少しの配慮で得意な能力を活かす。仕事を進めるパートナーに。
- 事業所名
- 中央エース物流株式会社
- 所在地
- 「本社」神奈川県川崎市
- 事業内容
- 一般貨物自動車運送事業、第一種利用運送事業、倉庫荷役事業、梱包並びに開梱業務、流通加工に関する業務「(除外率設定業種)」
- 従業員数
- 約250名(平成26(2014)年3月現在)
- うち障害者数
- 7名(年齢内訳:50代1名、40代1名、30代2名、20代3名)
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 1 事務業務 内部障害 知的障害 4 清掃業務、倉庫業務 精神障害 2 事務業務、倉庫業務 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
![]() 本社外観 |
1. 会社概要と沿革
(1)会社概要
会社名 | 中央エース物流株式会社 |
設立 | 昭和62(1987)年4月1日 |
資本金 | 4,800万円 |
代表取締役 | 鴻﨑 武史 |
本社所在地 | 川崎市川崎区東扇島17番地10 |
従業員 | 約250名 |
保有台数 | トラック 50台 フォークリフト 77台 |
事業案内 | 一般貨物自動車運送事業、第一種利用運送事業、倉庫荷役事業 梱包並びに開梱業務、流通加工に関する業務 など |
グループ企業 | 味の素物流株式会社 |
(2)会社沿革
昭和62(1987)年4月 | 三味配送株式会社として貨物運送事業を東京都大田区で開始、CL南部営業所を開設(~平成2(1990)年10月) |
昭和63(1988)年4月 | 東京都大田区にて倉庫荷役業務を開始(~平成2(1990)年10月) |
平成4(1992)年2月 | 船橋営業所を開設(~平成6(1994)年6月) |
平成4(1992)年10月 | 社名を中央サンミックス株式会社に変更、厚木営業所開設 |
平成5(1993)年4月 | 本社を川崎市高津区に移転、横浜営業所開設(~平成8(1996)年12月) |
平成6(1994)年6月 | 美浜営業所開設(~平成22(2010)年3月)、CGC営業所開設(~平成16(2004)年2月) |
平成7(1995)年4月 | 厚木営業所を座間市へ移転、座間営業所開設(~平成12(2000)年8月) |
平成7(1995)年9月 | 千葉営業所開設(~平成16(2004)年3月)、磯子営業所開設(~平成18(2006)年4月) |
平成8(1996)年9月 | 東扇島営業所を開設 |
平成10(1998)年5月 | CRJ営業所(後日、厚木営業所に名称変更) |
平成12(2000)年4月 | 親会社の合併に伴い、社名を中央エース物流株式会社に変更 |
平成16(2004)年4月 | 荷役専門会社の中央エースワークス株式会社を設立 東扇島第一低温、東扇島第二低温、関宿低温営業所を開設 |
平成17(2005)年10月 | 旧中央エース物流株式会社と中央エースワークス株式会社の2社を合併し、存続会社を中央エース物流株式会社とする。 |
平成17(2005)年12月 | 大黒低温営業所を開設 |
平成23(2011)年10月 | 神奈川労働局長労働安全衛生に係る優良事業場奨励賞受賞 |
平成24(2012)年10月 | 安全衛生に係る千葉労働局長奨励賞受賞 |
関東圏で27年間、味の素物流株式会社の前身の東京三味株式会社を含めると40年以上の長きにわたる経験によって培われた食品物流では、冷凍冷蔵食品をはじめとしたあらゆる温度帯の保管と輸送を可能とし、常に変化する荷主様の要求を先取し、地域の食品物流ナンバーワンを目指している。沿革にも有る様に、お客様のニーズに特化した営業所配置と展開を行い、営業所の発展的改廃を続け現在は5ヶ所の営業所運営を行っている。
サービス業である我々の商品は「現場力」である。従業員一人一人が常にお客様目線で作業を考え質の高い作業を心掛けて日々精進を重ねている。この取組みをご理解いただいた多くの荷主様からのご支持をいただいている。
2. 障害者雇用取組のきっかけと経緯、採用方法と採用基準
(1)障害者雇用取組のきっかけと経緯
当社が障害者の雇用に対して真摯に取組みだしたのは平成18(2006)年10月からで、ごく最近のことである。会社設立から27年のうち、1/3に満たない期間でしかない。しかも、取組を始めたきっかけも決して褒められた内容ではなかった。
