「配慮」はするが、「遠慮」はしない。
仕事を通じて能力を十二分に発揮し、豊かな人生を切り拓いて欲しい。
- 事業所名
- 株式会社滋賀富士通ソフトウェア
- 所在地
- 滋賀県大津市
- 事業内容
- システムコンサルティング、システムインテグレーション(情報システムの設計/開発)、パッケージソフトウェアの開発・販売・適用支援・保守と、これらに関するサービスの提供
- 従業員数
- 225名
- うち障害者数
- 3名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 1 スタッフ業務(管理部門) 肢体不自由 2 SE業務(システム部門) 内部障害 知的障害 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
![]() 事業所外観 (滋賀県大津市の当社本社が入居するビル) |
1. 当社の概要と障害者雇用
(1)設立の経緯と現在
当社は、昭和59(1984)年に、富士通株式会社と株式会社滋賀銀行の共同出資により、金融業界専門のシステムエンジニアリング会社として、富士通から出向してきたSE(システムエンジニア)社員13名で滋賀県大津市に設立された。
設立当初のミッションは、富士通のコンピュータを導入いただいている滋賀銀行のシステムを、設計、構築、保守することであった。そしてそれが全てであった。
設立から30年が経ったが、現在では社員も230名近くとなり、お客様の分野は滋賀銀行をはじめとした金融関係に限らず、自治体や医療機関向けにもシステムエンジニアリング業務を展開している。さらに、培った専門ノウハウを活かして、業務パッケージソフトウェアを開発し、全国規模で販売、適用支援、保守を行うと同時に、サービスビジネスも手掛け、多様な業界各社との取引実績を積み重ね、成長を続けている。
(2)当社の使命
当社の使命は、お客様のIT戦略に最適な「ソリューション」を提供することだと考えている。
◆「社会からの期待、お客様からの期待に応える会社」
◆「従業員が働きやすい会社、働きがいのある会社」
に成長し、
◆「地域No.1ソリューションプロバイダー」
◆「得意分野を活かして、全国のお客様へソリューションを提供できるプロフェッショナル集団」
であることを目指している。
また、滋賀県の琵琶湖畔に本拠を置く企業として、環境保全のための様々な活動を推進し、環境にも優しい会社でありたいと考えている。
(3)当社の障害者雇用
上述(2)に掲げた「当社の使命」を達成するために必要なことは何か?
当社はカタチあるモノを作るメーカーではない。製造工場があるわけでもない。
つまり、私たちの仕事の成果を決めるのは機械ではなく、一人一人のシステムエンジニア(SE)やスタッフ(管理部門)という「人」であり、それが会社の財産の全てだと言っても過言ではない。
そして、会社として強い組織となるためには、やはり様々なスキル、知識、個性、特徴を持った「人」が集まって、お互いに切磋琢磨し、刺激し合い、成長することが何より重要だと考えている。
当社の障害者雇用の考えも、ここに帰する。
障害という「個性」「特徴」を持った人材は、多少ドライに聞こえるかもしれないが、組織にとって非常に有用であるのだ。何より障害のある社員もそうでない社員も、お互いを「思いやる」気持ちを持つことこそ、大きなメリットであると考えている。現在の流行の言い方では「ダイバーシティ」の実践の一つということである。
当社が障害者雇用に取り組んだのは、1990年代(平成2~12年)の後半からである。残念ながら今も障害を持った社員の数は決して多くはないが、彼ら一人一人が組織の中で果たしている役割は非常に大きい。
次項ではその中の一人、聴覚障害のある社員「安井謙治」にフォーカスして、当社の障害者雇用の考え方や対応とともに紹介したい。
2. 配慮はするが、遠慮はしない
(1)障害者雇用の基本スタンス
「障害に対する配慮はするものの、障害によって職種や仕事内容、キャリアステップを限定することはしない」
これが富士通グループの障害者雇用の基本方針である。当然、私たちの会社も全く同じ考え方である。そしてこれは、障害の有無に関わらず、成果を求めるということでもある。
厳しく聞こえるかもしれないが、私たちが社員に求めているのは、「常に高い志を持って、仕事に臨む情熱」である。そのような意志を持つすべての社員が、その力を発揮していくために、会社は惜しみないサポートをする。もちろん、障害を持つ社員には、安心して働くことができるよう、最大限のサポートを行う。
