知的障害者と共に明日への歩みを(災害を乗り越えて)
- 事業所名
- ヒモロタタミ
- 所在地
- 秋田県山本郡
- 事業内容
- 畳床製造、ポリ鉢成型作業
- 従業員数
- 7名
- うち障害者数
- 5名
障害 人数 従事業務 視覚障害 聴覚・言語障害 肢体不自由 内部障害 知的障害 5 ポリ鉢成型作業、畳製造補助 精神障害 発達障害 高次脳機能障害 難病等その他の障害 - 目次
![]() 事業所外観 |
1. 事業所の概要、障害者雇用の経緯
(1)事業所の概要
明治中期に畳の製造・販売店として「日留産業」を創業した。平成9(1997)年には「ヒモロタタミ」に名称を変更し現在に至っている。当初は、畳の製造、販売・加工を主力としていたが、平成11(1999)年1月から、植物の植付け用ポリ鉢の製造を開始した。以後、ポリ鉢製造用自動ロータリーを導入して増産体制を築いていき、ポリ鉢の製造は畳の製造販売を含めた全体の生産量の7割近くを占めるまでになった。
多いときで知的障害者12名、肢体不自由者3名の合わせて15名もの障害者を雇用していたこともあり、平成16(2004)年には、障害者雇用優良事業所として、秋田県障害者雇用促進協会長賞を授賞、平成19(2007)年には秋田県知事表彰を授賞した。
しかし、平成22(2010)年12月29日、従業員のちょっとした不始末、不注意から事務所と隣接している工場を全焼するという火災が発生し、畳はもちろん、機械設備等も全て消失するという茫然自失の災害により、事業を断念することも考えたが、現在は、前の事業所の近くに新しい事業所を借りて事業を運営している。
再建のきっかけとなったのも障害者たちの働きたいという意欲が後押しとなって、心機一転再出発することができたのである。
(2)障害者雇用の経緯
最初の障害者雇用は平成11(1999)年に知的障害者を雇用したのが始まりである。事業も軌道に乗ってきて、畳の仕事が増えてきたこともあり、補助的作業に従事する人を雇用しようと、ハローワークへ求人を依頼したが、なかなか思うように希望者は来なかった。
畳関連の作業は、高齢者が従事していたが、一口に畳といっても結構な重量があり、体力を要する仕事である。そのような時に、事業所の近くに知的障害のあるMさんという人がいて仕事を探しているという情報があった。Mさんは、体が大きくてがっしりした人であった。Mさんなら体力的な面から十分作業ができそうだと思い、雇用してみようということになった。
Mさんを雇用して数ヶ月後に、大日寮という知的障害者の支援施設を運営している社会福祉法人から、知的障害者の実習生を受け入れて貰えないかとの依頼があった。Mさんを雇用しているということが、大日寮に伝わっていたのである。
大日寮からは、最初Wさんという女性が実習にやってきた。Wさんの実習が軌道に乗っていく中で、大日寮から1人また1人と実習の依頼が舞い込んできて最終的には6人までになっていった。そのようなことがあり、知的障害者でも十分戦力として通用することが分かり、ハローワークからの紹介を受けて知的障害者の雇用を進めていった。
2. 障害者の従事業務と取組
(1)初めの障害者雇用
初めて雇用した知的障害のあるMさんは体格が良く、基礎体力的には申し分なかったが、古い畳をばらしたり、それを仕分けするなどの作業に慣れていないということもあり、力の使い方が分からず、作業をスムーズに行うことがなかなかできないでいた。疲れも溜まり、勤務時間中に休憩することが増えていった。同僚は年配の従業員が多く、励ましながら見守ってはいたが、徐々に調子を崩して休みがちになっていった。そうした状況の中、Mさんの家族が積極的に協力してくれた。Mさんを毎日のように職場まで送ってきてくれたことなどもあり、何とか仕事を続けていくことができた。
そうしているうちに、仕事量が多くなってきたこともあり、大日寮から知的障害者のWさんが実習生としてやって来た。Wさんが来てまもなく、もう一人の知的障害者を大日寮から実習生として受け入れた。実習生として受け入れた2人は、物覚えが比較的よかったこともあり、作業もある程度スムーズにこなすことができていた。
Mさんは実習生の2人に刺激を受けたのか、今まで以上に元気になり、作業も積極的にこなすようになっていき、勤務時間中も無断休憩することがなくなっていった。そして、家族の送り迎えも必要なくなり、一人で自転車通勤するまでになった。
もちろん、それまでに大日寮の担当者から障害者に対する雇用管理についての情報をある程度得ていた。そして、その情報を参考にしながら、МさんやWさんに対して、何度も繰り返し作業のやり方を教えていったことが重なって、障害者の継続勤務を可能にしていったものと思われる。