平成18(2006)年10月に川崎公共職業安定所からの「障害者の雇入れ計画作成命令」を受けて、初めて慌てることとなった。自発的なスタートでは無かった。
当時私(筆者)は、営業所の採算管理や業務折衝をする業務部という部署から、従業員の雇用や勤怠、福利厚生面を担当する総務部の課長として異動を命じられ着任したばかりであった。今思えば、前任者には「障害者雇用」が如何に大切かと云う概念が薄く、求人はおろか雇用に向けての施策を何も行っていなかった。当然のことながら引継ぎにも障害者雇用と云う言葉はなかった。前任者ばかりを責められない。我々の職場である物流現場では数多くのトラックやフォークリフトが行き交い、いたる所に作業事故の原因が潜んでいる…そのような環境の中で障害を持った労働者が働くことは安全配慮の上からも、雇用は非常に難しいと会社全体でも考えられていた。私自身も例外ではなかった。川崎公共職業安定所の雇用指導官にまで嘯く始末で…。
「雇入れ計画作成命令」を受領後は、色々な機関に相談をさせていただいた。川崎公共職業安定所はもとより、神奈川県障害者就労相談センター、川崎市健康福祉局、川崎市立養護学校…数名の障害のある人をご紹介頂き雇用に繋げてきた。しかし、一向に定着が進まなかった。
原因は私にあった。しかも重大な過ちであった。当時の私の頭の中には「法定雇用率」を達成することが最優先で「何をしてもらうか」ではなく「まず雇用」だった。当然、十分な説明をすることなく全てを営業所に押し付けたため、従業員からの反発はかなりあった。その様な環境の中で障害者も居心地が悪かったと思う。結果、定着が悪く、新しい方を雇用すると云う悪循環となってしまった。
打開策に気付かされたのは、半年以上が過ぎた平成19(2007)年8月のことであった。
川崎南部就労援助センターの所長が来社され、当社の営業所のうち一番作業環境が厳しい東扇島低温営業所の作業をまる一日かけて見学をしていただいた。川崎南部就労援助センターの所長はセンターに登録されている障害者、各々の能力を把握されており、営業所の作業をすべて確認された上で、「幾つもうち(川崎南部就労援助センター)の登録者にできることがあった。この仕事とあの仕事を併せると1人分の仕事が生まれる」と提案されたのである。一人の従業員が1日で行う仕事の中で、障害者が安全にできる仕事を切り張りして作業を創造する。従業員には障害者に渡した仕事の空いた時間に別の仕事を割り振ることができる。作業性を上げられるということになる。
我々の業種では障害者の雇用は難しいと決めて掛かっていた。そもそも作業を分解して組み立て直すことは、作業性向上の検証の時に当たり前に行っていたことだった。この当たり前に行っていたことを障害者雇用に繋げていなかっただけだった。業務の省力化、そして何よりも品質向上に繋がる手段となることに気付かされた。
そのことを丁寧に営業所長と従業員に説いてまわった。その結果、色々な営業所で作業を創造することができた。「何をして貰うか」が決まれば従業員の理解も深まり、自ずと定着率も上がってきた。
(2)採用方法
採用は基本的には公共職業安定所を通して行っている。ただし、就労援助センターから当社の業務に適している方を推薦していただくことも少なくなく、その場合には実際に職場体験をしていただいたうえで、公共職業安定所にて指名求人の手続きを行っている。最近では就労移行支援事業所から推薦を受け、雇用に繋がることもある。その場合にも指名求人の手続きを行っている。
現在は、障害者が体調面等で就労継続が困難になり欠員が出た場合、就労援助センターの相談員と就労移行支援事業所の支援員に相談をし、新たな方の推薦をいただける様になっている。
(3)採用基準
特別な採用基準は設けていない。当社の提示する条件を満たす方であれば採用を行う。雇用は契約従業員として有期契約となる。これは当社のルールで、障害のない者・障害者の区別なく、一部職種を除いて中途入社をされる全ての従業員が対象となる。
契約従業員の中から、一定条件に達した方が正社員登用されることとなる。
また、定年も60歳定年制としており、各従業員の60歳の誕生日の属する月の末日の一日前が定年の日となる。更に雇用の延長を希望する従業員には再雇用制度が適用され、65歳が雇い止めとなる。
3. 障害者社員の就業時間、休日
