営品質ではいけない。本当の意味での良い会社になるためにどうすべきなのか?人に社会に優しい伸びる会社、良い会社になるために、障害者雇用は最善の方法ではないだろうか。
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