「働くということは、社員一人ひとりが会社というフィールドを利用して、仕事でのチャレンジを通じて、世の中をより良く変えていくこと」
私たちはこう考えている。よって、障害があるからと言って、職種や仕事内容において特別扱いすることはしていない。障害の有無に関わらず、雇用のポリシーは「フェアであること」が揺るぎない基本スタンスである。
(2)聴覚障害者の入社
そんな障害者雇用を実践している当社に、聴覚障害者である安井謙治が入社したのは、平成8(1996)年だった。当社では、障害者として新卒で採用した初めての社員だった。
安井は、生まれつき耳が不自由で、両耳とも全く聞こえない。しかし努力を重ねて、高校までは障害のない人と同じ環境で学び、地元の県立の進学校へ入学。その後、小さい頃から興味があったコンピュータを学びたくて、大学は関東にある国内唯一の聴覚・視覚障害者を対象とする国立の技術短期大学に進学した。もちろん、生活は一人暮らしである。そこで、電子工学や情報処理などコンピュータに関する高度な技術と知識を学んだ。
「IT業界なら、障害が大きなハンデにはならない。IT業界で働きたい」
時代の動き、自身の興味などから、安井は将来についてはそんな希望を持っていた。
大学2年生の頃、神奈川県川崎市にある富士通株式会社の本店(川崎工場)で、実習(インターンシップ)を受けたことをきっかけに、就職先として出身の滋賀県にある当社への興味も高まり、懸命な就職活動を経て、採用試験に合格。当社への入社が決まった。
受け入れる当社も初めてのことであったため、事前に幹部社員数名は講習を受けた。簡単な手話や、聴覚障害に関する基礎知識を学習するなどして準備した。
安井は入社後、SEとして金融機関のシステム開発に関わり、プログラミング業務に従事した。これまで学んだ技術やスキル、知識を活かしての業務だった。やりがいを持って頑張ってきたが、数年後に大きな壁にぶち当たった。
富士通グループのSEの仕事は、実は非常に幅広い。単に指示通りにプログラミング業務をこなすだけではない。そもそものシステムの企画提案から携わる。お客様と密接にコミュニケーションを取って真意を理解し、求める提案をしなければならない。無事、お客様に採用されることが決まったら(受注)、プロジェクトチームを作って、プロジェクトをまとめあげてスケジュール通りシステムを完成させることも求められる(プロジェクトマネジメント)。
入社して数年が経ち、安井にも次のステップの仕事が求められるようになってきたが、どうしても社内外のメンバーとのコミュニケーションの壁を超えることができなかった。安井は、口話(口の形で言葉を読み取る)がかなり高いレベルでできる。しかし会議の場では、なかなか全員の発言内容までは理解できない。またその頃は、それをカバーするようなIT技術も製品もなかった。少なくとも当社では導入までは至っていなかった。
入社前から想定できることではあったが、現実にその場面に直面した時、本人も会社もなかなか解決策を見いだせない状況に陥った。
(3)配慮すること
その後もSEを続けていた安井だったが、社内の管理部門からローテーション(人事異動)の一環で管理部門への異動の打診があった。
管理部門には、SE出身者も在籍しているが、入社以来管理部門一筋のメンバーも多かった。その管理部門で、ホームページ制作や各種業務効率化のためのシステム導入、様々なデータベース構築等、技術とスキルを持った人材の必要に迫られていた。
そこで安井に白羽の矢が立った。多少のキャリアチェンジにはなるが、新しいことへの挑戦というチャレンジ精神や自身の持つ順応性の高さから、安井は異動を快諾した。受け入れる管理部門にとって、SEの現場をよく理解している意味でも、安井の異動の意味は大きかった。
しかし管理部門へ異動後も、メンバーとのコミュニケーションには苦労した。当時、まだまだ聴覚障害者とのコミュニケーション手段といえば「筆談」が中心で、会議に参加しても進行状況をつかめないまま1~2時間座っているだけという日々が続いた。グループメンバーが会議内容をノートに取ったり、レジュメにまとめてくれるが、それでは結論のみでそこに至る経緯がわかりにくかった。結局、徐々に会議に参加することを諦め、その間は別の業務に従事するなどしていた。
その後安井も自身でいろいろと調べ、当時の上司にも相談して、社内の主な行事(創立記念式典等)や講習会には、手話通訳者に来てもらうことを提案し実現させた。