雇用については契約従業員となる。担当する仕事によって就業時間が異なるが、就業時間の短い方でも週20時間の勤務をお願いしている。体調や精神面等に問題がなく就業時間に制限を設ける必要が無い方には、週30時間以上になる様に勤務をお願いしている。勿論、慣れない環境で最初から長時間と云うわけにはいかないので、ご本人と相談しながら徐々に時間を増やす様にしている。また、週30時間以上で勤務していらっしゃる方でも、体調等に負荷がかかるようであれば、1日当たりの労働時間を短時間で切り上げて帰宅してもらったり、お休みの日数を増やす等のことは、各営業所長の判断で適宜実施している。
週30時間以上と云うのは、会社側から見れば法定雇用率を確保するという目的もあるのだが、雇用される障害者の賃金を増やすこと、そして社会保険に加入してもらい、社会的な立場と生活の基盤を固めてきたいとの考えを持っている。
余談になるが、知的障害のある従業員が、当社も導入している勤労者財産形成貯蓄(財形貯蓄)を希望されたことがあり、グループホームの世話人の方と親戚の叔父様の了解を得て加入していただいた。次月から給与明細書の財形天引きの欄と社会保険料控除欄を私に示して、嬉しそうに話す姿を見て、彼らにとって社会保障の枠組みへの参加が如何に大切かを感じたのであった。
基本は、1日6時間で、1ヶ月を通して23日程度の出勤が叶う方と、15~16日程度の方で、長時間勤務と短時間勤務を分けているが、障害や個人の都合を考慮して、柔軟に対応する様に営業所長には指示を出している。
休日については、当社自体が365日24時間の営業となっているので、ほとんどの従業員は5勤2休のスタイルで、暦日での休みを取っていない。然しながら、障害のある従業員には、一般的な社会生活のサイクルと途絶しない様に、土・日・祝日にお休みしていただいている。その他、ご家族との予定等があれば考慮したお休みを取ってもらっている。但し、社会的な基盤を固めるためにも、何でも容認することはせず、会社の都合を優先していただき、我慢をしてもらうこともある。
4. 工夫していること
(1)全体的に工夫していること
現在、5つある営業所のうち、3つの営業所に7名の障害者が勤務している。その内訳は、事務業務従事者が2名、倉庫作業従事者が3名、清掃業務従事者が2名となっている。障害別では、知的障害者が4名(内、重度1名)、肢体不自由(重度)の方が1名、精神障害者が2名となっている。年齢も、20代が3名、30代が2名、40代、50代が各1名と幅広い年齢層となっている。
雇用にあたって「工夫」というより気をつけていることは、安全への配慮に加えて、就労を開始する時と担当業務を一通り把握したと判断した時の対応である。当社の現場作業は、構内ではトラック、倉庫内ではフォークリフトが行き交い、接触して怪我をしてしまう危険と、マイナス25℃以下の冷凍庫など障害のない者にとっても厳しい環境での就労環境となっているので、各営業所の危険個所の洗い出しを行い、障害者の迷い込みなどが生じない様に徹底している。
「就労を開始する時」は、当然ながら仕事内容も周りの環境も初めてのことばかりなので、就労援助センターの相談員の方や就労移行支援事業所の支援員の方に2~3日付き添っていただく様にお願いしている。また、当社側の指導者は基本的に一人としている。これは、人によって伝え方が微妙に変化してしまい伝達内容に誤解や齟齬が起きない様にするためで、障害者が混乱しない様に心掛けている。勿論、同じフロアの従業員には明るく声掛けをする様に指導している。一番は疎外感を味わうことのないように気を配っている。
もう一つの「業務を一通り把握したと判断した時」には特に気を配っている。特に知的障害者は反復した作業を良くこなすが、それを問題なくできているからもう大丈夫と放置してしまったことが過去にあった。これを改め、管理者が「作業内容を教えてもらう」、「作業内容に意見を求める」ことを行って、継続して業務に励んでいただく様にしている。相談員、支援員の定期巡回にも大きく助けられている。
唯一工夫と言えるのは、障害者のお給料等の人件費の扱いである。障害者の労務管理と業務管理は営業所長にお願いしており、通常の従業員とは少し違った配慮をしてもらっている。そこで、その他の心配事をなくすために、障害のある人に係る費用は全て本社経費として、就労内容がコストとリンクしない様にしている。
(2)個別に工夫していること
- Kさん(重度知的障害)に対すること
平成20(2008)年2月から関宿低温営業所で倉庫の補助作業で勤務しているKさんは、重度知的障害の判定を受けている方である。入社した時は22歳だった。