(2)ポリ鉢ポット製造工程での障害者雇用
畳関連の補助的作業に障害者が就いていたが、平成11(1999)年1月から、畳の作業のほかに、植物の植付け用ポリ鉢の製造を開始していた。当初は手動式の機械であり、安全面で問題があったため、熟練した人でなければ操作し使用することはできなかった。また作業量もそう多くなかったため、障害者はポットを回収し紐を結んだり、綴じたりする単純な作業を行っていた。
平成13(2001)年になると、ポリ鉢ポットの受注が大量に入ったこともあり、障害者等経験の浅い人でも安全性の高い、自動式ロータリーのポット製造機械3台を導入することにした。同時に、ハローワークから障害者雇用の依頼があったこともあり、障害者雇用を進めるとともに大日寮からの実習生も増えていった。そして、仕事量も増えるにしたがって、障害者雇用も順調に推移し、多いときで15名の雇用障害者と6名の実習生がともに働く職場へと発展していった。
自動式ロータリーポット製造機を導入したことにより、ポットの生産量が飛躍的に増加したが、出荷するためにはポットを100個ごと紐で結んで取り揃える必要があった。10個程度であれば数を確認することができたのだが、それ以上になると個数の確認が正確にはできない状態であった。色々考え、10個ずつに区分けし、全部埋まったら100個になるような箱を作ったところ、最初は戸惑いもあり、慣れるまで多少時間はかかったが、要領を覚えるとより早くよりスムーズに作業ができるようになっていった。
また、ポットの受注量が多いときは、それぞれの都合も配慮しながら、2交代制にし、午前の部と午後の部それぞれが一人平均休憩も入れて、6時間から8時間になるように作業体制を組んだこともあった。
![]() ポリ鉢ポットの加工作業 |
![]() 畳端材で台置き製作作業 |
![]() 畳床製作作業場 |
3. 今後の展望
障害者を雇用していく中で、色んな経験をさせてもらった。全重協(公益社団法人全国重度障害者雇用事業所協会)の秋田支部に所属していたときは、事業所とハローワーク、特別支援学校、関係機関と定期的に会合を開催し、その中で障害者雇用に関する様々な情報を得ることができたことと、そうした機関との密接な連携が図られたことは障害者の雇用を継続する上でとても重要な位置づけであったと考えている。
そうした連携が図られた関係で、地元の養護学校から実習生を受け入れたり、雇用を進めたりとその輪を広げていくことができた。特に、生徒と保護者を対象としたバスを使っての職場見学会を何回か開催したことは、大きな感動を呼んだ。
そうした連携を図っていく中で、養護学校の先生が話したことが今でも心に残っている。それは次のような話だった。
「この人たちは、(一般的に普通の人と比べれば加齢の影響を受けやすいと言われているので)仕事ができる、働ける期間も限られてきます。また、子孫もなかなか残すことはできません。この人たちの本当の生き甲斐は、一生懸命に自分たちのできる仕事をすることではないかと考えています。そのために私たち教師は、この人たちができる仕事を探してやりたいと考えているんです。」
この人たちが生きている間は、本当に楽しかったなという思い出になるような、仕事をさせたい、そのためには自分たちも頑張らなければならないという思いが、この仕事を続けてこられたひとつの要因であるとの強い思いがある。
火災という突発的な災害が発生したときは、本当にショックを受けた。しかし、工場という働く場所がなくなったにもかかわらず、当然仕事も何もない状況で、今まで働いていた障害者たちが、引き続きここで働きたいと毎日のようにやってきたことに、本当に感動した。そうしたことが災害から立ち直るきっかけとなって、この人たちのために仕事を見つけよう、仕事を始めようとの思いが、再起を可能にした。
災害後は、仕事ができない状況だったので、ハローワークの支援の下、他で働ける障害者は別の職場を探してもらい、どうしても働けないという障害者が9人残ってしまったが、今はそのうち5人を再雇用できるまでになった。
今後は、六次産業化という生産・製造・販売まで可能にした直売店の設立を目指し、障害者自らが活躍できる場をより多く創出し障害者と共に、喜びも悲しみも共に分かち合いながら一人でも多くの障害者を雇用できるような環境、職場を拡大していきたいと思っている。
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