さらに、安井本人にとっても、周囲のメンバーにとっても大きな出来事だったのが、平成19(2007)年に導入したパソコン要約筆記用フリーソフト「IPTalk(アイピートーク)」である。これは、聴覚障害者用の同時通訳にも使われるもので、“チャット”と呼ばれる会話形式で書き込むことができ、情報伝達のスピードも量も質も、全てが格段にアップした。これは部内でも大小問わず会議では全て使用しており、参加メンバーは全員ネットワークにつないで、発言者の内容を端的な表現で入力することによって、安井がリアルタイムで会議内容を理解し、議論にも加わることが可能になった。安井本人が何より一番良かったと感じているのは、「疎外感がなくなったこと」であると言う。
さらに今後は、富士通グループの研究部門が製品化を検討している、会議での発言をそのまま文字にするソフトの導入も考えている。音声認識の技術を応用して、マイクを通した発言をすべて文字にできれば、メンバーの入力負荷も軽くなるし、会議のスピードアップもさらに期待できる。
これまでも安井は、同研究部門にモニターとして協力し、様々な製品開発の検討に際して聴覚障害者の視点で意見、提言を行っている。上記製品の試作品ができれば、まず一番にモニターとして声がかからないかと心待ちにしている。
このように当社は、安井が仕事を行う上での障害をできるだけ取り除くための配慮をしてきたと考えている。
![]() 業務中の安井。現在は総務人事部で、部内のシステムサポートのほか、購買業務や費用管理、防災(リスク)対応、ファシリティマネジメント等々、コミュニケーション力が求められる幅広い業務を担当している。 | ![]() 「IPTalk」の画面。次週に控えた防災訓練本番に向けて、事前のスケジュールや準備状況などを、関係者と簡単にやりとり。 |
(4)遠慮しないこと
同時に当社は、安井と真剣に向き合いながら、仕事に関して遠慮はしない。
上司(本稿執筆者)も成果が出なければ厳しい評価をするし、メンバーへの配慮に欠ける行動、振る舞いを取った際には、厳しく叱咤する。そこに障害の有無による区別は存在しない。
たった一度だけ、こういうことがあった。毎週行っている部内のミーティング中に、安井が時間にして数分程度だが居眠りをしたことがある。毎日の多忙な業務以外にも、社外では障害者団体の役員を務めるなど中心メンバーとして活躍する安井は、休日も多忙だ。平日でもボランティアでの「手話講師」として退社後に活動する時期もある。そんな疲れも溜まっていたのだろう。
しかし、上司はその居眠りを激しく怒った。会議中、各メンバーは安井のために「IPTalk」に一生懸命発言を入力しているメンバーは、安井という仲間のために当然行っているだけである。しかし安井の居眠りという行為は、そのメンバーの気持ちを裏切る行為だ、というのが上司の叱咤理由である。また当然上司は安井を他メンバーと同様に仕事において必要不可欠な存在であること、一人前の社員として育て上げたいと思っている表れでもある。以降、そのようなことは一度もない。
(5)アビリンピックとの出会い
平成16(2004)年、当社に1通の案内が届いた。障害を持つ人たちが職業技能などを競う全国障害者技能競技大会「アビリンピック」の県予選の通知だった。周囲の薦めを受け安井は「ホームページ部門」に出場。なんと滋賀県大会で優勝して県代表になったばかりか、全国大会初出場初優勝(金賞)の快挙を達成した。
本人も「まさか優勝するとは思わなかった」ようだが、その後も技術を磨き、平成19(2007)年には4年に一度開催される「第7回国際アビリンピック」に、滋賀県初の日本代表として出場を果たした。
その後も部門を変え、毎年県大会や全国大会に出場し、好成績を収めている。
仕事とボランティア活動、そしてこのアビリンピック大会での活躍など、安井は現在注目されている「ワークライフバランス」をも実践している一人とも言える。
3. 多くの人との出会いを大切に
定年退職を迎え退職した障害者もおり、当社の雇用率は現在法定雇用率を下回っている。雇用率達成だけが障害者雇用の目的ではないが、当社の障害者雇用は、これから様々なことを整え、取り組んでいかなければならない。様々な取り組みの中で、多くの方と出会い、そして理解し合いながらさらなる雇用を進めていきたいと考えている。
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