Kさんは関宿低温営業所で初めて障害者雇用をした人で、Kさんの入社が決まった時、営業所の従業員には、障害者と仕事をする不安と抵抗感があった。ところが、勤務2日目の昼食時には、食堂でKさんを囲んで御飯を食べる従業員たちの姿があった。Kさんの持ち前の明るさと人懐っこさに感謝した。今や当社全体の障害者の中で最古参の存在で、定年のその日まで働いていただけそうだ。
そんなKさんには、サンプル品の出荷用の段ボールを作ってもらっている。単調な作業を厭わず黙々と段ボールを作り、休憩をすることも忘れてしまう。そこで周りの従業員が、40~50分毎に声を掛け「強制的に」休憩を入れる様にしている。また、危険個所への迷い込みが起きない様に、必ずペアで作業をすることにしている。
- Hさん(精神障害)に対すること
同じく関宿低温営業所で平成25(2013)年9月から勤務しているHさんは精神障害の認定を受けている。事務補助の仕事をしているが、外見は勿論、会話をしても全く障害に気がつかないことがある。作業もほぼミスがない。しかし、同時に複数の指示を受けたりすると関連付けが苦手で整理ができなくなるので、管理者は次の指示が必要な場合は作業が終わってから声を掛けることを徹底している。
- Tさん(知的障害・退職)に対すること
今は退職されてしまったが、平成20(2008)年4月から5年間、東扇島低温営業所で清掃の仕事をしていたTさんからは多くのことを学ばせていただいた。知的障害をお持ちのTさんの仕事は非常に丁寧で、毎日、プロの業者顔負けに仕上げてもらった。しかし、Tさんが掃除をした直後、倉庫の従業員が安全靴で床を汚してしまうということがあり、Tさんが憤って私に報告に来た。Tさんには「ほどほど」「なあなあ」が無かったのだ。今でも後任の清掃の人には、きれいにするのではなく、ひどい汚れを防ぐことを一番初めに説明して、就労援助センターの相談員の方にも強く伝達していただく様にしている。
また、事務所棟で集めたごみを構内のごみコンテナに捨てに行く際に、営業所構内は大小様々なトラックが出入りし、そこで台車を押して歩くのは大変危険であるため、十分注意をする様にTさんには指導していた。
しかし数日後、私がTさんの作業を見に行くと、果敢に構内のトラックの間を横断するTさんを見つけ、注意をしたと同時に、漠然とした指示をしてしまったことを猛省した。以降、具体的に1工程に1つの指示と決め、トラックが通らない営業所外周の歩道を通って迂回することを紙に図を描いて説明した。現在の後任の方にも徹底をしている。「障害は個性」と言われるが、障害者ひとり一人に合わせた指示ができる様、模索の毎日だ。
![]() 段ボール組立作業 | ![]() 事務作業 | ![]() 清掃作業 |
5. 取組の効果、今後の課題と展望
(1)職場における取組の効果
平成18(2006)年から障害者雇用に取り組んで来た中で、自己都合で退職された方も含め、歴代働いていただいた障害者の頑張りも手伝って、営業所長クラスでは法定雇用率や障害者雇用の方法を論じるまでになり、労働力としての評価と企業の社会責任の認識は確実に向上している。
(2)今後の課題や展望
平成25(2013)年4月から法定雇用率が2.0%になり、貨物自動車運送業である当社は除外率20%が設定されている。私は平成21(2009)年に総務部長を拝命した際、除外率が廃止されても雇用率を3.0%以上にすると社内の会議で宣言した。結果、全従業員の協力を得て、一昨年には要員数だけは達成したが実雇用率の数値目標は非常に厳しい状態である。
今勤務している障害者が契約書の就労時間通りに勤務してもらえると、除外率を0%としても雇用率は3.6%(除外率計上4.2%)を超えるのだが、体調面や気持の負担を考慮して、時間を減じたり休日を増やしたりして勤務している結果、就労者カウントが0.5ポイントとなってしまう方も多くいる。それがまさに今後の課題となっているのだが、契約内容通りの就労時間で働いていただける環境の整備が急務と考えている。そのためには、まだ若干残っている従業員の障害者雇用の考えへの相違と温度差を払拭するため、障害者は重要な労働力であり、雇用は企業の社会的責任であることを粘り強く啓蒙していく所存だ。障害のない者と障害者双方が働き易い環境の実現につながり、展望が開けていくと確信している。
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